東京の台所2
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〈243〉退去1週間前。中銀カプセルタワービル、最後の“台所”

〈住人プロフィール〉
会社員・26歳(女性)
賃貸マンション・1R・日比谷線 東銀座駅(中央区)
入居7カ月・築年数49年・ひとり暮らし

    ◇

『私たちの住むマンシオンには台所設備はない。火気厳禁、水道はユニットバスのみ、給湯が壊れていて湯は出ない。私の部屋はミニ冷蔵庫と電子レンジだけ。

だが、ちょっと変わった台所がひとつある。数階上のFさんの住むカプセルだ。みなから「F亭」と呼ばれている。彼女の部屋も火気厳禁、水道は洗面台のみ。けれども、電気鍋とホットプレートで何でも作ってしまう。

手料理が恋しくなったらFさんにリクエストして、カプセル住民たちにスケジュールを聞く。何人か集まれる日があったらF亭の開店日となる。

もつカレー、ぎょうざ、素麺(そうめん)、パスタ、たこ焼き、いろんなものを作ってもらった。参加費は無料。みんな思い思いの貢ぎ物をもってF亭に集まる。

全く一般的な台所ではありませんが、見にきませんか?』

 カプセル、マンシオン。気になるワードは、住所を見て納得。中央区銀座8丁目、中銀(なかぎん)カプセルタワービル。黒川紀章が設計した、四角いレゴブロックを1個ずつ積み上げたような、あの個性的なカプセル型集合住宅だった。

 調べると、建て替え話は約30年前から持ち上がり、紆余(うよ)曲折を経て今春、所有者らの決議で敷地売却が決まった。取材に応募するということは、まだ住民の具体的な退去日は決定していないらしい。

 1972年竣工(しゅんこう)、メタボリズム建築の代表作。テレビ、ベッド、机や音響機材が備え付けられた部屋は「カプセル」といい、様々な雑誌に取り上げられてきた。
 しかし、黒川が茶室をイメージしたというわずか10平米のあのマンションに、どんな台所が?

 興奮と同時に、楽しげな“F亭”をつづる行間から、なんともいえない寂寥(せきりょう)感がにじみ、住んでいない私でさえ、あの超前衛的な歴史的建築物がもうすぐなくなるという事実に無念さがこみあげてきた。

 約束の訪問日は10月23日。
 ところがその5日前、メールの主から知らせが届いた。

『突然ですが、一部住人たちの退去が10/31になりました。
もともと取り壊しが迫る建物ではありましたが、急なお知らせとなりました。
最終日までみんないつも通り過ごす予定なので、キッチン用品もまだまだあります。念のためお知らせいたしました』

「ベッドまわりはすごく便利。とくにコンセントは助かります」。設計当時は世になかったスマホの充電に、重宝されていた

1、2カ月の予定が……

 応募者は、隣県の実家から来た26歳のAさん。六本木の会社に勤務している。彼女が「私の台所」と称するカプセル(「部屋」はこう呼ばれる)の家主は、料理好きのライター、Fさん31歳。日曜の昼下がりや、平日の夜中、自室でおいしいコーヒーを淹(い)れてくれるのが書店員であり、週1でスナック店主にもなるCさん36歳。
 全員女性だが、ほかの男性住人とも仲がいい。

 彼女たちは、中銀カプセルタワービルの保存・再生プロジェクトが運営していた「マンスリーカプセル」最後の賃借人である。同プロジェクトは、歴史的建築物を後世に引き継ぐことを目的に、3年前から1カ月単位で借り主を募った。

 A、Fさんは今年3月、Cさんは4月に入居。そのままひと月ずつ更新し続け今に至る。
 過去の入居者は、1、2カ月で退去。次の入居者を募るシステムだったが、退去日が未定ながらも遠くないことから、彼女たちを最後に、新規募集が停止された。給料の少なくない割合を占めるであろうけして安くはない賃料に、ひと月で退去しても不思議ではないが、3人は「更新」を選んだ。

 大きな理由のひとつにF亭のごはんがある。
 「Fさんが取材でおいしい食材やお酒を買ってくると、ライングループに連絡が来て、その日はF亭でご飯になります。Fさんは、“一人分作るのも二人分も一緒だから”って。1部屋に6人ギュウギュウになることもあるんですが、みんな銭湯帰りのすっぴんで、夜遅くまで。部屋まですぐだから安心して飲んじゃうんです」(Aさん)

 疲れていたり、今日はひとりでいたいというときだったりはパスする。だが誰も詮索(せんさく)しない。
 また、マンスリーカプセルの住人の中には、コミュニケーションを取らずそっと退去した人もいる。それもまた自由。自分の愛し方で、この不思議で不便な住まいを堪能すればいいという、大人の成熟したコミュニケーションが、独特の快適さを生み出している。

 そのようにして交流を深めた住民同士だと、「トラブルも笑い話になる」とAさんは言う。

 「ときどきゴキブリや雨漏り、トイレが流れないみたいに、中銀は、一般の家の“ふつう”が通用しないし、それを承知で入居しています。だからみんなたくましい。トラブルの都度、住民同士で助け合いながら、乗り越えます。この間は、極度にゴキブリが苦手な人が1匹見てしまい、夜中に“ホテルに行く”と、取り乱していたので、私の部屋に泊まってもらいました。だんだん気持ちも落ち着いて、ああよかったなとうれしかったです。あるいは、自室の雨漏りのほうがすごいのに、違う部屋の雨漏りの音を録音して、“今日はこんなです”と友達にラインしている先輩もいた。私が中銀生活をこんなに延長したのは、不自由さがあったからこそだと思います」

 3人とも、1、2カ月のつもりで入居した。だが、F亭で同じ釜の飯を食べ、同じ銭湯に通い、現代生活では予想もつかない不便さと格闘しながら長年憧れた歴史的建造物に住む幸福を共有する。夜が更ければ、家族、仕事、これからやりたいこと、今心を痛めていること、さまざまな本音がこぼれ、何ができずとも耳を傾け、心に寄り添う。寮でも、シェアハウスでもない、大人の長屋暮らしの心地よいつながりに魅了され、気がつけばあと1カ月、あと1カ月と契約を更新していたのである。

お呼ばれセット。割り箸、皿や手の汚れを拭き取る除菌ティッシュ、器。布巾だと湿気臭(通称「カプ臭」)が移るので、洗面器に

知恵と工夫の料理術

 1週間後に退去が決まってからは、毎晩F亭が開かれているという。
 しょうゆなど調味料は手のひらサイズのミニ版で。備え付けの収納扉を調理台に、電気鍋で煮込み料理、ホットプレートでは本格派ハンバーグもこなす。野菜はその日に食べきり、Fさんに負担をかけないよう、住人はなるべく紙皿を利用。たくさんの知恵と気遣いで、楽しい夜が続く。

 この7カ月はどんな時間だったかという問いに、Cさんは「夢の時間だったなって。憧れの場所に住めた。それだけでもうれしいのに、住んだらこんな心地良いコミュニケーションがあった。ホント、夢みたいでした」。

 ライターFさんは、つぶやく。
 「コミュニティーを作ることを目的にすると、コミュニティーってどこかおもしろくないですね。マンスリーカプセルはこの建物が好きで集まり、体感することが目的だったので。自然に集まったというのがよかったのかもしれません」
 この記事が更新される頃、彼女は、恋人が待つ住居に帰っている。

 保存、再生は叶(かな)わなかったが、中銀という建築物はこんなにもゆるやかであたたかい、素敵なギフトをくれた。それは今の時代、欲しいと願っても、容易に手に入らないものだ。

 実家に帰るという当初の予定を変えたAさんは、すでに次の賃貸住宅の契約を終えた。新居が、みなが定期的に集える場所になれたら、と考えている。

 帰り際、彼女は力強く言った。
 「ここに住んで、私、ちょっと強くなりました」
 他者と支え合いながら暮らすことで、人生の“大丈夫”の概念が変わったから。
 中銀存続のために尽力した人々の努力が、この一言でほんの少しでも報われることを、私は静かに願う。

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