東京・三河島で出会う「江戸」の幻影(前編) 帝国湯

富士山ペンキ絵、そして立ち現れる「江戸」
浴室では、真正面にドーンと男女ぶち抜きで描かれた雄大な富士山ペンキ絵が目に飛び込んでくる。その下に九谷焼のコイのタイル絵があり、手前に3槽の湯船が並ぶ。これらもすべて東京銭湯の典型だ。

が、ここで私が最も心を奪われるのは、庭側に大きくとられた木製サッシの窓。この古めかしくも明るいガラス窓と、手入れの行き届いた庭の風情がなんとも良い。窓際のカランに陣取って湯を使っていると、どこかの温泉地にいるような楽しい錯覚に見舞われる。そして人口過密で満員電車で忙しくて騒々しくて……といった「東京」はいつしか消え去り、代わりに豊かでおおらかな「江戸」がおぼろげながら目の前に現れて、「東京は元々こうだったのさ」とニッコリ教えられているような気がしてくる。


「飛び上がるような」熱々の湯の洗礼
さて、東京銭湯の洗礼はここからだ。3槽に分かれた湯船の右端は……出ました、飛び上がるような熱湯(あつゆ)風呂。しかも底からは気泡が噴出、まるで焼きごてを当てられているかのよう。私は片足をなんとか底につけるまでの数秒が精いっぱいだった。
【動画】富士山の溶岩のお湯吐きからは熱湯が注がれる。その向こうのタイル絵のコイたちは、この滝を昇るためにみな滝のほうを向いて描かれている
その隣の湯船は慣れればなんとか入っていられる。左端の小さな湯船はホッとするようなぬるめの薬湯で、実母散(じつぼさん)の入った布袋が浮かべられて良い香りがする。

帝国湯の湯は地下水の薪(まき)沸かし。人が手をかけて建物や設備を維持し、昔ながらに日々薪をくべて、この熱い湯が沸かされ続けている。

銭湯の庭というぜいたく
脱衣場に戻ると、落ち着いた庭の風情が迎えてくれる。東京以外では、このように庭に広いスペースが割かれた銭湯にはあまりお目にかかれない。庭を背にして半裸でベンチに腰掛けたり、棚に置かれた漫画本をパラパラとめくったり……うむぅ、思わず唸(うな)るほどのぜいたく空間だ。


女将によると、ここで毎年白い花を咲かせるヒイラギは老樹となって葉のとげがなくなり、幹の分かれ目でキジバトが営巣するという。それにしてもこの銭湯に通う客たちにとっては、ここでこんなふうに浴後のひとときを過ごすことが日常なのか……。これもまたまぎれもなく令和の東京風景なのだ。

湯上がりは裏手のヤスウマ中華
なんともいえぬ充実感とともに外へ出ると、今までいた風格に満ちた空間とは打って変わって、元通りの三河島風景。風呂上がりはたいてい空腹だ。帝国湯の裏手、歩いて1分もかからないところにある「すずき」という小さな中華料理店は、いかにも下町のラーメン屋風情ながら、築地市場の有名な老舗食堂に長年勤めた店主の腕前はあなどれない。壁には気になるメニューが並んでいて悩むが、一つだけ大きなフォントで、しかも赤字で書かれている「ピリカラ湯飯(ゆめし)」とシューマイを注文。

ピリカラ湯飯はこの店のオリジナルとのこと。具だくさんでとてもお値打ち感がある。大きくてプリンプリンのシューマイはソースと辛子で食べる。これは築地の老舗スタイルだそうだ。シューマイをソースで食べるのは初めてだが、どっちも「うまい!」と思わず声が出てしまった。相客の女性2人組は「ニラそばもおいしいですよ」と教えてくれたが、もうビール大瓶も飲んでしまっておなかいっぱい。

風格に満ちたレトロ銭湯と、安くてうまい食堂。この取り合わせを楽しめる三河島の名を、銭湯好きなら覚えておいて損はないだろう。
*銭湯内の撮影は許可を得ています。

【帝国湯】
東京都荒川区東日暮里3丁目22−3
電話 03-3891-4637
営業時間 15:00~22:00 月曜定休

本連載の著者・松本康治さんが、全国のレトロな銭湯や周辺の街を訪ねたムック本「旅先銭湯」は、書店やネット、各地の銭湯で販売中。松本さんは「ふろいこか~プロジェクト」を立ち上げ、廃業が進む銭湯を残したり、修復したりする活動も応援しています。
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ここは知りませんでした。ありがとうございます。行かねば!
優しいご主人が居られる、お向かいの家谷酒店での湯上がりの一杯も格別です。
昔は朝まで職人さんで賑わっていたそう。