紛争地での休日の過ごし方 「完全に休む」ことの意味

「象の孤児院」を訪ねてみた
その後さらに旅を続け、涙の真ん中あたりのキャンディと呼ばれる古都に到着。ここでは檻のない壮大なスケールの環境下で孤児の象たちを保護している場所を訪れた。象の孤児院として知られている。雄大な自然のなかで群れをなす象たちの姿など、アフリカでしか見られないと思っていたが、ここスリランカには野生のアジア象が生息し、国民にも大変愛されているらしい。

キャンディからそのまま南に進んだ中央高地のヌワラエリヤでは、紅茶畑が広がる美しい風景を見ながらオープンテラスで紅茶をたしなんだ。この時、北部の病院で一緒に働いている現地の看護師の1人から「どう? 楽しんでる?」と電話が入った。
彼女は北部に生まれ育ち、戦時中もやめることなくずっと看護活動を続けてきた。その土地の市民というだけで、移動の自由がなく監視下に置かれている彼女の環境に心が痛み、自分だけ休暇を楽しんでいるのがとても申し訳なかった。
そしてついに最終目的地、スリランカ最南部のゴールという場所に辿り着く。涙のほぼ一番下の部分だ。西洋風のコロニアル風情漂う街並みで、おしゃれなカフェや可愛い雑貨屋さんでの買い物を楽しんだ。電話をくれた彼女へのお土産も忘れなかった。
MSFの派遣がなければ、おそらくスリランカ旅行を自ら企画することはなかっただろう。派遣の醍醐味の一つかもしれない。この1週間で、心身ともに確実にリフレッシュでき、残りの派遣に向けてのエネルギーをチャージすることができた。
同時に、同じ国でありながらも北部半島と本土の人々が置かれている環境のギャップにも考えさせられた。終戦という一つの歴史から未来に向かって歩み始め、観光も楽しめるようになっている本土と比べると、北部の人々は確実に取り残されてしまっている。戦争が終わったからと言って全ての人々に平和が訪れる訳ではないことを、初のMSF派遣で知った。
むしろ終戦をきっかけに「敗北」した方への弾圧や抑圧がまた始まってしまうのかもしれない。何が人々を分断させてしまうのだろうか。みな同じ人間なのに。素敵な時間の中で心身の癒やしも得られたが、同時に戦争っていったい何だろうと考えさせられた。
仕事と休暇を完全に切り離すことの大切さ
現在、MSFの2回目の派遣でパレスチナで活動をしている看護師がいる。私が採用を担当した彼は、何度目かのトライでMSFに入る事ができた。一度でくじけず、何度もチャレンジする彼がついにMSFに入った時には、採用側としても嬉しかった。彼がきちんと休みを取れているのか、身体は大丈夫か、と連絡を取ってみた。
彼は、「大丈夫です! 今回は短い派遣なので長期休暇はありませんが、この間ミニブレイクをもらって同僚の医師と死海に行ってきたんですよ!」と嬉しそうに話してくれた。

死海は、イスラエルとヨルダンの国境にあり、塩分濃度が高いためにぷかぷかと浮いてしまうという有名な湖だ。実は私自身もパレスチナ派遣時のミニブレイクで訪れ、浮力を楽しんだ。
彼は続けた。到着早々「死海では本当に何でも浮くのか」ということを試そうとしたらしい。そこでバッグに入っていたリンゴを取り出して浮かべようとしたところ、それを見ていた同僚に「リンゴは水道水でも浮くよ」と突っ込まれてしまったと。素晴らしいオチをつけてくれた彼は、現在もパレスチナでコロナの集中治療を頑張っている。
MSFの派遣中、つい仕事に没頭してしまい休むということを怠ることがある。次から次に現れる目の前の仕事に追われてしまう。大きな視点、長い目でみると、どんなに忙しい状況・環境でも、派遣スタッフに定期的に休暇を取らせ、仕事から完全に切り離すという考え方は、活動の長期継続にもつながるし、本当に理にかなっている。次の派遣では、どんな休暇を過ごせるのか楽しみである。