パリの外国ごはん
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ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

ちょうど5年前の今ごろ、寒さを感じる季節だったと思う。この連載が決まった。「パリで旅する外国ごはん」というテーマで提出していた企画案は、「パリの外国ごはん」のタイトルで始まることになった。

企画を考える段階で「どんなページができるか、実際にごはんを食べに行って、それぞれ書いてみようよ!」と、万央里ちゃんとふたりで中華街の餃子(ギョーザ)専門店に出かけた。その夜だ。食事も後半に差し掛かったところで「明子ちゃん、さっきから体が傾いちゃってるよ」と万央里ちゃんに言われた。それで自分が壁にもたれ掛かっていることに気づいた。私はその頃すでに、何かしらの調味料や添加物に体が反応する兆候はあったのだけれど、「食べ歩いていたらそのうちきっと免疫ができるよね」なんて無邪気に言っていた。

始めて1年半ほどで万央里ちゃんが出産し、母になった。それに伴い、新企画「パリの外国ごはん そのあとで。」を思いつき、数カ月後には「ふたたび。」も加わって、三つのシリーズを展開する「パリの外国ごはん」に生まれ変わった。

ほどなくして、フランスでは激しいデモが毎週末繰り広げられるようになり、1年を経過したところで、今度は強力なストが2カ月続いた。やっと落ち着いたと思ったらその翌月、パンデミックが起こった。

3度施行された外出禁止期間と、その合間の外食がままならない数カ月を経て、万央里ちゃんはヴィーガンになることを選択し、私の体は合わないものを口にしようものなら、「リトマス試験紙みたい」と万央里ちゃんに言われるまでに敏感に反応するようになった。私たち、それぞれの人生の優先順位もまた、以前とは変化した。

その流れの中で、この連載も、そろそろ終わりにするのはどうだろうという話になった。

今回が、最終回です。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin
ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin
ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

最後にどこの店に行くか。相談して、新たに店を発掘するのではなく、これまでに訪れたうちのどこかにふたりで再訪することにした。

「明子ちゃんが行きたいところにしようよ」と言われて、いくつか候補を挙げた中で、やっぱりここかなぁと心が向いたのは、レピュブリック広場とベルヴィルの中華街の中間に位置するLe Petit Pékin(ル・プティ・ペキャン)だ。漢字で、「小北京」と店名が書かれたこの店の料理は、中華街にほど近いのに、中華街で食べたことのある料理とは一線を画するものだった。油分が至極控えめで、味付けが優しく、かつ、甘みのある調味料を使っていない印象の、口当たりがさっぱりした料理。この店のベジタリアン汁そばを食べた時の万央里ちゃんのリアクションが、「パリの外国ごはん」で訪れた全66軒(うちふたりで訪れたのは59軒)で、もっとも鮮明に私には残っている。何かに目覚めたような感じだった。

あの店ならば、ベジタリアンプレートも少なくないから、ふたりで一緒に食べられる料理を選ぶことが出来る。シェアする皿が並び華やかさを帯びた食卓を想像して、「Le Petit Pékinにしよう」と万央里ちゃんに伝えた。

私は「パリの外国ごはん ふたたび。」の連載も含め幾度か再訪していて、万央里ちゃんも「あれから何度か行った」と言っていた。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

いつ訪れても、この店は、落ち着いた雰囲気だ。天井が高いことも、静けさをたたえた空気に一役買っているのかもしれない。窓際に掛けられた小さなランプを始めキッチュな装飾がところどころになされ、アットホームな温かさも感じる。だけれど、ノイズがとても少ない。そして、店内に漂う落ち着きと、この店の料理は、性質が似ていると思う。

メニューのレパートリーは前と変わっていないようだった。下の方に、今日の料理が書かれた紙が差し込んであるのも同じだ。その紙片の一番上に、豆腐糸と書かれたものがあって、気になった。干し豆腐の一種だろうか? まずはそれと、春菊のサラダに、野菜餃子をハーフポーション(6個)で、万央里ちゃんはベジタリアン汁麺を、私は、サイドメニューの一つ、春雨炒めを選んだ。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

全部が食卓に並んだ図を想像して、あと一つ欲しいなぁと思った。メニューに改めて目を走らせ、蒸したスズキのメイン料理にピンと来た。蒸しあがってから最後に熱した油をジャッとかけるアレかな?と思い浮かべながら、「中華らしいお祝いの一皿って感じがしない?」。そう万央里ちゃんに言って、頼むことにした。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

最初に出てきた豆腐糸と春菊の前菜を見て、思い出した。この店の料理は余計な汁気がにじみ出て皿上に広がっていないのだ。それでか、どこか凛(りん)として見える。

豆腐糸は、やはり干し豆腐のようだった。「あらかじめ漬け込んでいたみたいだね」と万央里ちゃんが言った。確かに、しっかり味が染み込んでいる。でも濃くはない。春菊にも小さい角切りの豆腐が加えられ、こちらもキュッと絞って盛られて、その絞り加減までもが味と思えた。どちらも、おそらくしょうゆと黒酢がベースの味付けで、でもその味付けよりも素材の味が優(まさ)っていた。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

続いて出てきた餃子も、餃子は艶(つや)を放っているのに、皿に油っ気がない。焼き目のついた皮は、半粒粉か全粒粉を使っているのか茶色がかっていて、もちもちだ。キクラゲ、ニンジン、春雨、いり卵がぎゅっと詰められていた。春巻きに春雨が入っていることはよくあるけれど、餃子の具に春雨を加えるのもおいしいなぁと中身を眺めた。でももしかしたらそれは、この厚みある皮だからかもしれない。タレをつけないほうが粉の味を楽しめて、私は好きだった。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

そして汁麺が、透き通った、まさにノンオイルな表情で登場した。麺を引き上げると、やはり茶色い。1本1本がよれた麺に、食べる前から、手仕事で生まれるおいしさを感じた。万央里ちゃんが取り分けてくれるのを見ながら、年末にもし時間が取れたら久々に手打ち麺をこしらえたいなぁと思った。

きれいに装われた小どんぶりを前に、もはや中華料理店にいることを忘れそうだった。干しシイタケで出汁(だし)をとったおうどんよ、と言われたら、あ~そうなんだ、と何の違和感も覚えずに受け取るだろう。キクラゲ、えのきを食べてから、麺を1本すーっと箸ですくい上げ、すすった。おいしい。噛(か)むごとに、しみじみ味わいたくて、沈黙になる。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

シャキッとみずみずしさの残るもやしが半分ほどを占める春雨炒めは、とてつもなくシンプルなひと皿なのに、歯ごたえの心地よい春雨の戻し加減にすっかり感心してしまった。「これ、お水で時間かけて戻してるのかねぇ?」「味付けも程よくておいしいねぇ」と言いながら、食感を確かめるように味わっていたら、異変を感じ始めた。

「うーん、この春雨かなぁ……」。この店では大丈夫だろうと思っていた好ましくない感覚を自覚して、少なからずショックを受けながら言うと、「さっきのグルテンじゃない?」と即座に万央里ちゃんは言った。そうだ! あれだ! 汁麺に、身の締まったお麩(ふ)のようなものが入っていた。噛むと味がじゅわじゅわっとにじみ出て、この味知ってるなぁと思ったのだ。万央里ちゃんに言われて、以前食べたベジタリアン中華料理店でのダメージを思い出した。

それにしても、だ。5年にわたる共同作業というのは、すごい。私よりも明確に、万央里ちゃんは、私の異変を察知する。その出自までも。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

気を取り直して、楽しみにしていた魚をいただくことにした。「万央里ちゃんも食べる?」と聞いてみると「うん、食べる」と言った。“そうか、今日はお魚も食べることにしたんだ”と思いながら「皮、食べる人?」と確認したら、「私は、魚なら皮とか目玉が、肉は内臓が好きなんです」ときっぱり告げられた。そうだった。それで、皮を剥がさずに取り分けやすい大きさに4等分した。食べてみると、香ばしい油の香りがまず口中に広がった。それから、蒸した魚の身のふっくらした味わいが追いついた。

「白いごはん欲しいね」「うん。もらう?」。すでにおなかは膨れていたのに、そう思わずにはいられないひと皿だった。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

この店のメニューには、夜にだけ提供される料理がいくつかある。私はまだ、夕食に出かけたことがないのだ。連載は終わるけれども、“パリで旅する外国ごはん”の活動は、これからも続行したいなぁと思っている。

これまで、読んでくださった皆様、心より、お礼申し上げます。
どうもありがとうございました。

ふたりで旅した59軒。思い出の中華と、私たちの旅立ち/Le Petit Pékin

Le Petit Pékin(ル・プティ・ペキャン)

162, avenue Parmentier 75010 Paris

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