城旅へようこそ
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海を望む、雲海に浮かぶ……いずれ訪れたい絶景の城

平戸城の復元天守からの眺望

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。2022年の最初に紹介するのは、いずれ訪れたい絶景の城です。海をゆく船のよう、雲海の中で幻想的、など、いろいろな絶景を目にすることができます。

新年を迎え、「今年こそ城めぐりを」と考えている人も多いだろう。しばらくは心おきなく旅に出られることはなさそうだが、いくぶん収束した暁には、非日常的な景色に出会い、開放的な空気を吸いたいところだ。そこで今回は、いずれ訪れたい絶景が楽しめる城をいくつか紹介しよう。

「海に臨む天空の城」米子城

一つめは、米子城(鳥取県米子市)だ。「海に臨む天空の城」というキャッチコピーのある、中海(なかうみ)に面した海城で、かつては城の半分が中海に突き出していた。

空撮した米子城(米子市教育委員会提供)
空撮した米子城(米子市教育委員会提供)

城のある湊山は、標高90.5メートルとさほど高くない。そのため、海を見下ろすというより海上にいるように感じ、大船に乗っているような気分になる。西には中海が広がり、晴れていれば北西には境港や島根半島、その向こうの日本海までを遠望。東には城下町が眼下に、遠くには大山(だいせん)が望める。城は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が始まる前年の1591(天正19)年から、吉川広家(きっかわ・ひろいえ)が築城を開始。秀吉政権の意向をくみ、軍港を持つ海上交通の拠点を構えたとも考えられている。

2021(令和3)年3月には、三の丸が国史跡に追加指定された。これに伴う発掘調査で多くの大発見が続いており目が離せない。三の丸からは、江戸後期の巨大な米蔵の基礎部分に続いて江戸初期の石敷水路を発掘。屋敷に付属すると思われる見事な庭園遺構が姿を現した。表中御門枡形(おもてなかごもんますがた)の発掘調査も続いており、城全体の構造が明らかになりつつある。

米子城本丸から西側の眺望
米子城本丸から西側の眺望

玄界灘見下ろす唐津城

唐津城(佐賀県唐津市)や平戸城(長崎県平戸市)も、美しい玄界灘を見下ろす絶景が魅力だ。唐津城は1602(慶長7)年から初代唐津藩主の寺沢広高が築城。松浦川の河口に半島状に突き出した満島山(みつしまやま)に築かれ、三方を海と川に囲まれている。日本三大松原の一つ「虹の松原」に向けて羽根を伸ばしたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。

唐津城の遠景
唐津城の遠景

2008〜2021(平成20〜令和3)年度の唐津城石垣再築整備事業にともなう発掘調査では、寺沢広高が前身の城を大改修した痕跡を確認。本丸付近では秀吉政権で限定的に用いられた金箔(きんぱく)瓦片4点が出土し、秀吉政権との関わりや、1602年以前に金箔瓦を用いた建物があった可能性が指摘されている。天守台はあったが天守はなかったようで、現在は1966(昭和41)年に建造された模擬天守が建っている。

大橋や瀬戸を一望 平戸城

平戸城は、平戸大橋や平戸瀬戸を一望できる城だ。平戸島の北部と九州本土を隔てる平戸瀬戸に突き出す、標高約53メートルの丘陵上に築かれている。

港湾を見下ろしていた平戸城
港湾を見下ろす平戸城

1550(天文19)年にポルトガル船が来航した平戸は、1641(寛永18)年まで交易の窓口となっていた歴史がある。平戸城は、海外交易による経済的発展と鉄砲等の武器輸入により松浦党(まつらとう)内で勢力を拡大して戦国大名になった平戸松浦氏の拠点。港湾を見下ろせ、行き交う貿易船を監視するのにふさわしい立地がわかる。江戸時代中期の絵図には、平戸湾に面する西麓(せいろく)に平戸城に直結した御舟入りが描かれている。

島原・天草一揆の舞台 原城

本丸から有明海を望める原城(長崎県南島原市)は、「島原・天草一揆」の舞台となった城だ。穏やかに広がる絶景に心躍る一方で、壮絶な籠城(ろうじょう)戦を想像すると心が痛む。島原湾に突き出した、東・南面は有明海に面したこの城に、約3万7000人の一揆軍が結集。約3カ月の籠城戦の末に12万余に及ぶ幕府軍の総攻撃を受けて落城した。2018(平成30)年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録されている。

原城の本丸
原城の本丸
天草四郎らが作戦を立てた湯島(談合島)も見える
天草四郎らが作戦を立てたとされる湯島(談合島)も見える

城内の石垣が崩れているのは、人為的に壊された痕跡。一揆の鎮圧後、幕府は反乱の拠点として使われるのを防ぐため、原城を徹底的に破却して一揆軍の遺体とともに埋め尽くした。本丸の櫓(やぐら)台は隅角部がほぼ残らず、執拗(しつよう)なまでに破却されたようすがうかがえる。本丸正門付近では、焼けた門の瓦や石垣の石材のほか、刀傷が入った人骨が埋められていた。ガラス製のロザリオや祈りの象徴であるメダイのほか、鉛の弾を溶かしてつくった十字架も多く出土している。

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