40年の人生を駆け抜けた、自慢の姉へ

読者のみなさまから寄せられたエピソードの中から、毎週ひとつの「物語」を、フラワーアーティストの東信さんが花束で表現する連載です。あなたの「物語」も、世界でひとつだけの花束にしませんか? エピソードのご応募はこちら。
〈依頼人プロフィール〉
山崎理子さん(仮名) 42歳 女性
会社員
東京都在住
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4年前、姉は40歳で急逝しました。いわゆる「人食いバクテリア」などともいわれる、劇症型溶血性レンサ球菌感染症でした。その半月後には生まれる予定だった姉の二番目の赤ちゃんも、姉とともに亡くなってしまいました。
前日までは、誰に聞いても元気だったと言います。どういった経路で感染したかはいまだ不明ではありますが、妊婦さんが感染して劇症化するケースがあるとも言われているようでした。
仕事の関係で、東京から私たちの実家がある地方都市に移り、暮らしていた姉。「今年は雪が結構降りそうだから、あなたが何年か前に買ったイルセヤコブセンのブーツ、私も買おうかな。いくらだったの?」。前日には、そんなたわいのないラインのメッセージを交わしたばかりでした。
たまたまその日は出張で、東京から姉のいる街に向かっていた私に、早朝の移動中、家族から電話がありました。
「お、少し早いけどもう生まれたかな?」などと思って電話に出ると、赤ちゃんが死産だったこと、そして姉本人も意識不明だと聞かされました。慌てて新幹線を降りて、すぐに姉のいる病院に向かい、別の大きな病院へと搬送されるところを見送りました。
その後、様々な処置をしていただいた姉ですが、その日の夕方に息を引き取りました。過剰なほど食べるものや健康には気を使っていた姉。ストイックにヨガに励み、体内年齢が実年齢の半分だともよく自慢していました。亡くなってしまったことに一番驚いているのはおそらく本人だと思います。
小さい時から天真爛漫(らんまん)で明るく、加えて勉強もスポーツもできた自慢の姉です。社会人になってからは製薬会社で働き、細身な体にぴったりと合ったスタイリッシュなスーツを着て、颯爽(さっそう)と大学病院に出入りする姿はなかなかのかっこよさでもありました。
赤ちゃんが生まれるという大きな幸せを目の前にして、姉の日々はあまりにも一瞬で断ち切られてしまいました。皆が思考停止になってしまうほどの衝撃でした。月命日には姉の墓参りをしますが、姉が亡くなったという実感が持てず、自分が誰の墓に手を合わせているのかわからなくなることもありました。
とはいえ亡くなって丸4年が経ち、その現実を受け止められるようになりつつあります。そして姉との突然の別れを通じて、人と人のつながりや、別れについて、真剣に考えるようになりました。誰に対しても悔いなく誠実に向き合うことの大切さを教えてくれた姉には、感謝しています。また、子に先立たれても気丈に振る舞う両親が、まだずっと先ながら、幸せな最期を迎えられるよう、支えたいと思うようになりました。そんな気づきをくれた姉に、お花を贈っていただけないでしょうか?

花束をつくった東さんのコメント
大輪のダリアとハイドランジア(アジサイ)、そしてスイートピーや白っぽいポインセチアを使って、白とグリーンの洗練された花束を作りました。イメージしたのは、40年の人生を駆け抜けていってしまったお姉様。
今なお、お姉様を失ったつらい思いが伝わってくる投稿者様の心が少しでも休まるように、ユーカリなど、香りがよく、心が落ち着くと言われる花材も入れました。
毎月の月命日には、今でもお墓参りを欠かさないという投稿者様。お墓にお供えするお花は菊などが定番ですが、それは何より長持ちするから。ほかのお花の中にも長持ちするものがあるので、スイセンを束にして、またはチューリップを束にしてなど、お姉様のイメージに合うお花のなかで、長持ちする種類を選ぶようにすれば、お墓参りのお花を選ぶ選択肢がグンと広がります。




文:福光恵
写真:椎木俊介
こんな人に、こんな花を贈りたい。こんな相手に、こんな思いを届けたい。花を贈りたい人とのエピソードと、贈りたい理由をお寄せください。毎週ひとつの物語を選んで、東さんに花束をつくっていただき、花束は物語を贈りたい相手の方にプレゼントします。その物語は花束の写真と一緒に&wで紹介させていただきます。
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