鳥居ユキ60年 オシャレに自由に

鳥居ユキが今年、デザイナー歴60周年を迎える。これほど長く現役で自らのブランドを率いる例は世界でも珍しい。着やすく、オシャレで若々しく。クラシックをベースに、色柄や素材に時代感覚を詰める作風で、レディースだけでなく、メンズや和装の分野でもファッションの枠を広げてきた。
着やすく 今にぴったり
母親のファッションショーで1962年、数点の作品を発表して19歳でデビュー。母は東京・銀座で祖母の代から続く洋装の仕立て店を営んでいた。以後、年2回の新作を東京やパリで発表してきた。鳥居は「次の新作のことなど前ばかり向いてきたから60年はあっという間。これからもきっと同じ」と笑う。
デビュー当時からずっと服作りの根底にあるのは「今生きている私たちの気分にぴったりきて、オシャレっぽい感じがすること。そして、自分が着たくなるものを作ること」という。そのシーズンによって、微妙な色合いのミックスツイードや多彩な花柄など糸から選んだ独自の素材を開発。それを現代的なバランスで、マリンやメンズ調など様々なテイストを取り入れてチャーミングに表現してきた。「たとえばスポーツのテイストなら、都会的でオシャレに見えるぎりぎりのところを狙うの」
60年代半ばからは、テレビや舞台で歌手や俳優の衣装を多く担った。奥村チヨや小柳ルミ子、加賀まりこや岩下志麻……。それぞれの個性に合った装いで、その魅力をさらに引き出した。

パリ・コレクションには1975年から2008年まで参加。デビューショーは、浴衣の柄と花柄を組み合わせたジャンプスーツなど斬新な作風で欧米の雑誌に紹介されて話題に。当時のパリではまだ日本人は高田賢三や三宅一生ら少数しか出ていなかった。世界からの才能が集うパリで「自分らしさを大切にすることを学び、実践した」という。
和装もメンズも楽しく
80年代初めには東レなどと組んで、ファッション感覚で着るキモノを発表。江戸小紋や大正ロマンの要素と、シフォンなど洋服の要素をミックスし、帯や小物までトータルで提案した。今につながる新タイプの和装の先駆けの一人だった。「和装のうんちくや伝統よりも、自分で洗えて、気楽に楽しめるキモノ。現代の美意識と日本的な情感のバランスを大事にした」

98年のキモノのショー。モデルは歌手、俳優の西田ひかる(右)
1994年から2000年まで続けたメンズコレクションは、日本の中高年男性のファッションに対する意識を変えるきっかけを作ったとも言える。モデルには幅広い年齢層の作家やジャーナリスト、実業家やスポーツ選手らを多く起用した。「おじさんだってオシャレをしてもOKだと言いたかった。最近はやっとファッションを軽蔑する男性は時代遅れと言われるようになりましたけど」と振り返る。
昨年9月、夫で株式会社トリヰ社長の鳥居高雄さんを病気で亡くした。60周年や、デビュー以来120回目を記念する22年春夏の新作発表を目前に控えていた時期だった。鳥居は「誰にも知られずに」との故人の遺志を尊重して3週間、主に家族以外には知らせずに、新作の仮縫いやモデルの選定などをこなした。「公私共に良きパートナーで、一番の理解者でした。社員や誰かに言うと、自分が崩れそうでしたし」と明かした。
長く続けた仕事への厳しい姿勢は、和洋にかかわらず培ってきた感性や経験、そして何ごとにも前向きな天真らんまんさに支えられているようだ。「着る人がときめく気持ちになれますように。今後もマイペースで楽しみながら、自分のエネルギーで今を表現して生きていきたい」
編集委員・高橋牧子
ショーの写真はブランド提供