東京の台所2
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〈247〉53歳の大逆転。人生も夫婦も暮らし方も一変

〈住人プロフィール〉
61歳(女性)・自営業
分譲マンション・3LDK・南武線 矢川駅(国立市)
入居23年・築年数23年・夫(64歳、個人事業主)とふたり暮らし

    ◇

 コロナ禍、夫婦ともにリモートワークが始まってまもなくのころ。リビングで仕事をしている夫が言った。「お茶ちょうだい」

 彼女は夕方までに仕事を切り上げ、夕食を作る。その間、夫はソファでテレビやユーチューブを見ている。「ごはんできたよ」というと、のそっと起き上がりテーブルに着く。
 そんな生活が半年以上続いた2020年暮れ。彼女は「自分の中の何かがバチンと切れ」、爆発した。

 「こんなのおかしいと思う! 私は家事を何十年もひとりでやってきた。あなたと同じに仕事もある。あなたも家事をやってごらんよ! どれだけ大変かわかるから」
 しばらく沈黙したあと彼は言った。
 「週に1度でいいですか」

 最初は2時間かけて野菜炒めを作った。次第に長男が巣立ったあと買った電気調理鍋ホットクックで、レシピを調べながら鶏肉と根菜の甘酢炒めやクリームシチューなどを作るようになった。
 社会人1年目の娘は、そのたび「えーパパすごい! おいしいよ」と感嘆する。娘に弱い父は、顔をほころばせた。

 2021年3月、夫は定年退職を迎えた。彼の週1回の夕食作りはなんとか続いていた。
 「会社では黙っていてもお茶が出てくる。家に帰ればご飯が出てくる。仕事仕事で昔から家庭のことは一切ノータッチ。そんな人が週1でも台所に立つようになって。そこで初めて、ごはんが食卓に並ぶまでにどんな手間と工程があるか知ったんだと思います」

 しかし3カ月後のある日から、彼はぱったりと料理をしなくなる。
 「なんで?」と問うと、予想していた答えが返ってきた。
 「作りたくなくなった。君と一緒だよ」

 娘がひとり暮らしを始めた。家を出たその日から、何も作る気力がなくなったのだ。
 「じつは私もそうで。長男6歳、長女2歳のとき、このマンションを買いました。在宅で仕事をしながらずっと、塾や習い事の送り迎えの合間に夕食を作って、家族全員が別時間に食べるような毎日で。娘が就職すると、彼女の帰宅時間に合わせて夕食を作っていました。それが急に、29年ぶりにふたり暮らしになったので。そうなったとたん、なんだかご飯を作るモチベーションが湧かなくなっちゃったんですよね」

 今も、子育てが終わった喪失感にも似た心境は変わらない。だから食材は買い込まず、高機能オーブンや調理器などの調理家電を駆使してかんたんなおかずを作る。デパートで総菜を買ったり、ふたりで食べに行ったりすることも増えた。かつてのように大皿も出さず、使う食器もミニマムに。

 18時から、夫婦ともに好きな野球を見ながら晩酌を始めるのが日課だ。
 話し合って食事の用意は妻、片付けは夫になった。

 じつは、ちかぢかリビングダイニングのリフォームを考えている。
 「子どもたちが小さかった頃の食器が詰まった棚を処分して、スッキリさせたいんです」

 たしかに、キャラクター入りのお椀(わん)や小さなコップが、中央の食器棚にぎっしり詰まっていた。子どもが幼い頃連れてきた友達にもよく出していたというプラスチックスプーンは、いまだにすぐ手の届くワゴンに。
 出番がなくなって何年も経つ4人暮らしの名残を、そばに置いている彼女の気持ちが痛いほど伝わる。これは、なかなか覚悟のいる作業になりそうだ。

〈247〉53歳の大逆転。人生も夫婦も暮らし方も一変

忘れられない原風景

 バブル末期、1991年に31歳で見合い結婚をした。互いにメーカー勤務、夫は妻が仕事を続けることにも快く同意していた。
 しかし、SEの彼は激務で連日深夜の2時、3時に帰宅。新婚1年目はクリスマスも正月も一緒に過ごせなかった。スーパーやコンビニのシステム入れ替えや修理の担当で、作業が夜間や休日になるからだ。

 翌年妊娠。出産後、仕事が好きだった彼女は、会社で最初の育休取得者になった。だが、彼は帰ってこない。子どもができる前と同じ働き方のままなのは、その後彼女が職場復帰してからも変わらなかった。

 「今で言うワンオペ。その頃はそんな言葉もなく。まさに働きながら一人で育児をしていました。仕事を続けてもいいと言ってくれたけど、子どもが生まれると何がどうなるか、彼は何もわかってなかったんですね。ふたりとも両親が東京にいますが、どちらもなんとなく私が働くことに賛成でないと肌で感じていたので、ヘルプも言いにくくて……」

 平日は子どもが寝るまで息つく間もない。週末、夫のサポートを期待していると、当日「仕事に行く」と言い出す。
 せめて土曜くらいはと、何度もぶつかった。彼女が怒りをぶちまけると、彼はきまって黙り込んでしまう。

 最近、「なんであのとき何も言ってくれなかったの?」と聞いた。
 「僕が反論したら家庭が崩壊してた」
 目の前に子どもがいたにもかかわらず、怒りをぶつけてしまった。反論しなかったのは、彼なりの父親としてのぎりぎりの矜持(きょうじ)だった。

 「SEはみなそんな働き方をしていましたし、同僚の中でひとり育児があるから先に帰るとは言えない時代でした。60年生まれの私は、ワーキングマザーのはしりで、過渡期だったんですね。うちに限らず、子どもが熱を出しても絶対母親しか休めない。でも父親は平然と仕事に行くってのはどこも一緒だったんじゃないでしょうか」

 悩んだ末、彼女は長男が2歳の時、得意のパソコンを生かして在宅で働ける仕事に転職をした。
 彼女にとって、働かないという選択はない。その根底には、幼い頃の原風景がある。

 「父が母に、“誰に食べさせてもらってるんだ”ってよく言ってたんです。気に入らないことがあると“出てけ!”とか。母は一生懸命家事をしていたのに。子ども心に理不尽で、私は子どもを産んでも仕事を持って、家庭の外にも自分の居場所を作りたい、家事や育児以外にもやりがいを持ちたいと強く思いました」

〈247〉53歳の大逆転。人生も夫婦も暮らし方も一変

介護、突き刺さる母の言葉

 家でできる仕事というと幼い子を抱える母には好都合に聞こえるが、当時は雇用形態での在宅勤務は難しく、業務委託の出来高制で身分の保証はない。また、携帯電話もない時代なので、仕事の電話を受けるために、外出もできない。
 「今でこそ在宅ワークだリモートだってみんなやってますが、当時は完全に“下請け”のイメージ。なにをしても評価の対象にならないし、会社の事情を聞かされない。ただ言われた作業をやるだけ。やりがいは社員時代とは比べ物になりませんでした」

 夫は結婚しても子どもができてもキャリアを止めることはない。私だけなぜ仕事を変えなければならないんだろう。本当は会社をやめたくなかったという思いは、つねに心に張り付いていた。

 「だからけんかすると、“あの時やめたくなかった”ってつい出ちゃうんです。あるとき、“私がひとりでしんどかったとき、なんで助けてくれなかったの”って詰め寄ったら、“だってお母さんだから”。……怒りを通り越して力が抜けましたね」

 45歳。突然転機が訪れる。
 がんを患い、死を身近に感じた。入院仲間が亡くなっていくのを見ながら、自問自答した。──ただ与えられた仕事を家でじーっとこなすだけ。これは本当にやりたかったことだろうか? 

 次第に、蓋(ふた)をしていた感情が頭をもたげてくる。
 「やりたい仕事を続けられなかった後悔がまた膨らんできたんですね。そのとき決めたんです。子育ても手を離れつつある。この先は、後悔のない自分の人生を、自分主体で生きようって」

 寛解後、早速仕事を探し始めた。ハローワークで年齢を理由に相手にされなかった。ならば起業するしかない。地域の起業セミナーに通い、Facebookを駆使するなどして自力で地元のつながりを深めていった。

 まずはウェブの仕事を生かしてホームページ制作から始め、53歳で地域の起業支援を目的に、創業する。駅至近のビル内にレンタルスペースを開き、地域で開業する女性に向けたシェアスペース事業を主軸にした。また、起業のための多様な講座を企画。年齢や環境にとらわれず、生き生きと働きたい人たちのための学びの場を作った。

 事業の起点には、自分が長く悩みさまよい、後悔した日々がある。
 「私のように出産や育児のために何かを諦めることがないように。やりがいのある仕事をしたいけれどどうしていいかわからないという女性の力に、少しでもなりたいのです」

 仕事は8年目。女性スタッフ4人を抱え、年々事業は拡大している。
 家庭では、料理や家事ワークを夫とシェア。ネスプレッソのカプセルコーヒーマシンを置き、夫には「お茶が飲みたくなったら、ご自分でどうぞ」。互いに心地よい距離ができつつある。
 退職後ずっと家にいた彼も、地元のカフェや商店街に友人ができ、個々の交流が生まれている。

 先日、夫に穏やかな口調でこう言われた。
 「最近君と歩いていると、僕は“〇〇さんの旦那さん”って言われるんだ」
 30年余、呼ばれ続けた“◯◯さんの奥さん”が逆転していた。

 そんな彼女が、取材の後半一度だけ、顔を曇らせた。
 「4年前、実家の両親を同じマンションの別の部屋に呼び寄せて、毎日通って介護をしたんです。ふたりとも要介護の状態でしたので。仕事もあったからきつかった。そのとき、母に“女の子を産んでおいて良かった”って言われたのが忘れられなくて。“ありがとうね”は一度もなかった。親にとって女は、育児をして介護をするのが当たり前なんですね」
  
 女を人手の一つとしか見ていない。それを肉親から言われたショックはどれほどだったろう。

 子どもたちも立派に育ち、その何十倍も愛と喜びに満ちた半生だったに違いないが、だからといって、唇を噛(か)んだあれやこれやを他人事のように流せぬ気がした。とりわけ介護の場面で彼女の母が放った言葉は、深いところに突き刺さる。彼女が負ってきた傷は、彼女だけの痛みだろうか──。

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