マヨルカ陶器の産地に開館した「ムゼオ・ビトッシ」

レオナルド・ダ・ヴィンチ生誕の地、ヴィンチ村から南東に約10キロメートル、花の都フィレンツェの西約20キロメートルにあるモンテルーポ・フィオレンティーノは、イタリア屈指のマヨルカ陶器の産地である。そこに2021年秋、ミュージアム「ムゼオ・ビトッシ」が開館した。さまざまなデザイナーの創作を支援したビトッシ家の歩みを回顧する。
陶器産業が隆盛した三つの要素
ビトッシ家は、モンテルーポ・フィオレンティーノ(以下、一帯での呼称に準じてモンテルーポとする)を代表するマヨルカ陶器作りの一族である。
なぜこの地で陶器産業が隆盛したのか? 筆者の質問に、創業家の一員であるグイド・ビトッシ氏(72)は「三つの要素に恵まれていたからです」と話し始めた。

「第一はアルノ川です」。フィレンツェも流れるこの河川一帯では、陶器に欠かせない粘土が潤沢に採取できた。
「第二は、森に囲まれていたことです」とグイド氏。窯に用いる薪(まき)が豊富に伐採可能だったのだ。
モンテルーポ製マヨルカ食器や調度品は、ルネサンス文化を支えたメディチ家や貴族たちに愛用された。

グイド氏は続ける。「そして、第三は、アルノ川を用いた水運が可能であったことです」。ふたたび筆者が補足すれば、フィレンツェは15世紀初頭、リグリア海沿いのピサを支配下に収めた。それまで港湾を擁(よう)さなかったフィレンツェは以後、海洋貿易を推進する。1490年には、フィレンツェ商人フランチェスコ・デッリ・アンティノーリが、モンテルーポの陶器職人たちに対して独占買い上げ契約の締結に成功した。そうした経緯のなかで、アルノ川は下流にあるピサ港へとモンテルーポ製陶器を運ぶ水路になったのである。
オスペダーレ・インノチェンティのレリーフが大好きなので、作品の温かみが脈々と受け継がれていることを感じて嬉しくなりました。