東京の台所2
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〈248〉団地ご飯と読書会と、忘れ得ぬ女性の話

〈住人プロフィール〉
38歳(男性)・福祉施設職員
賃貸団地・3DK・京王線 つつじヶ丘駅(調布市)
入居1年・築年数57年・妻(41歳、会社員)とふたり暮らし

    ◇

 築五十数年の団地の一室で、不定期に読書会を開いている。団地に越す前から趣味でやっていたが、ここでの始まりは、敷地内の伐採計画が進んだことがきっかけだ。「木を守りたい」と説明会に集まった住人らと親しくなり、声をかけた。

 部屋のひとつが蔵書で埋まり、リビングにも巨大な書棚がある。そんな彼の提案に、読書好きのマイコさん・ミキヒコさん(仮名)夫妻や、会社勤めの独身女性Uさんがのってきた。彼を含め料理好きな参加者が多かったことから、自然と選書テーマにちなんだ料理を持ち寄り、わいわい食べたり飲んだりする会になった。

 「僕はポトフなどの煮込み料理やとうもろこしご飯みたいな炊き込みご飯をよく作りました。マイコさんはおいしいものを食べるのも作るのも好きで、とくにスパイスカレーは絶品でした。同じ団地だから終電の心配もいらない。夜更けまでおしゃべりが続いて、本当に楽しかったですね」

 2015年のある日、いつも明るく友達の多いマイコさんが彼に言った。
 「団地じゃないけど、私の友だちも誘っていい?」
 「もちろん」

 その日のテーマは「森」だった。
 新入りの女性は、持参した長田弘の『空と樹と』を朗読した。居合わせた数人が不思議そうに顔を見合わせるなか、マイコさんが言った。
 「長田弘さんの詩、前回、彼が読んだよ」

 2年後にふたりが付き合いだしてから、マイコさんに明かされた。「長田弘さんのときからふたりは付き合ったらいいって、ぴーんと来てたんだよね!」
 
 彼は懐かしそうに、当時を振り返る。
 「交際のきっかけもマイコさんなんです。あるとき、3人で深大寺へ散策に行こうって誘われて。途中で急に“用事がある”って言って抜けちゃった。あれも作戦だったんでしょうね」

 2020年、結婚。
 緑の多い団地の環境を捨てがたく、また蔵書を置ける新居を探しあぐねていたふたりに、マイコさんからメールが届く。
 『あなたの隣の部屋に空きが出たみたい』

 団地をこよなく愛するマイコさんは、ふだんから趣味のように空き部屋検索をしていた。
 団地は賃貸だが、部屋ごとにリフォームの具合や内装が異なる。自室より1部屋多い間取りで蔵書を置ける。緑ゆたかで静かな環境も手放さずにすむと、転居を決めた。

 誰よりも喜んだのは世話好きのマイコさんだ。
 「人と人をつなげるのが好きな温かい人で、なんだか僕らで3組目らしいです」

 その前年から、コロナ禍もあり読書会はオンライン中心になっていた。ある日マイコさんから、発病を知らされる。
 「読書会に参加しづらくなるかもって連絡が来て。乳がんとのことでした」

 夫のミキヒコさんは研究者で忙しい。おまけに家事全般が苦手だ。
 「団地の読書会のみんなで、じゃあミキヒコさんもサポートしようということに。料理ができない方なので、うちで一緒に温かいごはんを食べてもらったり、マイコさんに差し入れをしたり。おいしいものを食べるのが好きな人たちだから、大変なときでも食事の時間だけは病気を忘れてほしかった」

 マイコさんの入院中は、偶然Uさんの職場から遠くに病室が見えるとわかり、夜スマホの光を窓越しに照らして合図を送りあったこともあった。闇に揺れる小さな光の動画を、彼は大切そうに保存していた。

 2021年8月、44歳でマイコさんは永眠する。

〈248〉団地ご飯と読書会と、忘れ得ぬ女性の話

「心に来ますね」

 葬式の手伝いをした二日後。
 コロナが収まらないので読書会もしばらく休んでいる。会う機会が減ったのを気にした妻が言った。
 「ミキヒコさん、ちゃんと食べてないよねきっと。マイコさんが、食べることが大好きだけど生活能力はゼロなのって冗談半分でよく言ってたもんね。今日もお誘いしようか」
 「そうしよう」

 マイコさんの入院中から、彼をしばしば夕食に招いていた。
 その日は、シーフードピラフなど心づくしの料理を作った。材料のシーフードミックスは、「もう食べ切れないから」と晩年マイコさんから譲り受けたものだ。デザートは、彼女が好きだったカップアイス「MOW」に、妻手作りのあんこをトッピングした。
 
 ミキヒコさんは涙声になった。
 「久しぶりにこういうものを食べました。心に来ますね」

 そしてふと思いついたように提案した。
 「妻が愛用していた大きなストウブの鍋があるんだけど、ひとりでは持て余す大きさだからふたりで使ってくれませんか」
 「22センチのあれですよね。ちょうどうちに16センチの小さいのがあるから、交換しましょうか」
 「……まだ、料理をする気持ちになれない」
 「じゃあ、そのお鍋で料理を作るので、うちでご飯を食べましょう!」

 以来今日まで毎週1回、夕食を共にしている。ミキヒコさんはそれ以外の日はコンビニと外食だが、少しずつ自炊も始めたそうだ。Uさんも呼んでたまにミキヒコさんのためのミニ料理教室も開くこともあるという。

 「マイコさんは僕たちにとって特別な友達。だからできるかぎり彼も支えたい。ミキヒコさんがいらっしゃると、自然にマイコさんの話になって僕らの知らない彼女のエピソードなんかも聞ける。おかげでマイコさんのことをいっぱい思い出せます。むしろ、支えられているのは僕らのほうかもしれません」

 とはいえいまだに「心の整理がついてない。ぽっかり穴が開いたままです」。本来なら幸せいっぱいの新婚生活は、マイコさんの闘病を後方からそっと支える日々でもあった。短い間に奇跡のような出会いと、強烈な喪失を体験した彼はしかし、きっぱりと語る。

 「マイコさんだけでなくミキヒコさんもUさんも。30代を超えてから、こんなにも家族のような深いつながりを感じられる素敵な人たちと知り合えた。そして妻となる人までも。団地という場所を介して、小さな偶然の末につながれたことに感謝しています」

 私は強く思う。団地だからつながりあえたのではない。彼ら彼女らだからだと。

〈248〉団地ご飯と読書会と、忘れ得ぬ女性の話

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