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明石海峡をにらむ二つの三重櫓の威容 明石城

明石城の居屋敷曲輪(くるわ)跡から見上げる本丸南面

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は兵庫県明石市の明石城です。大規模で堅牢ながら、江戸時代初期、武家諸法度の発布後に新築が認められた異例の城です。その理由とは……。

【動画】明石城を歩く

全国に12棟しかない現存三重櫓のうちの2棟

JR明石駅のホームから見える、明石城の姿がかっこいい。いかにも鉄壁という高い石垣が一直線にそびえ、両端に二つの大きな三重櫓(やぐら)が建つ。二つの櫓は、全国に12棟しか残っていない三重櫓のうちの2棟だ。

圧巻の石垣は、本丸南面の石垣だ。明石城は東方から台地状にのびる段丘の突端付近を利用した城で、標高約25メートルの場所に本丸、その西側に稲荷曲輪(くるわ)、東側に二の丸と東の丸を置き、それぞれ高い石垣でがっちりと囲まれている。それらと本丸南側下段の三の丸や居屋敷曲輪、本丸北側の北出曲輪も含めた一帯が中堀で囲まれ、城の中心部となっていた。

明石駅から見る本丸南面
明石駅から見る本丸南面

西国街道と明石海峡の要衝 武家諸法度の後異例の新築

城は南向きに築かれ、明石駅がある南側が城の正面にあたる。明石駅のホームから見える圧巻の景観は、江戸時代にも明石城の「顔」だったのだ。城の南側には西国街道(山陽道)が東西に通り、さらに南側には明石海峡が広がっていた。明石城は、西国街道および大坂湾の出入り口となる明石海峡を押さえる要衝にあった。

現在、城の中心部は明石公園となっている。明石公園の正面入口となっている太鼓門跡が、明石城中心部へ至る正門だった。かつては太鼓門橋と呼ばれる約20×約5.5メートルの欄干のついた木橋がかかり、その先に高麗(こうらい)門があり、高麗門を抜けて枡形(ますがた)という方形の空間を右に折れると櫓門があった。太鼓門橋には現在も城門の土台となる石垣が残り、その形状をたどりながら城門を連想してみると、方形の空間を備えた大きな枡形虎口(こぐち)だったことがわかる。

太鼓橋門枡形
太鼓門橋枡形(ますがた)

明石城は、1617(元和3)年に信濃(長野県)の松本から播磨(兵庫県南西部)の明石へ10万石で入った、初代明石藩主の小笠原忠政(後の忠真)が1619(元和5)年から築いた。1615(元和元)年の武家諸法度後は城の改修や修繕にも江戸幕府の厳しい規制がかかり、城の新築は極めて異例。明石城は、江戸幕府の戦略的な意図があって築かれた特例の城といえる。

豊臣恩顧の西国大名を牽制する防衛拠点

1615(慶長20)年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川の世が到来した。しかし江戸幕府は豊臣恩顧の西国大名に対して警戒を続け、彼らを牽制(けんせい)すべく要衝に城を築かせている。明石城もそのひとつと考えられる。

明石城があるのは、関ケ原の戦い後に徳川家康の娘婿・池田輝政が築いた姫路城(兵庫県姫路市)と大坂城(大阪市)の間だ。1617年に築かれた尼崎城(兵庫県尼崎市)、大改修された高槻城(大阪府高槻市)などとともに、徳川方の防衛拠点だったのだろう。これらの城を直線で結べば、防衛線が見えてくる。

本丸南面、上段の石垣
本丸南面、上段の石垣

中堀を挟んで南東、西、南には武家屋敷が広がり、その外側には外堀がめぐっていた。外堀は残っていないが、絵図によれば、外堀の南側は現在の「魚の棚商店街」あたりまで及んでいた。

さらにその南側には町家が広がり、外堀の南辺と並行するように町人町の中を西国街道が通っていた。城の西端は明石川、台地続きの東から北側にかけては段丘の高低差を使いながら防御を固めていたようだ。西国街道は明石川の西側で一度北方向に折れるが、この道筋の両側にも町家が並んでいた。

内堀と太鼓門橋
中堀と太鼓門橋

壮大な中堀を眺めつつ、太鼓門を抜けて中心部に入っていく。現在の明石トーカロ球場あたりが居屋敷曲輪で、西芝生広場あたりが三の丸だ。

現存三重櫓は重要文化財 築城資材は転用か

本丸の四隅にはかつて四つの三重櫓が建ち、現在はそのうち南東端の巽(たつみ)櫓と南西端の坤(ひつじさる)櫓が現存している。ともに国指定の重要文化財だ。巽櫓は東西約9.03メートル×南北約7.88メートルで、高さは12.53メートル。1620(元和6)年に完成したが、1628(寛永5)年または1631(寛永8)年に焼失した後に再建された。

国指定重要文化財の巽櫓
国指定重要文化財の巽櫓

築城時の明石藩は明石、三木、加古、加東の四郡10万石を領有しており、忠政は三木城(兵庫県三木市)、高砂城(兵庫県高砂市)、枝吉城(神戸市)、船上(ふなげ)城(兵庫県明石市)の木材や石材を転用して明石城を築いたとされている。巽櫓は船上城からの移築と伝わり、船上城の天守だったという説もある。城下町に残る武家屋敷跡の織田家長屋門も、船上城の城門を移築したものだといわれている。

国指定重要文化財の坤(ひつじさる)櫓
国指定重要文化財の坤(ひつじさる)櫓

坤櫓は巽櫓よりひとまわり大きく、東西約10.94メートル×南北約9.15メートル、高さは13.28メートルに及ぶ。城内最大規模の立派な三重櫓で、天守が存在しなかった明石城にとっての天守代用の三重櫓だったらしい。徳川家の伏見城から移築されたという伝承も、幕府にとって重視された証しといえよう。

天守台。隅角部は「江戸切り」で整えられている
天守台。隅角部は稜線(りょうせん)をとがらせる「江戸切」で整えられている

本丸には天守台があるが、天守は建っていなかった。天守台はかなり大きく、東西約25メートル×南北約20メートルもある。熊本城の天守台とほぼ同規模で、五重天守が建てられるほどの大きさがある。

NEXT PAGE長さ380m、高さ20mの見事な石垣

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