モデルであり俳優。香里奈さんの、全力疾走し続けた20代(前編)

華やかな巻き髪をなびかせ、颯爽(さっそう)とランウェイを闊歩(かっぽ)する。クールでゴージャス、それでいてサバサバしていて……。
「これまでそういう役をたくさん演じさせていただきました。もちろん、それも私の中にあると思います。ですが、違った顔もある」
では、実際の香里奈さんってどんな人? 人気モデルに登り詰めた20代、俳優業への葛藤、そして30歳を前に決意したことを通し、「香里奈」を2回に渡り紐解(ひもと)く。
姉たちの背中を追って
三人姉妹の末っ子として生まれ育った。3歳でクラシックバレエを始めたのも、15歳でモデルの仕事を始めたのも、姉たちの背中を追ってのことだった。

「バレエは、頑張ったら頑張った分だけ結果がしっかりついてきた。できなくて怒られたことも、もう一度トライしてできると先生が褒めてくれた。それがうれしくて、負けず嫌いの性格に磨きがかかりました」
バレエの経験はモデルの仕事にも役立った。
「バレエは鏡の前で練習しますが、本番は鏡のない世界でどれだけ美しく踊り、きれいに見せるかが勝負。モデルも同じで、カメラの前で自分がどう見えているか、どう見せたらファッションが映えるのかを考えてポージングする。バレエを習っていなかったら、モデルはできなかったと思います」
「爪の大きさぐらいの小さな写真」から始まった
16歳で「赤文字系雑誌」と呼ばれた人気ファッション誌の一つ『Ray』の専属モデルに。トップモデルとして活躍したイメージが強いが、実は筋金入りの「たたき上げ」。
「最初は爪の大きさぐらいの小さな写真で。印刷がズレて目が四つになっていたことも(笑)。先輩モデルの方たちと一緒なら仕方がないですが、動物との撮影でピントが動物に合っていたときはへこみましたね」と笑う。まずは大勢の中で自分にピントを合わせてもらうように、次は一人での大きいカット、その次は巻頭特集で……。持ち前の負けず嫌いを原動力に、香里奈さんはやがて表紙を飾るまでに。
「悔しい思いはたくさんしたけれど、だからこそ頑張れたのかも」
今は、駆け出しのモデルもSNSを使えば自分で自分を発信することができる。しかし、香里奈さんがモデルとして歩み始めたころ、多くの人にその存在を知ってもらうのは雑誌か、その後香里奈さんの代名詞ともいえる『東京ガールズコレクション』などのショーぐらいしかなかった。

「雑誌の場合、写真家がいてライターがいて編集がいて、メイクやスタイリストがいて、モデルもその現場の中で一つの役割を担い、それぞれが力を尽くしてページを作っていく。私たちモデルは、スタッフさんが何を求めているのかを考え、求められている以上のものを出すように努める。私はそこで鍛えられ、それぞれのプロがひとつのものを作り上げる感覚がとにかく楽しかった。あの時代を経験できたことは、今につながる大きな財産になったと思います」
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人は年齢とともに考え方もやり方も変わっていくのが自然。今まで気が付かなかった現場の仕事や支えてもらっていることの意味を感じようになる。気づくことで人間磨きが掛かるものです。期待したい。
香里奈さんは大好きで又期待している俳優の一人。クールでありながら 美しさと知的な部分を兼ねた方だという印象だ。「だいすき」はとても強く心の中に残っている。人間は複数の顔を持ち専門に固執しない生き方が此から重要になる。香里奈さんには複数の面を思いっきり生きて欲しい。