銭湯や芭蕉思ひてすね洗う 水都・大垣、青春18きっぷぶらり途中下車

旅が好きだからといって、いつも旅ばかりしているわけにはいかない。多くの人は、人生の時間の大半を地元での地道な日常生活に費やしているはず。私もその一人だ。が、少し異なるのは、夕方近くにはほぼ毎日、その地域で昔から続く銭湯(一般公衆浴場)ののれんをくぐることだろうか。この習慣は地元でも旅先でも変わらない。昔ながらの銭湯の客は、地域の常連さんがほとんど。近場であれ旅先であれ、知らない人たちのコミュニティーへよそ者として、しかも裸でお邪魔することは、けっこうな非日常体験であり、ひとつの旅なのだ。
【動画】大垣の街は全国屈指の湧水帯に位置し、自噴井(じふんせい)があちこちにあって「水都」を自称する
「青春18きっぷ」の難所、大垣-米原間
娘の住む豊橋(愛知県)から神戸へのJR東海道線の道中、あまりに天気がよいので、大垣駅(岐阜県)で乗り継ぐ際、ぶらりと改札を出た。JRの特急や急行以外乗り降り自由の「青春18きっぷ」(1日乗り放題券5枚つづり、1万2050円)の旅も、年とともに長時間乗車がキツくなってきた。とはいえ、とにかく安いし気楽なので今も毎期必ず利用する。

18きっぷには乗り継ぎが不便な“難所”が何カ所かある。東海道線の場合、それは天下分け目の関ヶ原を通る大垣~米原(滋賀県)間だ。本数・1編成の両数ともに少なくて、18きっぷの使用期間は、時間帯によっては座れないことも珍しくない。
【動画】混んでも救いは車窓風景の良さ。米原→大垣間、北側に伊吹山の山容がよく見える
そこで関西への帰りは、時間があれば“難所”手前の大垣でいったん改札を出て、散歩や食事で気分転換したりする。「18きっぱー」(青春18きっぷユーザー)にとって大垣とはそんなポジションの街だ。
「ナンデモヤ」の三度笠と大垣城
駅前通りを少し下ったところで「ナンデモヤ」という大きな看板が目に入った。

荒物や小物が所狭しと並べられ、ぶら下げられた昔ながらの雑貨店で、その入り口近くにいくつもの笠が下げられていた。すげ笠や竹笠と並んで「三度笠」(1400円)もある。四国へ行くと笠をかぶったお遍路さんの姿をよく見るが、さすがに三度笠で旅をする人はまだ見たことがない。

そういえば大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」のむすびの地だ。芭蕉は旅好きにとって意識せざるを得ない人物、私も心のどこかに小さな芭蕉がいるのかも……などと思いながら笠を眺めていると妙に旅気分が上がって楽しくなってきた。その少し先でふと道の反対側を見たら……おやっ、商店街の隙間から遠慮がちに顔をのぞかせているのは、もしや大垣城?

行ってみたら、そのもしやだった。大垣城は関ヶ原合戦で西軍の石田三成が本拠とし、東軍と約1週間の攻防の末に開城した。現在の天守閣は再建された鉄筋コンクリート製で、城郭の大部分はすっかり失われ、こんなふうに商店街にひょっこりと隣接している。

奥の細道むすびの地
城の西側で外堀の水門川に出た。大垣散歩のメインはこの川だ。桜の季節は川岸に並ぶソメイヨシノが壮観となり、歩くだけで幸せな気分を味わえる。陽気のもと、川岸をぶらぶら歩いて下るうち、「奥の細道むすびの地」とされる船町港跡に出た。

この川港で当時46歳の芭蕉は大垣の友人らとの別れを「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ」と詠み、およそ2400km、150日以上に及んだ「奥の細道」の旅を完結させた。といっても電車に乗って自宅へ帰ったわけではない。ここから川船に乗って揖斐川(いびがわ)を下ると桑名に出る。「蛤」はそこの名物であり、「ふたみ」は伊勢の二見浦(ふたみがうら)を指す。ということで伊勢神宮の遷宮を見る旅に出発したのだった。旅から旅への股旅暮らし、あこがれはするけどなかなかマネできません。

今はなき「長寿湯」に導かれ、出会った酒
2005年に私が初めてここへ来た時、「むすびの地」の高橋交差点から川沿いを一筋だけ下った狭い路地を入ったところに長寿湯という古めかしい銭湯があった。それは珍しくも赤い外壁の銭湯だった。内部は伝統的な和の風情に満ちており、古いものが大切に手入れされ、積まれた丸籠の中では白くて大きな猫が丸まって眠りこけていた。残念ながら2012年に廃業してしまったが、ふと、そこが今どうなっているか見に行ってみようと思った。
- 1
- 2