〈251〉代官山に暮らす漫画家の、意外な昭和ライフ

〈住人プロフィール〉
46歳(女性)・漫画家
賃貸マンション・2DK・東急東横線 代官山駅(渋谷区)
入居9年・築年数48年・ひとり暮らし
◇
大学卒業と同時に漫画家デビュー。神奈川の実家近くでアシスタント3、4人を使っていた頃から料理好きだった。
以来24年の間に、漫画家の住環境はだいぶ変わったらしい。
「デジタル化でアシスタントさんが私の家に通わなくてすむようになった。大勢で働いていた頃は、広いアトリエが必要なのでどうしても家賃が安い郊外になっちゃうんですよね。今はそれを気にしなくていいので、漫画家も都心や好きなところに住める。だいぶ身軽になりました」
9年前は新宿区のある街に住んでいた。ビルトインキッチンのモダンなマンションだったが、ひっきりなしに救急車が往来し、「殺伐と」していた。
「極めつきは、交通事故が起きた交差点に供えられていたお花がある日なくなってて。翌日、“花泥棒へ。被害者はお前を呪っているぞ”と書かれた貼り紙が。ああもうだめだ。静かなところに越そうと決意しました」
目指したのはスタイリストの友人が住んでいて、よく遊びに行っていた代官山だ。穏やかで洗練された街の雰囲気に惹(ひ)かれた。
「家賃は上がりますが、一生で一度くらい代官山に住んでみたいなって思いきっちゃいました」
案の定、物件はどれも高い。そんななか「大家さんの条件が厳しくて、お客様誰にでもご紹介というわけにはいかないんですが……」と不動産屋がおそるおそる提示したマンションがあった。いわゆるワケあり物件だ。
駅から3分。築年数は古くエレベーターはない。しかしバルコニー付きの2DKで日当たりは最高、更新料は3年に1回(関東の通例は2年)、家賃は相場の半額ほどだ。さて、肝心な条件とは。
「ミシンを使わない、パーティーをしない、ダンスの練習をしないの三つにくわえ、立ち退きが決まったら、すみやかに応じること。大家さんも階下に住んでいらっしゃるとのことでした」
代官山で暮らす独身女性はアパレルデザイナーが多く、ミシンの振動が他の部屋に響くらしい。ダンスは芸能人の卵などが多く、自宅で練習するから。また立地柄、友達が集まりやすくホームパーティーをやりがちだ。40年余にわたって親子代々、そのマンションを守ってきた大家は、代官山ならではの賃貸人の習性を心得ていた。
台所の窓からは街を見おろせて眺めがいい。仕事場と寝室も分けられる。シンク周りのレトロなタイルの壁、瞬間湯沸かし器、塗装が剝(は)げかけた鉄の取っ手や格子の木製間仕切りも懐かしいデザインで魅了された。
「ぜひ住まわせてください」
かくして、予算よりリーズナブルに理想の住まいを手に入れることができた。
はたして古いマンションの不便さも、毎日顔を合わせる大家さんも、全員顔見知りの住人も、大きな病院やスーパーが少ない代官山という街も、全てが彼女にとっては「吉」と出た。

都会の田舎暮らし
「ブレーカーの容量が小さいので、ドライヤーを使うときはエアコンが使えません。だからお風呂でよーく温まってから出る。おかげで疲れも取れるし、炊飯器もブレーカーが落ちるので、鍋で炊くようにしたら早いし、おいしいし。電気ポットも無理。コーヒーは淹(い)れたてを飲めばいい。保温機能のある電化製品は全部処分しましたが、意外と不便じゃなかった」
前のマンションは24時間いつでも生ゴミを捨てられたが今は朝8時までに出す。もちろん夜は厳禁だ。
「大家さんは毎日マンションをお掃除してくださってるのでお会いします。エレベーターがないので、階段では誰かしらに会い、挨拶(あいさつ)や立ち話をする。互いに見知っているだけにルールを守らねばですし、ある意味、田舎のようなゆるやかな監視の目があるからこそ、互いに譲り合って快適に暮らせるんだと思います」
新宿のときのような大病院がないかわりに、個人経営の医院に行くと待たされずにすむ。昼間は街に外から遊びに来る人は多いが、夜はぐっと静かになる。
「22時過ぎに騒ぐと、ご近所に迷惑になる。東京のど真ん中なんですが、どこか田舎みたいな懐かしい暮らし方や人付き合いがあるんですよね」
上階にはバーのマスターが住んでいる。時々、酔っ払って階段で寝ていることも。
「疲れてるんだな。“お疲れさまでーす”ってそっと起こさないように脇を通ってゆきます」
隣は高齢の外国人で犬を飼っていて、留守中は他の階の住人が預かる。
玄関モニターも宅配ボックスもオートロックもない。けれど、もし退去が決まったら、次も断然古いマンションに住みたいと目を輝かせる。
「必要だと思っていたものがどれもなくても全然大丈夫だと気づいた。このマンションが建てられた頃の暮らし方をすればいいんだわって思ったら楽しくなっちゃって。同じ間取りなら古くて便利な設備がないほうが安いし、私は絶対そっちがいいです」
漫画家の1日
代官山は雑貨屋やファッションビルは充実しているが、日常使いの素朴なパン屋やスーパー、食品店が少ない。だから食材はもっぱら生協とネットの取り寄せだのみだ。
「注文前の月曜日は食材が切れるので、おうどんと乾物の日と決めています。冷凍うどんにカットのお揚げ、わかめ、卵を加えて。乾物のきくらげは卵と炒めるとおいしいですし、切り干し大根は煮物や、一夜でできるはりはり漬けにします」
1週間の食事のサイクルはこんな具合だ。
火曜日:生協配達
〜金曜日まで:自炊
土日:友達と外食
月曜日:うどんと乾物、冷蔵庫整理の日
1日の流れはというと。
11時:起床
12時:パンの軽食。ジム、ダンス教室、家事、料理
19時:夕食
20時:机のまわりをうろうろ。「仕事モードにするのに2時間かかります」
24時:仕事に集中
5時か6時:入浴、就寝
料理上手な母の影響もあり、とくに台所に立つ時間を大事にしている。
「私はいってみれば、仕事場に泊まり込んでいるようなもの。漫画家は全く料理をしない人とする人のふたつにわかれますが、私はやりたいタイプです。水に触れていると安らぎますし、仕事からの逃避であり楽しみであり気分転換、一日の切り替えでもある。忙しければ忙しいほど作りたくなりますね」
作れば必ず食べて消える。漫画は描いている時点では“こんなの誰が読むの?”と結果が見えず不安になることもあるという。だが料理は、毎回結果を可視化できるので達成感がある。
「漫画は単行本になるまでに3カ月かかりますが、料理は1時間で完結する。それも気持ちがいい」
仕事をしながら日がな一日もつ煮込みのアクを取ったり、小豆やおでんを煮込んだり、いちごジャムを作ったり。「在宅ならではの贅沢(ぜいたく)だなあと」
幼い頃から生のフルーツを絶やさず、おやつやデザート代わりに楽しむ家庭だった。その習慣はおとなになった今も身についていて、必ず生協で季節のフルーツを2種注文している。
「おやつにクッキーやチョコがほしいなと子どものときは憧れましたが、いざ自分で買ってみるとフルーツって高いのね。つねに豊富に用意してくれていた母の愛情をいまさらながらに感じます」
いくつになっても気づくことはある。素直な気持ちさえ持っていれば、暮らしから学べることもたくさんある。都会のまんなかで、ひと昔前の生活を実践する人は、少女のようにじつに楽しそうだった。

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玄関ドアの色が何とも言えずいいですねぇ。タイルのピンクも主張しすぎてない、ホッとした色合い。海外で60年代に建てられた三階建てアパートの一階に住んでますが、ほとんど手が入ってないので格安。古いけど、清潔。気に入ってます。
一人暮らしや夫婦2人なら、あれば便利だけれど、なくても何とかなっちゃうものってたくさんありますよね。会社員だと、在宅ワークでも宅配BOXは必須、保育園児がいるとデジタル家電も必須ですが、工夫次第で便利になる一人暮らしのお城、うらやましい気がします。
今は便利な暮らしに慣れてしまってるけど、昔は不便が当たり前でしたものね。不便を不便と思わず、楽しんじゃえばいいんですよね!私も一人暮らしをしていますが、不便を楽しめるように気持ちを切り替えます。
「住人プロフィール」の住人が誰のことなのかがわかりません。