瞳が語る画集 物語に耳を傾けて

『堀江栞 声よりも近い位置』
ギャラリーは洞窟のようだった。
画集である本書『堀江栞 声よりも近い位置』には、2021年3月に世田谷美術館、同年4月から5月に新宿の画廊で開催されたエキシビションの写真もあるのだけど、実際ふたつの会場に足を運んだ時に、ああここは洞窟だ、と思った。
前途有望な若い画家の展覧会を穴ぐら呼ばわりなんて、と怒る方もいらっしゃると思う。でもほめているつもりなのである。私にとってそこは物語の生まれる場所だからだ。
太古の昔、人は洞穴の中に絵を描いた。オーストラリア先住民の野外にある岩絵も、巨石の下や崖の陰にひっそりと描かれている。日中四方八方から見渡せるところで絵に没頭してしまうと動物や敵に襲われるから、見えない場所で描くって重要だったんだと思う。そして、お話も洞窟で生まれたといわれる。夜に火がたかれ、皆がそれを囲み、誰かが語り始める。大昔の人たちにとって、どんなになぐさめになっただろう。
堀江栞さんの絵に登場する人たちはそろいの服を着せられ(そう、彼らは皆どこか、「囚〈とら〉われた人」というイメージだ)、黒い背景を背負い、たたずんでいる。疲れていて、不安そう。動物の絵もいくつかあり、人間だと「ガンをつけている」と表現されそうな鳥のハシビロコウも、やる気満々でにらみつけているというよりくたびれて見える。猿や爬虫(はちゅう)類のビー玉のようなまなこはあまりに澄んでいて、なにも映していないみたい。少女が手にしているぬいぐるみはぼろぼろで、人形は古び、花は枯れている。
でも、打ちひしがれてはいない。彼らは皆、目がきれいな形をしており、口よりも瞳が、語るべき物語をたたえている。少年少女と、それより少し上の人たち。一目で中年とわかる男女や老人が絵になっていないことも気になる(私の頭には「大人は生き延びられなかった」という言葉が浮かんでしょうがないのだ)。
描かれた人、描かれなかった人、双方の物語が、作品を前にした人の胸に立ち上がる。
そして、これらそのものが洞窟なのだ、と気づいた。内側から光を放ってくる作品というと、絵画ではフェルメール、写真では青山裕企さんなどが思い浮かぶが、堀江さんの絵は薄闇を漂わせる。さきほど「囚われている」と書いたけど、彼女の暗がりはほの温かく、描かれた子供たちはもうこれ以上傷つかないようにここにとどめられ、守られている、という気もしてくる。
近い、遠いを超えて、この絵はたしかに私に届いた。

まむろ・みちこ
代官山 蔦屋書店 文学コンシェルジュ
テレビやラジオ、雑誌でおススメ本を多数紹介し、年間700冊以上読むという「本読みのプロ」。お店では、手書きPOPが並ぶ「間室コーナー」が人気を呼ぶ。