イタリア製シンバルの響きに秘められた「歴史」と「遠心力」

パイプオルガンによる繁栄と衰退
街と楽器の関係はどう始まったのか? ピストイアには17世紀からパイプオルガン製作者が現れるようになった。基幹部品であるパイプは、管に成形する前、鍛造工程を経なければならない。そうした金属加工技術をピストイアの職人たちは備えていたのである。
「私の祖先であるアントニオとフィリッポ両兄弟は18世紀、ルッカでオルガン製作を学んだあと、故郷ピストイアに帰ってきました」

やがて前述のトスカーナ大公国において、オルガン製作といえばピストイアの時代が訪れた。なかでもトロンチと「アガティ」は街を代表するオルガン製作者として名を馳せた。イタリアを代表するオペラ作曲家のひとり、ジュゼッペ・ヴェルディは、ピストイアから直線距離で約10キロメートル西の温泉地モンテカティーニ・テルメで保養中、トロンチ氏の大伯父と知り合っている。
「後年ヴェルディは、生地の教会にあるオルガンの修復を大伯父に依頼し、その出来に彼は大変感激しました」。大作曲家からの手紙は、今も館内に飾られている。
ただし19世紀末からパイプオルガン需要は徐々に減少してゆく。1883年、トロンチ社もライバルであったアガティ社と合併を余儀なくされる。その傾向は第1次世界大戦後に決定的となる。「最大の顧客であった教会の財力が縮小していったためです」とトロンチ氏は説明する。
ロトキャスティング製法
楽器工房の危機を救ったのは打楽器だった。19世紀末から地道に始められていたそれは、近代音楽と結びついた。例として、ジャコモ・プッチーニによるオペラ「トゥーランドット」のタムタム、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」に使われるアンティーク・シンバルといったエキゾチシズムを増幅するのに重要な役割を果たした。

1931年には、トロンチ氏の祖父ベネデットが、別の楽器製作所とともに共同の工房Unione Fabbricanti Italiani Piatti(イタリア・シンバル製作者協会)を設立した。これこそがユーフィップの始まりだった。工房は、第2次世界大戦後に会社組織へと改組され、さらなる発展を遂げた。

やがてユーフィップの存在を楽器業界に知らしめる技術が誕生する。1970年代初頭に考案された「ロトキャスティング(遠心鋳造)」である。溶かした金属を毎分1千回転でまわる金型に流し込む。それにより、鋳造中の不純物を外側へと追い出す。同時に独特の分子構造が生じるため、シンバルの耐久性が増し、時間の経過とともに独特の音色を実現する。
焼き入れ後の冷却には地下水を用い、完成後は2カ月倉庫内で休ませることで品質を安定させる。



モダンなシンバルも、連綿と続く鉄の郷土史に基づいたものだった。それを知って聴くユーフィップのビートは、以前より深い響きとなって筆者の心に伝わってきた。
(写真/UFiP,Fondazione Luigi Tronci 、大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)
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シンバルが思いの外、最近できたものであることを知りました。楽器ができるのにもいろんな歴史的背景があるのですね。