演劇人として、役柄形づくる一着 舞台衣装デザイナー・前田文子

舞台衣装を手がける前田文子(あやこ)は、演劇にミュージカルにバレエ、オペラと幅広いジャンルで引く手あまたのデザイナーだ。衣装で役を形づくるキャリア30年あまりのベテランは「私はデザイナーである前に演劇人」と語る。
台本読み込み 下着や普段着まで想像

「私がデザインしているのはキャラクターなんです。そこがファッションデザイナーとは違うところ」。台本を読み込み、演出家の意図に触発され、衣装のアイデアが生まれる。この役柄は優しいのか暗いのか。どんな下着を身につけ、普段の生活ではウエストをしめつけない服を着ているだろうか? 役柄の細かな部分に想像をめぐらせ、服のシルエットを決める。

デザイン画を描き、イメージに合う生地を選び、俳優の体にぴったりと合う一着をつくる。作品によっては、過去に制作され倉庫に保管された衣装を使うこともある。
大切にしているのは「作品をつくるいちスタッフである」という意識だという。「演劇の要素としてのコスチュームであり、私のファッションショーではないですからね」
生まれは北海道。演劇との出会いは、高校3年で友人に誘われて見に行った劇団四季の「オンディーヌ」(ジロドゥ作)だった。大学受験で上京したとき、東京・神田の書店で父親に買ってもらったジロドゥの戯曲全集は、今でも大切に持っている。
実践女子大の被服学科(当時)に進み、すぐに演劇部に入った。女優として舞台にも立ったが「あがり症だし、センスもなくて」。やがて衣装が面白くなった。本当の魅力を知ったのは、偶然見に行った舞台「王女メディア」で、日本の舞台衣装デザイナーの草分けである緒方規矩子(きくこ)の仕事を見たときだった。
贅沢(ぜいたく)な素材、洗練された色合いと質感。「こんなに素敵な世界があるのか」と心を動かされた。プロフェッショナルになりたいと思い、1988年に緒方に弟子入りした。
動けてなおかつ美しく 細部まで工夫
「その時代の服のシルエットをつかみなさい」と教えられたという。同じ18世紀でも、初頭と末期ではスカートの形が違う。服飾の歴史をこつこつと勉強した。現代劇では「今」を表現することもあるので、世相や街ゆく人の格好にも気を配る。

無理難題に頭を悩ませることもしばしばだ。熊川哲也のKバレエカンパニーが2019年に公演した「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」では、バレエを踊ることができる着物というデザインと、2カ月格闘した。
大柄な俳優を華奢(きゃしゃ)に見せるときは、素材を工夫する。ウエストの両サイドを光沢のないマットな黒にすると、ウエスト部分が削れたように痩せて見える。
こうした視覚効果を駆使しながら、的確に役柄を表し、きちんと動くことができて、なおかつ美しい衣装をつくり出す。

これまでに伊藤熹朔(きさく)賞、読売演劇大賞の優秀スタッフ賞、紀伊国屋演劇賞個人賞など数々の賞も受けた。仕事の依頼が途切れず、いつも複数の作品を同時進行する日々だ。数え切れないほどの作品を手がけてきても、自分の仕事に満足したことはない。どこか気に入らないところがあるものなのだという。
「一生に一度ぐらいは、これはすごく素敵だなと自分で思えるものをつくれたらいいですね」(長谷川陽子)