〈253〉リモートワークでも週1徹夜。彼女の次の選択の地は

〈住人プロフィール〉
46歳(女性)・会社員
賃貸マンション・1LDK・京王線 千歳烏山駅(世田谷区)
入居4年・築年数約15年・ひとり暮らし
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「リモートワークで楽になるかなと思ったら、今はコロナ前よりしんどい。週1回は徹夜してます。出勤したときは終電までやっても仕事が終わらない。広告の仕事は大好きなんですが、このペースから解放されたいという思いが日に日に強くなりました」
広告代理店に勤める彼女はこの春、故郷の島根に帰る。ひとり娘ながらもかつて上京や留学を快く勧めてくれた母が体調を崩したこと、ダメ元で受けた地元の公務員試験に受かったことが契機になった。
関東の国立大からアメリカへ留学。現地の日系新聞社で7年働いた後、33歳で帰国した。
「新聞の仕事もやりがいがあったのですが、このまま日本社会で働かずに終わっていいのかという疑問や、現実的には移民という立場は、家族がいないと不安定きわまりない。また、離婚して大変な思いをしている日本人も見ていたので。帰国は迷いませんでした」
東京では新聞社の派遣社員を経て、興味のあった広告制作の仕事に就く。最初は右も左も分からないので予算と広さの希望が見合う江東区の木場に住んだ。4年住んで、次は世田谷の下町に住みたくなった。
「木場には大きな商店街がないのと、雑居ビルが密集していてなんとなく“すきま”がない。もう少しのんびりした庶民的な街で暮らしたくなったのです」
千歳烏山は個人経営の店が多く、商店街が充実している。さらに、緑化と都市農業を促進している世田谷区の事業の一環で、農家の個人直売所があちこちにある。朝採れの野菜が100円で軒先に並び、代金を備え付けの容器に入れる無人販売だ。
「駅から3分のうちのマンションの隣が農家で、夏は朝、トマトやきゅうりを買いに行きます。駅前には八百屋やスーパーや西友もある。商店街でもらえるダイヤスタンプもけっこうたまったんですよ」
しかし、前述の通り今は料理の暇がなく「自炊についてはちょっと荒(すさ)んでいます」と嘆く。在宅なのになぜそんなに忙しいのか。
「リモートになってから、会えない分、資料が求められるようになりました。それもわかりやすく、が前提。会えば口頭で済むんだけど、わかりやすい資料作りってけっこう手がかかるんですよね」
土日は多少料理をするが、あとは「コンビニにお世話になっています。せっかく台所の広い部屋に越したのに、使いこなせないまま引っ越しになってしまいました」

愛ある“ダブルスタンダード”の母心
部屋のあちこちに、実家から送られてきた観葉植物や鍋や器が散見できる。未開封の宅配物があるので聞くと、「母のお古の健康器具です。どうせ帰るので開梱(かいこん)してません」とのこと。
46歳の娘を慮(おもんぱか)る母の思いは、率直なところやや過剰に感じられなくもない。そういうと、彼女は「じつは小さな頃から母の存在を良くも悪くも大きく感じていました」と語る。感謝と圧力と、そのバランスはときとともに変化したらしい。
「アメリカに留学したのは、高校時代の10カ月のホームステイがきっかけでした。市役所に勤める母が、たまたま同僚から娘さんをホームステイさせたという話を聞いてきて、あなたも行ってみたら?と。私はあの10カ月がなかったら地元の大学に進み、故郷を出ることは一生なかったでしょう。本心は、ひとりっ子の私に地元で公務員や教員になってほしいと願っている。同時に、女性も生き生き働いて社会で活躍するべきだとも思っている。そんな母は、私に外に出るきっかけをくれた人でもある。時々愛情が重く感じることもありますが、それ以上に今は感謝をしています」
アメリカで職を得たとき、母に冗談交じりに何度も言われた。
「あなたにホームステイを勧めたのを後悔している」
アメリカで10年、東京で13年、人生がふた回りして地元に戻ることになった巡りあわせを彼女は「人生わからないですね。結局、地元で一緒に暮らしてほしいという母の願いが叶(かな)うことになってしまったのでちょっと悔しいけれど」と笑う。
新聞、広告という畑を経て、次に公共の仕事に就く流れを、今は楽しみにしている。体調を崩した母のそばにいられることも安心だ。長時間労働でこのままではだめになると感じていたタイミングでの転機に、自身が一番納得しているようだ。
とはいえ、不安もなくはない。
「40代後半で、地元の田舎でパートナーが見つけられるかしらって。今まで独身ですが、パートナーは欲しいと思っているので」
じつはこのマンションに越したのは、男性運を開運させる狙いもあったらしい。
「結婚相談所に入会しておつきあいする人ができました。忙しい中でなんとか週1回自炊していたのは、この人がうちに来てくれていたから。餃子(ギョーザ)、すきやき、鍋。簡単でボリューミーなものをよく作っていました。でも私がUターンすることになってお別れすることに。田舎に私を受け入れてくれる物好きな男性がいるか、不安です……」
不安はよくわかるが、私は勝手に内心安堵(あんど)した。遠距離を存続させる気持ちがない男なら、悪戯(いたずら)に引きずられずにすんでよかった。
「持っていきませんか」とお気に入りのアメリカのスーパーのドライフルーツを私と本城さんにおすそ分けし、今度は自分が恩を返す番とばかりに母に寄り添う選択をした。そういう女性に次の出会いがないはずがないと私は信じている。
まずは夜は自分のためにあたたかなご飯を作り、東京で酷使した心と体を養生してほしい。恋はそれからだ。

リモートワークは自分のペースで仕事ができるので、のめり込んでしまって逆に通常勤務時より頑張ってしまいます。対面できないからこそ生じる配慮に案外苦労してしまいますよね。