母となべちゃん、最期まで続いた友情に。私からもありがとう

読者のみなさまから寄せられたエピソードの中から、毎週ひとつの「物語」を、フラワーアーティストの東信さんが花束で表現する連載です。あなたの「物語」も、世界でひとつだけの花束にしませんか? エピソードのご応募はこちら。
〈依頼人プロフィール〉
鈴木里香さん 55歳 女性
会社員
東京都在住
◇
今年の1月に母が亡くなりました。80歳でした。
父は3年前に他界しており、母は埼玉県深谷市で一人暮らし。カラオケの会や婦人会、お琴やビーズ手芸の会など、地域のさまざまな会で活動して、たくさんのお友達に囲まれる毎日を送っていました。
とりわけ、20〜30年来のつきあいになるなべちゃんとは親交が深く、ときには旅行に行ったり、ご飯を食べにいっておしゃべりを楽しんだり。活発で、ごくたまに気の強いところもあった母を、穏やかでおっとりした性格のなべちゃんが全部受け止めて、和らげてくれる。母にとってはそんな特別な存在だったと思います。
2年前、その母が膀胱(ぼうこう)がんと診断されました。診断時は軽症でしたが、思いもよらず進行してしまい、地元の病院では手術ができないということで、東京の病院に転院。膀胱全摘の手術を受け、いったんは自宅で静養しながら生活していましたが、みるみるうちに普通の生活ができなくなっていきました。
仕事があるため週に一度しか深谷市に帰れなかった私に代わって、なべちゃんは買い物や庭の草むしりをしてくれたり、母の好きな寒天ゼリーや食べられそうなお総菜を作って持ってきてくれたりと、母の、そして私の心の支えにもなってくれていました。私が「東京で一緒に暮らそう」と言っても、「なべちゃんがいるから大丈夫」と何度母に言われたことか。
なべちゃんは70代。夫と犬と暮らし、健康維持のために週数回は近くにあるホテルのレストランのバックヤードで調理補助をしています。若い時に介護の仕事をしていた介護のプロなので、気の利かない私と比べて、母にとっても本当に頼もしい存在だったのでしょう。
やがて母の病状はますます悪化し、昨年12月、ようやく東京の私の家の近くに転居することを決断。東京に越してからはほとんど寝たきりとなってしまい、ここで最期を迎える準備をしているように見えました。
東京に引っ越してからも、しばらくは何人かのお友達から電話があったようです。でもそれもだんだんと少なくなるなか、なべちゃんだけは定期的に電話を入れてくれて、母の話し相手になってくれていました。
その母が亡くなったのは1月半ば。母を見送ったあとしばらくして携帯電話の通話履歴を見ると、最後の通話は1月1日、なべちゃんからの電話でした。なべちゃんの存在に、私と母が救われたことをあらためて思い出し、何かの形でお礼を伝えたいと思うようになりました。
母が生きていたころ、実家の玄関を入ったところには大きな花瓶があり、帰省するといつもそこに花が生けられていました。母もお花が大好きでした。なべちゃんと天国の母のために、お花を贈っていただければと応募しました。

花束をつくった東さんのコメント
ふんわりやさしいなべちゃんをイメージしながら、ピンク系のお花を束ねました。アレンジの主役は、5月になるとお花屋さんの店先で見かけるようになる丸い花がかわいいシャクヤク。変わり咲きのバラや、ラナンキュラスなどの季節のお花もちりばめています。
こう見ると同じピンクでも、サーモンピンクや桜色など、お花それぞれの色がありますね。花びらが反り返るように咲くガーベラもあちこちで顔を出しているほか、周りは八重咲きのトルコキキョウでふんわりと囲んでいます。
なべちゃんのやさしさに、私からも敬意を込めて。




文:福光恵
写真:椎木俊介
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