サステイナビリティは砂ぼこりと共に

「立地」は商いをする人にとって永遠の課題である。イタリアで有名ブランドの多くは、ミラノのモンテナポレオーネ通りに店を構えることを夢みる。しかし、ここに紹介するエマヌエレさんは知名度が上昇しても、故郷の村をベースに自らのアパレルのレーベルを展開している。そして時代のキーワード「サステイナビリティ(持続可能性)」を、みずからの流儀で実践中だ。
村への熱い帰属意識から
イタリア中部キャンティ地方は、「キャンティ・クラシコ」ワインの生産地である。その認知度と裏腹に、域内の村々は素朴そのものだ。
ガイオーレ・イン・キャンティ村(以下ガイオーレ)は面積約128.9平方キロメートル。東京都の大田区と世田谷区を合わせたより、僅(わず)かに大きい。しかし人口は2600人にとどまる。1平方キロメートルあたりの人口密度も約20人にすぎない。23区で最も密度が低い千代田区でさえ5728人だから、いかに人口が少ないかを想像していただけるだろう。

そのガイオーレに1軒のブティックがある。
外壁にはロードバイクが何台も立てかけられている。店内で最初に目に飛び込むのは理髪店の古い椅子だ。ほかにも薪式のオーブン、家庭用ラジオ……と、都市部では見られなくなった物が飾られている。それらの隙間に、楽しそうに自転車に乗る人々がプリントされたTシャツが吊(つ)るされている。買い物を楽しんでいるのは、外に置かれたロードバイクの持ち主たちだ。

ブティックのオーナーはエマヌエレ・ネピさん。1973年生まれの彼は、かつて製材所を営んでいたが、建設不況の煽(あお)りを受けて行き詰まった。
2013年、40歳のときだった。失意のなか再起の手段に選んだのはファッションだった。地元で知られる老サイクリストの写真をベースにしたTシャツをプロデュースした。古い自転車を題材としながらも、若者たちがナイトスポットに着ていってもらえるデザインを目指した。翌2014年ブティックを開店すると、彼のTシャツは少しずつ話題となり始めた。

実はエマヌエレさんの心には、ガイオーレの村が選んだ施策への強い賛意があった。
ひとつは1997年から村を起点・終点に始まった自転車イベント「エロイカ」だ。1987年までの車両に限定したレトロ自転車走行会である。ルートの大半は未舗装路だ。趣旨には「疲れることの素晴らしさと達成の喜びを再発見し、過去を見つめることで、未来の自転車界とスポーツを実感しましょう」と記されている。

エマヌエレさんは「製材所時代、木を扱うことで手先が器用になると同時に、労苦とは何かを体得できました」と振り返る。根っからのデザイナー出身でなかったからこそ、体を動かして果たす喜びと自転車に共通点を見いだしたのに違いない。事実、彼のブランド名「ホワイトローズ(White Roads)」は、砂ぼこりにまみれ、走るのに苦労を伴う砂利道をイメージしたものだ。
もうひとつの村のムーブメントは「チッタスロー(CittaSlow)」である。
1999年、当時の村長が旗振り役となったもので、スピードや競争、グローバル化とは異なる価値観を発見することを目的とした。人口が減少しても、景観や自然を新しい住宅や企業誘致、道路建設といった都市化に委ねないことを定めた。村への辿(たど)りつきにくさを、逆に価値と捉えたのである。
実際に今もフィレンツェ空港からガイオーレまでは車でも1時間以上、列車とバスを使うと優に3時間以上を要する。チッタスロー運動は後年、イタリア全国に広まった。米国の経済誌「フォーブス」によって、2008年にガイオーレが「ヨーロッパで最ものどかに暮らせる場所」の1位に選定されたことも、村が知られるきっかけとなった。懐かしい砂利道と数百年来変わらぬ風景を求めて、世界中のサイクリストたちがエロイカ期間以外にも集うようになった。
そうしたなか、自転車のある、ゆったりとした生活を取り上げ続けたエマヌエレさんの「ホワイトローズ」は、さらに脚光を浴びた。
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最近話題のエコ・サスティナビリティ。
使えなくなったものを商品として蘇らせるのは素晴らしいですね。
サイクリストではないけれど、行ってみたい。