東京の台所2
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〈255〉50歳で選んだ別居婚「第二幕」

〈住人プロフィール〉
50歳(女性)・派遣社員
賃貸マンション・2LDK・東西線 西葛西駅(江戸川区)
入居6年・築年数20年・ひとり暮らし(夫〈48歳・会社員〉別居中)

    ◇

 夫の転勤で2〜3年単位で引っ越しを繰り返してきた。承知で結婚し、勤めていた会社を辞めて付いていくことに抵抗はなかった。だが、知らない土地でだんだんふたりだけの生活が辛(つら)くなってきたのだと彼女はいう。

 「最初は楽しかったんです。私は仕事の内容がどうこうというより、とにかく体を動かして働くことが好きなので、行く先々で、パートを見つけました。もちろん本当は社員がいいけど転勤生活では無理ですから。お土産屋さん、ジムの受付、役所の事務。でも夫がだんだん尊大と言うか、“稼いでいるのは自分”という態度が大きくなっていったのです……」

 夫曰(いわ)く、パートしかしていないんだからもっとやれることがあるんじゃないか? 休みでも昼からビールを飲むな。
 また、パートの残業で30分遅くなったら、たまたまいつもより早く帰宅していた彼がスーツ姿のまま何もせずに待っていて、「遅くなるなら連絡しろ」と激怒されたこともある。

 「私も彼もお酒が大好きですが、彼はだらしなく見えるからと休日でも昼は絶対に飲まない。私は土日に何もしなくてもいいように平日の朝、出勤前に毎日掃除をして、作り置き料理や家事もやっておく。そして休日はゆっくりしたいのですが、彼はそれも嫌だったようです」

 家事の全ては彼女が担っている。しかし、彼はその姿を殆(ほとん)ど見ていない。会社から帰宅すると、パートから帰った妻が酒を飲みながらソファでくつろいでいる。その姿にイライラ。冷蔵庫のつまみやおかずは、隙間時間に作り置きしているのだが、何もしていないように見えるのだろう。

 「私が“好きで新卒の会社を辞めて、パートをしているんじゃない”って言ったら“付いてきてくれとは頼んでいない”。元々、月1、2回会う程度の付き合いのときに彼の転勤が決まり“新しい土地にひとりで行きたくないから”と言われて結婚したんですが……。いつか関東に戻ったら絶対ちゃんと就職しよう、そしてもうどこにも付いていかないし、お金を貯(た)めて離婚しようといつからか心に決めるようになりました」

 結婚11年目の2015年、念願の東京転勤が決まった。やっと戻れる。彼女は満を持して人材派遣会社に就職する。
 仕事の内容にはあまりこだわらない。それよりひとつのプロジェクトのために皆で力を合わせ、終わったら打ち上げに行くような人間関係の会社で働くのが好きだった。
 「かつて新卒で入った会社も、職務は好きでも嫌いでもなかったけれど、上司や同僚と仲が良く楽しかった。東京で再就職できた会社も、縦横の人間関係が心地よかったんですよね」

 東京に来てからも夫の態度は変わらず、体調が悪くて寝込んでも「精神が弱いからだ。甘えるな」と言うので、横になれなかった。だめでだらしない人間という見下した物言いをされ、「夢はないの?」とたびたび聞かれた。仕事も習い事も、1カ所に定住できなかったから望めなかった事情は棚上げされている。

 上京3年目。
 再び彼に地方赴任の辞令が下りる。もう付いていくという選択肢はない。
 貯めた金で自分の住む部屋を決め、弁護士を雇い、離婚を切り出した。別れるのだからこの2LDKは解約しよう。もう部屋を決めてきたのでと。

 すると彼は「離婚したくない」と静かに泣き出した。
 「弁護士さんに、“旦那さんがこんなに反省していらっしゃるので”と説得されるありさまで、本当に困惑しました」

 泣いて謝るようなタイプではないので驚いたが、引くわけにはいかない。11年間耐えてきたのだ。

 離婚して。したくない。平行線の話し合いの末、彼に「じゃあせめて別居婚でいいし、家賃は出すからこの部屋にいてほしい」と提案された。
 
 だったらと気持ちが動いた。当時を振り返るといくつかの気持ちが交錯している。

 「私もフルタイムで働きだして、外で働くことの大変さを理解できるようになった。彼は残業が多くても愚痴を言わない。彼なりにストレスもあったんでしょう。私は体調を崩して休むこともよくあるけど、彼のように風邪を引いてでも会社に行く自分に厳しい人からしたら、だらしなく見えたんだろうなと。そういう仕事への向き合い方は尊敬していました」

 ひとり暮らしのために契約していた部屋は古く、ドアはチェーンもない。蹴飛ばされたらかんたんに開きそうな安普請なうえ、女性専用と言われていたのに、実際は両隣が男性だった。
 「いきごんで就職して、別れる気満々で部屋を見つけたのに、派遣社員という属性と私の月給で紹介される部屋はどこも暗くて狭くて。最終的に決まったのもまぁすごい部屋でした。現実を知ったというのが、じつはいちばん大きかったかもしれません。彼が家賃を払ってくれて、たまに会うだけならいいやと思えました」

 もうひとつ理由がある。彼は彼女の手料理をいつもおいしそうに平らげる。どんなに機嫌が悪くても、彼女の豚肉の生姜(しょうが)焼きさえあればOKという一面があった。
 「独身時代は月1、2回のデートがちょうどよかった。別居婚でそんなペースで会うなら、食べたり飲んだり、好きな料理をふるまう相手としては楽しく過ごせるんじゃないかなって」

 以来、別居婚3年。
 じつは来月、彼女はマンションを引き払い単身、故郷に帰る。
 コロナ禍で派遣の仕事が縮小、会社の状況を察して辞めていく仲間が出始め、自分も東京に区切りをと思った。

 と同時に、コロナ禍でこの2年は会社と家の往復になり、好きな骨董(こっとう)市や仲間との飲み会、家で手料理を振る舞うこともなくなった。
 「だったら、家賃の高い東京でなく、田舎に引っ込んでも同じじゃないか。東京で遊びたかったら休日にいけばいい。あちらで働いて、狭い家でもインテリアを整えて、慎(つつ)ましく楽しく暮らしたくなったのです」 

 彼には、「田舎は安くて広い家がいくらでもあるので、もう生活費の援助はいらない。その分貯金してね」と伝えた。  

〈255〉50歳で選んだ別居婚「第二幕」

「自分の人生を誰かのせいにしたくない」

 彼は受け入れたが「君は寂しくないの?」と何度も聞かれた。
 「根が寂しがりやで、本当はひとりぼっちになりたくないんでしょうね」

 今後もふたりで暮らすつもりはない。月に2泊ほどの今の生活が快適だといいきる。
 いっぽう彼のほうは、この先どう気持ちが変わるかわからない。

 彼女に、新しい出会いがあったらどうしますかと尋ねた。
 「その時の気持ちに身を任せます。こういうケースは誰にも理解されないでしょうけれど」
 そして自嘲気味にこうつぶやいた。「結局自分には離婚するだけの気概がない。甘ったれなんでしょうね──」

 かつて離婚を切り出したとき、家具や器や調理道具のほとんどを処分し、以降も荷物を整理、ミニマムを心がけてきた。いつでも身軽でいたかったからだ。

 自分で棚を作り、必要最低限の調味料やツールを収納している。大好きな器も、コロナ禍で来客もないのでマグやグラスを処分。取材時も紙コップであった。
 「お片付け動画を見ていたら面白くて、断捨離をしたり、収納の工夫をするようになりました」

 「私は真面目な夫に比べてズボラで雑なので」というが、朝は弁当を作り、掃除をしてから出勤する。月2回まとめ買いをして、平日の夜に作り置きをする。青ねぎ、玉ねぎ、油揚げ、きのこは刻んで冷凍。ほうれん草は茹(ゆ)でて、トッピングのしらすも常備。それらをジッパー付き袋に平らにならし、整然と立てて冷凍していた。
 「ひとりならこれだけあれば、何かしら常備菜が作れます」

 酒は「飲みすぎるので」とあえて毎日飲む分だけを買う。夕食に缶ビール1本と泡盛か焼酎1杯で終わりだ。

 台所のすぐ手の届く棚に、初めてひとり暮らしを始める二十歳のときに買った料理雑誌『レタスクラブ』があった。読み古したそれにはていねいにビニールカバーがかけられ、たくさんの折り目やシミがある。特集名は「初めてのお料理レッスン帳」だ。

 「お料理本はいろいろ持っているんですが、こればかり見ちゃう。二十歳の頃から何百回と読んでいてきんぴらとか暗記しているのに、なぜか今も開いて確認してから作るんですよね」

 私が見る限り、彼女は雑でもずぼらでも、甘ったれでもない。彼には彼の言い分もあるだろうし、自分の理想を求めすぎる人なのかもしれない。
 ふたりのように気質や暮らし方の違いが、将来を分けることもある。

 故郷では、実家のそばに住むがひとり暮らしだ。部屋を決めたり準備があるので今は毎月帰省している。すると先日、母親に電話で「毎月会えるから嬉(うれ)しい」と涙ぐまれた。

 「結婚してからずっとすごく離れたところを転々としてきたので。母も寂しかったんだなあって。東京はもういいです。お金がないと楽しめない街だなと思う。だからといってそういうところが嫌ではまったくないので、ちょくちょく遊びに来たい」

 今思えば、東京卒業は、おない年の従兄弟(いとこ)を2年前に亡くしたことも大きいと述懐する。人の命には限りがあるのだと痛感した。
 「だから自分の人生を生きたい。もう人のせいにしたくないのです」

 合わないと思うことがあっても、誰もが離婚してひとりで生き生き素敵な部屋で新たな一歩を踏み出せるわけではない。見知らぬ土地でパート勤めを余儀なくされた彼女がそうだったように、経済的に独り立ちが難しい女性はいくらでもいる。長く働ける仕事を望めない転勤妻は、何が後ろ盾になってくれるんだろう。支え合うべき存在の夫と、相性が合わなかったら……。

 さまざまな事情で離婚を選べない、または選ばない人もいる。多様化した社会では別居婚はひとつの新しいスタイルともいえそうだ。そこからは歳月が彼女をどんな道に導くのか。何年後かに会ってみたい気がした。  

〈255〉50歳で選んだ別居婚「第二幕」

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