沖縄最後の「ゆーふるやー」中乃湯再訪・コザの街歩き

「洋裁屋のときは忙しかったさー、女の子たちが米兵のパーティーに着ていく服をたくさん縫った。お金は米兵がいくらでも出してくれるのさ。あんな時代はもう来ないさー」
1970年に結婚、その相手が中乃湯の店主だった。だが夫は1984年に亡くなり、以来、シゲおばあは女手一つで子どもを育てながら中乃湯を営んできた。
沖縄おでんで泡盛を
シゲおばあに「また来ます」と告げて中乃湯を後にし、コザ十字路のほうへぶらぶらと歩いて、古そうな沖縄の伝統家屋のおでん屋を見つけた。まずはオリオンビール、そして沖縄おでんにはテビチがドンと入る。豚の足先など本土では見ることさえめったにないが、これがまたトロトロと形容しがたいうまさで、隅々まで残せない。泡盛をロックで注文すると、とっくりに入った泡盛が大量の氷と水とともに出てきた。もう湯上がりの幸福度が果てしなく上がってゆく。
十分に酔っ払ってから店を出て、ふらふらと坂を上る。夜でも花の香りがあたりに漂っている。ゆっくり時間をかけて坂の上にある民宿にたどり着き、深い眠りに落ちた。

母なる井戸群とゆーふるやーの跡
コザは米軍のキャンプ・コザができるまでは越来(ごえく)村だった。越来には14~15世紀ごろから琉球王家のグスク(城)があり、のちの国王らが王子時代に領有していた。中乃湯の少し北、石灰岩の丘の上に城跡の一部が残っていて、国の名勝「アマミクヌムイ」の一つに指定されている(アマミクは琉球国の国土創造神、ヌムイは「の森」。琉球古謡集「おもろさうし」で越来グスクはアマミクが作ったと歌われていることによる)。
私が泊まっている民宿はその城跡の向かいにあり、朝起きて窓を開けると、越来グスクの拝所(うがんじゅ)が目の前でうっすらと朝焼けに染まっていた。

城跡を散歩し、少し足を延ばした。グスクの丘の頂上付近は小学校と中学校になっている。その裏手に、コンクリで固められた立派な井戸の跡がある。石川井(イシガー)と呼ばれる公共井戸で、1997年の補修時に建てられた立派な石の説明板によると、越来地域の産井戸(ウブガー)で豊富な湧き水があり、拝所にもなっていたらしい。

その向かい側に、すでに廃業したゆーふるやーの建物がそのまま残っている。うっすらと「越来湯」の文字と温泉マークが見える。立地から考えて、おそらくはイシガーの湧き水を利用した銭湯だったのだろう。


その少し先にも「ヒジュルガー」という井戸があった。これらの井戸には説明板が建てられ、大切にされている。神戸での日常生活で私は文字通り「湯水のごとく」当たり前に湯水を使っているが、ここではこれらのささやかな井戸がまさに生命の水であったことをひしひしと感じさせられる。

鉄条網に守られる御嶽
中乃湯の東、100メートルほどのところに小さな丘がある。階段を上ってみたら、丘の上に安慶田御嶽(うたき)があった。御嶽は沖縄の聖地で、ここでは火の神、御嶽神、天地神の3神が祀(まつ)られている。本土の地域の神社と同様、子どもたちの遊び場にもなっているようで、丘の上には手作りの古びた遊具もいくつか置かれていた。が、異様なのは祠(ほこら)が鉄のフェンスで囲まれ、鉄条網まで張られていることだ。こういう光景は本土の神社ではまず見ることはない。

本土復帰から半世紀。沖縄の抱えるさまざまな問題については、本やニュースで知識として知ることはできても、本土の人間が肌感覚で理解し共感することは簡単ではない。でも一つ確かなことは、私が沖縄にとてもひかれていて、用事もないのに年に一度は行きたくなって、我慢できずにこうして来てしまうことだ。なぜ沖縄はこんなに魅力的なのだろう。本当に自分でも謎だ。
さて、そろそろ中乃湯が開く時間が近づいてきた。今日も中乃湯で地元の人らと一緒に風呂に入ろう。ちょっと不便なカランで汗を流し、温泉でスベスベになろう。そして湯上がりの風に吹かれ、シゲおばあとゆんたくしよう。コザに中乃湯がある限り、そこに私の好きな沖縄があるから。
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【中乃湯】
沖縄県沖縄市安慶田1丁目5-2
営業時間 14:00~18:00 木・日曜定休
*変動している可能性があります

本連載の著者・松本康治さんが、全国のレトロな銭湯や周辺の街を訪ねたムック本「旅先銭湯」は、書店やネット、各地の銭湯で販売中。松本さんは「ふろいこか~プロジェクト」を立ち上げ、廃業が進む銭湯を残したり、修復したりする活動も応援しています。
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確かに沖縄には銭湯のイメージがないです。マリンスポーツの後はゆっくりお湯に浸かりたくなるのですが、なかなかそういう場所が見つからなかったのでとても良い情報をいただきました。銭湯で、しかも天然温泉となると行く以外の選択肢はありませんね!
すっかり寂れたコザの商店街の写真、とてもいいですねぇ。歩いてみたい。
脱衣所と浴室の仕切りがないことは、台湾では北投にもあります。最初は不思議だと思うし、そしてやや不便だと思ったが、今回の連載を読んだと、「ああ、なるほと」と感じさせました。もしかしては、南島の温泉の流儀かもしれません。
今回も銭湯と美味しい物のお話、楽しく拝読しましたが、それよりも、沖縄と井戸、水の大切さについて考えさせられました。こういう小さな発見から自分の生活も顧みたいですね。
沖縄だけでなく、日本中のどこにでもあった地域の特長的なお風呂屋さんが時代とともに、無くなっていくのでしょうね。銭湯の楽しみが、趣味だけではなく文化への慈しみに替わっていく瞬間ですね!
シゲおばあに会いに行きたくなりました。脱衣所の仕切りがないところ、湯治場の銭湯などは本州でも割とあるような気がします。