沖縄最後の「ゆーふるやー」中乃湯再訪・コザの街歩き

旅が好きだからといって、いつも旅ばかりしているわけにはいかない。多くの人は、人生の時間の大半を地元での地道な日常生活に費やしているはず。私もその一人だ。が、少し異なるのは、夕方近くにはほぼ毎日、その地域で昔から続く銭湯(一般公衆浴場)ののれんをくぐることだろうか。この習慣は地元でも旅先でも変わらない。昔ながらの銭湯の客は、地域の常連さんがほとんど。近場であれ旅先であれ、知らない人たちのコミュニティーへよそ者として、しかも裸でお邪魔することは、けっこうな非日常体験であり、ひとつの旅なのだ。
この連載を始めて1年が経ちました。この間にも、長く営業を続けてきた多くの銭湯が各地でのれんを下ろしました。銭湯が1軒もなくなった街が増え、昔ながらの銭湯にぶらりと立ち寄る旅のスタイルそのものが存続の危機に瀕(ひん)しているといえます。が、消えゆく銭湯を支えたい、引き継ぎたいと考える人たちも現れています。今を、これからを生き続ける銭湯の旅を続けてまいります。引き続きご愛読よろしくお願いいたします。
【動画】脱衣場と浴室が一体となっている中乃湯の内部
60年代、300軒以上あった「ゆーふるやー」
沖縄には多くの観光地があるが、私にとっては、いるだけで楽しい場所だ。ぶらぶらと散歩し、そのへんの食堂で「そば」や「煮つけ」や「おかず」を食べ、夜になれば刺し身や「スーチカー(豚三枚肉の塩漬け)」で泡盛を飲む。それだけでもう楽しくて仕方がないのだが、唯一残念なのは、風呂屋が少ないことだ。

本島では那覇とともに、必ずコザ(沖縄市)で数泊する。那覇空港に着いた足でコザ行きのバスに乗ってしまうこともある。それはひとえに中乃湯へ行くためだ。コザの中乃湯は、沖縄に残る最後の一般公衆浴場(銭湯)。沖縄では昔からの銭湯は「ゆーふるやー」と呼ばれ、最盛期の1960年代には離島も含めて300軒以上のゆーふるやーがあったという。それが水道やシャワーの普及とともに激減し、2014年にはとうとう中乃湯ただ1軒となった。私は沖縄と、中乃湯と、中乃湯を一人で切り盛りする「シゲおばあ」こと仲村シゲさんが好きで、何年か前から毎年のように訪ねている。

地下300メートルからくみ上げる天然温泉
1974年まではコザ市だった沖縄市の中心部は、大まかに胡屋(ごや)とコザに分かれている。といっても2㎞も離れていないが、かつては白人米兵が多く集まり今もにぎやかな繁華街がある胡屋十字路周辺を表の顔とするならば、黒人米兵が集まった場所で今は寂れてしまったコザ十字路周辺は裏の顔だろう。

中乃湯のある安慶田(あげだ)地区は胡屋とコザの間に位置するが、コザに近い。安慶田バス停から2分も歩けば中乃湯の白い建物が見えてくる。そのとたん、おもしろいように自分の心が浮き立ってくるのがわかる。ここに来れば風呂につかれるし、シゲおばあにも会える。

中乃湯は1960年創業。銭湯とはいえ天然温泉だ。300メートルの地下からアルカリ性の、少し緑がかった鉱泉をくみ上げている。
「もう私も91歳さ」とシゲおばあは言う。私の計算ではもう少し若かったようにも思うのだが、でもそんなことはどっちでもいいような気もする。シゲおばあは杖を突きながらゆっくりと釜場へ行き、くみ上げた鉱泉をボイラーで沸かす。
「この井戸がよく出るからね、もったいなくてやめられないさー」とのシゲおばあの言葉通り、水の貴重な沖縄で中乃湯が最後まで続いたのはまさにこの温泉のおかげだ。「昔はどこも毎年、水不足で大変だったよ。でもうちはこの井戸のおかげで大丈夫だったさ」

本土と異なる「ゆーふるやー」の不思議な特徴
中乃湯には本土の銭湯とは異なる点がいろいろある。まず番台がなく、のれんの内側すぐに受付の小部屋がある(シゲおばあはいつも表のベンチにいるのだが)。湯船のことは中国風に「湯池(いけ)」と呼ぶ。そして脱衣場と浴室の間に仕切りがなく、別府(大分県)や指宿(いぶすき、鹿児島県)の温泉共同浴場に少し似ている。最も変わった点は、カランが奇妙に高い位置にあることだ。なぜこんな高い位置にあるのかわからないが、どうにも不便なため、常連客がカランの湯と水を混合するホースを作ってくれた。これだと頭もそのまま洗えるので悪くない。

私は沖縄のゆーふるやーは中乃湯しか知らないのだが、すでに廃業したいくつかの銭湯の写真をインターネットで見ると、どこもやはり脱衣場と浴室の間に仕切りがなく、カランが高い位置にある。これらをもって、ゆーふるやー(沖縄式銭湯)の特徴と言うことができそうだ。こういった地域性に出会うのが旅の醍醐(だいご)味でもある。湯につかると、温泉のためかじつによくぬくもる。そして肌がすべすべになる。
湯上がりのゆんたく
湯を堪能して表に出たとたん、肌をさわってゆく風が心地よくてたまらない。玄関先のベンチには先に上がった客が腰掛けて、シゲおばあとしばしのゆんたく(雑談)を楽しんでいる。お湯もいいが、この素朴な時間こそが中乃湯の真骨頂だろう。本土から来た客にもシゲおばあは分け隔てなく声をかけ、南の島の世界に参加させてくれる。

シゲおばあは石垣島の出身だ。少女時代、家の畑へは馬に乗って通ったという。その後、コザに来て洋裁店を開いた。
- 1
- 2
確かに沖縄には銭湯のイメージがないです。マリンスポーツの後はゆっくりお湯に浸かりたくなるのですが、なかなかそういう場所が見つからなかったのでとても良い情報をいただきました。銭湯で、しかも天然温泉となると行く以外の選択肢はありませんね!
すっかり寂れたコザの商店街の写真、とてもいいですねぇ。歩いてみたい。
脱衣所と浴室の仕切りがないことは、台湾では北投にもあります。最初は不思議だと思うし、そしてやや不便だと思ったが、今回の連載を読んだと、「ああ、なるほと」と感じさせました。もしかしては、南島の温泉の流儀かもしれません。
今回も銭湯と美味しい物のお話、楽しく拝読しましたが、それよりも、沖縄と井戸、水の大切さについて考えさせられました。こういう小さな発見から自分の生活も顧みたいですね。
沖縄だけでなく、日本中のどこにでもあった地域の特長的なお風呂屋さんが時代とともに、無くなっていくのでしょうね。銭湯の楽しみが、趣味だけではなく文化への慈しみに替わっていく瞬間ですね!
シゲおばあに会いに行きたくなりました。脱衣所の仕切りがないところ、湯治場の銭湯などは本州でも割とあるような気がします。