寂聴さんとの10年間。瀬尾まなほさん「一つ一つがいまの私の羅針盤」

人生に縛りはいらない
人柄も人生も飛び抜けていた寂聴さんとの日々は、自身が持っていた価値観も崩した。
「そばにいると、こんなふうに生きていいんだとか、何歳だからこうするべきだとか、そういう縛りがなく、人は自由なんだと学びました。でも、自由だからこそ逆に、それに伴う責任は自分で取るんだということも学びました。女だから母親だからと、自分を縛り付ける必要はないこともすごく感じました。女性として人間として生き方の強さ、でも強く生きるためには、強い自分の気持ちが必要です。それは自分で切り開かなくてはいけない。その覚悟の強さも感じました」
愛について語ることも多かった寂聴さんだが、恋愛観や結婚観では「あまりいい影響は受けていない」と笑う。
「子育てに関しては、瀬戸内は『自分が子供を育ててないから何もアドバイスできないわ』とか、『離婚なんて何回したっていいんだよ』とか(笑)。一般的に言われている結婚がゴールとか子を産むことが幸せとか、そういうことを押しつけられませんでした。それも幸せなんだろうけど、それが全てではないと。私には離婚に対する嫌悪感もないですし、夫と合わなかったら何回替えてもいいとか(笑)。瀬戸内のおかげで『こうあるべきだ』みたいなことが全くなくなりました」

寂聴さんが大好きだったから、誠心誠意、「すべてを捧げてきた」と瀬尾さんは言う。一般的に秘書としての知識などを自ら学んだわけでもなかったが、大好きな人がスムーズに仕事ができるように、自分なりに考え実践してきた。そんな秘書という仕事に巡り合えたこと自体もとても幸せなことだった。寂聴さんからは「あんたはここでは働けるけど、他のところでは働けないね」と言われていたそうだが、それはきっと寂聴さんにとって「ずっと一緒にいてね」の裏返し。褒め言葉だったに違いない。
「時間が経てば経つほど、この10年がいかにすばらしい時だったのかを思い知らされると思います。瀬戸内は人生の恩人。瀬戸内がいない今、私にとっては今後どう生きていくかが、もう一つの転機。第2ステージに入ったようなものだと思っています」
実は、瀬尾さん自身のこれからも、寂庵のこれからもまだ決まっていない。ただ、瀬尾さんは寂聴さんに書くことを勧められたこともあり、執筆活動は続けていきたいと話す。

「自分がこうしたいと言ってできることではない気がするんです。34年間生きてきて、先に予定を決めてしまうことは、私に向いていない気がします。瀬戸内と出会えたことも想定外でしたし、今この場所で取材を受けていることも、大学生の私には想像できなかった。なので、その時々の出会いや環境で、何かが決まっていくのではと思っています。ただ、大切にしたいのは人との出会いです。出会った方からまた違う方に出会う。出会いはどんどん広がっていくと思うので、私は瀬戸内がしてくれたように人を大切にしたい。自分の可能性をどんどん広げていきたいと思っています」
1988年2月生まれ。兵庫県出身。京都外国語大学英米語学科卒。卒業と同時に寂庵に就職。入社して3年、ベテランスタッフたちが退職したことを機に、66歳離れた寂聴さんの秘書としての日々が始まる。著書に『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)、『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』(朝日新聞出版)など。
2021年11月に亡くなった作家であり僧侶の瀬戸内寂聴さん。2004年のテレビ取材をきっかけに、ディレクター、中村裕さんが17年もの間、寂聴さんに密着しながら撮り続けてきたドキュメンタリー。「映画の中で中村さんが座っていた席は、普段は私が座っていた定位置だったんです。瀬戸内が話しているのが不思議な感じでした。もういないんだよね、って。一緒にいて当たり前だった日々の尊さを、映画を見て改めて感じました」と瀬尾さん。いつも笑顔で、人前では泣かないという寂聴さんが涙を流す貴重なシーンが胸に刺さる。
監督:中村裕 出演:瀬戸内寂聴
配給:KADOKAWA
©2022「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」製作委員会
映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」公式サイト
2022年5⽉27⽇(⾦)公開
- 1
- 2