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100年前のルポが示唆すること いま改めてのウクライナ 

撮影/猪俣博史

『ヨーゼフ・ロート ウクライナ・ロシア紀行』

いま世界で起きていること、その歴史、背景や土地、特に情報の少ないウクライナについて知りたいと思っていたところ、この本『ヨーゼフ・ロート ウクライナ・ロシア紀行』に出会った。

ドイツの代表紙「フランクフルター・ツァイトゥング」の特派員としてロートが旅した、1920年代のウクライナ、ロシア諸都市の様子が活写された貴重なルポであり、読み応えのある紀行文だ。

100年前のルポが示唆すること いま改めてのウクライナ 
『ヨーゼフ・ロート ウクライナ・ロシア紀行』
ヨーゼフ・ロート(著)、ヤン・ビュルガー(編)、長谷川圭(訳) 日曜社 1,760円(税込み)


ヨーゼフ・ロートは1894年生まれのジャーナリスト・作家で、出身地である東ガリツィア(ガリシアとも)のブロディは現在のウクライナの一部。その彼の眼(め)で見た当時の人々の暮らしが、良い面も悪(あ)しき面も率直に綴(つづ)られている。現実の記録でありながら、詩的な叙情をかもしだす文体に魅了され、まるで創作された“物語”のようにも感じられて引き込まれた。旅人が抱く異国情緒と、全編を覆う時代の暗さのようなものが、どこか谷崎潤一郎「人魚の嘆き」を想起させる。

第1次世界大戦、そして1917年にロシア革命が起こり、社会主義国家「ソビエト連邦」が誕生したばかり。彼が訪れた、まさに変幻する“言語・文化・宗教のモザイクのような世界”では、新旧の価値観が入り乱れ、さまざまな民族による慣習やふるまいが混在して文字通り混沌(こんとん)としていた。

キエフ、モスクワ、オデッサ。さらに、リヴィウ、バクー、アストラハン。「空気がガラスでできているのではないかと思えるほど凍(い)てつく朝」のレニングラード、ネゴレロイエの国境検問所、あるいは破壊されたヴォルガ川一帯(作品中の地名表記を含む)。

ロートはジャーナリストとして「本物」を見定めようと目を凝らし、作家の筆でありのままを生き生きと豊かに描きだす。

ロシア人やポーランド人、あるいはタタール民族とはまったく異なる特徴的なウクライナの民族芸術。ツァーリズム(帝政ロシアの皇帝による絶対君主制)に屈していた人々の戸惑い。東ガリツィアの小さな町では道路も下水道も不完全で質素な暮らしが見て取れるが、それに比して大通りはパレードのような優美さに満ち、「物乞いさえ明るい表情で上品に施しを求めてきた」と驚きを隠さない。

耳を傾けると、ロシア語、ポーランド語、ルーマニア語、そしてイディッシュ語が聞こえてくる。まるで大きな世界の小さな縮図のようだ。

旅を進めるなかでより鮮明になる、大戦と革命による功罪。それらを見逃さない批評眼は鋭く、追及する筆致もゆるまない。なかでも、革命に成功したはずのロシアが「圧倒的な空腹と悲壮な貧しさ」から“モノトーン”に見えるという痛烈な批判は、新しい国家の暗部を容赦なく射抜く。

民族、国家、文明、信仰、政治、言論、倫理・道徳、格差……。さまざまな対立は、いつの世、どこにおいても争いの種であり、決してなくなることはないのだろうか。

その後、もうひとつの大戦が起こることを知っている私たちから見ると、ロートが旅したこの時代は「戦間期」なのだが、その後の困難や、さらには現在起こっている出来事の源流となっている衝突も、ロートはすでに見抜いているかのようだ。

さまざまな示唆に富んだロートの文章のなかでもっとも印象的だったのは、故郷を追われつつも祖の地に魅了され続けたロートが、夏の祝日、ギリシア・カトリックの教会に人々が集まってくる様子を、「まるでガラス瓶に保存しているかのように忘れることができません」と告白する光景の描写だ。

すべての村から――教会のない村からも――人々がやってきていました。農家で暮らす女性たちは白い服の上に緑や赤や白の前掛けをつけて、男性たちは黄色い大きな麦わら帽子をかぶり白いシャツを着て短めの黒いブーツを履いています。(略)世界は光に満たされ、青い空は遥(はる)か彼方(かなた)で銀色に変わり、まるで地球全体を包み込むかのよう。すべてが澄んでいて、秘密も、曖昧(あいまい)な色も、心配事もありません。

古くは紀元前よりさまざまな「支配」を受けてきたウクライナという地を、いわば故郷として失ったロートの「郷愁」。ロートが見たこんな光景を取り戻すために、遠く離れた私たちに何ができるだろうかと問われているようでもある。

100年前のルポが示唆すること いま改めてのウクライナ 
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PROFILE
八木寧子

やぎ・やすこ
湘南 蔦屋書店 人文コンシェルジュ
新聞社、出版社勤務などを経て現在は書店勤務のかたわら文芸誌や書評紙に書評や文芸評論を執筆。ライターデビューは「週刊朝日」の「デキゴトロジー」。日本酒と活字とゴルフ番組をこよなく愛するオヤジ女子。趣味は謡曲。

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