東京の台所2
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〈256〉リュックひとつで上京。毎日自炊、夢はカンヌ

〈住人プロフィール〉
24歳(男性)・会社員
賃貸マンション・1R・丸ノ内線 荻窪駅(杉並区)
入居10カ月・築年数26年・ひとり暮らし

    ◇

 丸ノ内線荻窪駅、西武新宿線井荻駅どちらからも徒歩20分。少々変わったマンションで、フロアごとに共用扉がひとつあり、そこを開けると鍵付きワンルームが並ぶ。
 昔の下宿風作りだが、頑強な鉄筋マンションだ。
 彼は昨夏、実家の京都から原付きバイクで上京した。
 大家の理解もあり、運良く5万円以下の家賃でバイクも置ける希望にかなった住まいを手に入れた。

 「大学の映画学科を卒業後、どうしても映画の仕事をしたくて夏にようやく宣伝会社に内定をもらいました。バイクにリュックひとつで上京。見つかった物件は駅から遠いし、IHコンロひとつだし、収納も少ないですが気に入っているので、あと1回は更新しようと思ってます」

 コロナ禍で急きょ帰国した外国人の前住人が、洗濯機からレンジ、机、カーテン、鍋や包丁まで置いていったので、入居時に予算を抑えられた。炊飯器とトースターだけは親が新品を送ってきた。

 彼はここで、半年間ほぼ毎日自炊をしている。
 「最初は倹約のためだったんですが、いまや毎日の大きな楽しみになってます。ツイッターに載せると、友達が“いいね”を押してくれたり“次はこれを作ったら”といってくれたり励みになっています。“いいね”を押してくれるのは5人くらいですけど」

 朗らかに語る。フォロワーを増やしたいからではなく、自己の達成感のためとわかる。スマホいっぱいに並ぶ料理写真の数は圧巻だ。ハンバーグ、グラタン、オムレツ、唐揚げ、角煮……。
 「上京はコロナ禍ど真ん中。リモートワークで時間があったので、家庭料理はひと通り作りました。最近は小豆から炊いたお汁粉やプリン、恵方巻きも」

 あれ作ってないなあと考えるのも好きなのだという。たったひとりで上京し、同期とは入社の時期がずれている。おりしもコロナ禍で在宅勤務も多い。初めての東京、初めてのひとり暮らし。だが、じつに楽しそうだ。

 「スーパーで買い物するのも好きなんですよね。旬の安くておいしい食材もわかるし、その街の雰囲気もわかる。日曜日に水曜まで4日分の食材を買って、あとの3日は冷凍肉や余り野菜でいためものをしたり、友達とご飯に行ったり。この日は忙しいから手を抜こうとか、この日はちょっと頑張ろうかなとか考えながら献立を組み立てます。映画もそうなんだけど、ひとりで楽しむのは元々得意なんです」

 肉は月に1度、安売りの精肉店の特売日を狙って買い、小分けして冷凍しておく。聞いていると、やりくりや料理が苦でなく、いい意味でむしろ遊び感覚に近そうだ。
 両親が共働きだったため、小学生の頃から台所仕事は自然にやっていたがいろいろ作れたわけではないという。

 「食べたいものを作れたときに、“ああ自分にもできた”という自己肯定感は心地いい。それに実際、かぼちゃの煮つけひとつでも、買うより作ったほうが絶対おいしいですから」

 かぼちゃの煮物は3日分作る。会社で働いていても「帰ったらあれがあるぞ」と思うだけで元気が出る。
 小さな喜びだが、パックづめされた画一的な味付けより自分好みのそれがたっぷり家の台所で待っていたなら、たしかに誰でも嬉(うれ)しいもの。

 24歳の彼にとって自炊の魅力は絶対だ。

〈256〉リュックひとつで上京。毎日自炊、夢はカンヌ

だし作りは母がルーツ

 冷蔵庫にペットボトルが3本入っていた。鰹(カツオ)と昆布からとっただし6日分だという。
 「最初は1食分ずつとっていたんですが面倒になって。だから顆粒(かりゅう)だしを使うという発想はまったくないですね。母親がだしをとる人で、それが本当においしかったから」

 料理は母の影響と言い切る。三度三度だしから味噌(みそ)汁を作り、季節の行事食を欠かさない。
 「冬至にはかぼちゃを食べて、ゆず湯に入って。5月は柏(かしわ)餅。6月は水無月(みなづき)という和菓子を食べる。母は結婚して埼玉から父の故郷の京都に移り住んだので、どこか周囲に馴染(なじ)みきれないところがありました。思うに、料理は母にとって逃げ場であり、台所は自分の居場所だったのかもしれません」

 元旦は京都の白味噌の雑煮を、1月2日は関東のお澄ましの雑煮を必ず作る。母は京都暮らしも尊ぶが、食卓では自分の領域も大切にした。

 「コロッケが一番上手(うま)いんです。自分で作ってみて初めて母の凄(すご)さを実感した。同時に、あの人は自分の好きなものしか作らなかったなって思ったんです」
 だから母にとっての料理とはなんであったかがわかった。

 ちなみに「整理や片付けは苦手」らしい。それらは“整える”作業にあたる。いっぽう、食は生きる営みに直結する。今はまだ東京で働き、生きることに手いっぱいなのだろうと思う。私だってこの年齢の時分、部屋はもっとひどいありさまだった。

 大学の仲間と、いつかカンヌ映画祭で互いに仕事で会おうと約束を交わした。大きな夢と食が彼を支えている。住まいを整えるのはもう少し先でいい。

〈256〉リュックひとつで上京。毎日自炊、夢はカンヌ

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