北の大地「レジェンドの小麦」を求めて/十勝でパンを巡る

北海道十勝、音更(おとふけ)。雄大な畑の光景が展開する町に、小麦生産者を訪ねた。「庄司農場」の庄司敏秀さん。2005年、奇跡の小麦と呼ばれる「キタノカオリ」を、まだ海のものとも山のものともつかなかったころから栽培しつづける、僕の中でのレジェンドだ。
先駆者ならではの試練

「国産小麦でおいしいパンは作れない」という常識が業界をまだ覆っていた時代。春まき小麦「ハルユタカ」が北海道ではパン用小麦の役割を担っていたものの、病気に弱く、生産は不安定で欠品が相次ぎ、「幻の小麦」と言われていた。そんなとき、パンを作れる珍しい秋まき小麦(硬質小麦)として登場したのがキタノカオリ。生産者になる前はパン職人をしていた庄司さんは、いちはやく着目、自分の畑に種をまいた。
収穫した小麦を農協へ持ち込んだ。ここで検査を行い、製粉会社が引き取り、小麦粉になるのが普通。だが、庄司さんのキタノカオリについた評価は「規格外」。キタノカオリの粒は、それまでの主流だった麺用小麦とはちがい、ごつごつとした外見をしている。見た目のちがいだけで評価が下ったのだ。
「自分でキタノカオリを製粉して、ホームベーカリーを使っても、ちゃんとしたパンができた。それなのに、これが規格外で家畜の餌にしかならないというのは、どうも納得できない」
いまのような硬質小麦のための検査基準ができあがる以前。庄司さんは、制度の限界に諦めず、栽培をつづけた。自ら近くのパン屋に声をかけたり、伝手(つて)をたどっては買ってもらえるよう頼んだりもした。

先駆者ならではの試練は他にもある。キタノカオリの弱点は「穂発芽」。収穫の時期、ひと雨きただけで、小麦畑に立ったまま発芽のメカニズムがはじまり、でんぷんが分解して糖に変わってしまう(そうなればパンを作ることがむずかしくなり、商品としては流通できなくなる)。それほど繊細な感受性を持っているがゆえに、キタノカオリは他の小麦にないほど、口の中で甘く感じられるのだ。
そんな情報はまだ一介の生産者まで降りてきていなかった。庄司さんは、悪天候が続くという予報を考慮し、乾ききっていないうちにキタノカオリを収穫した。
「小麦の状態は日に日に変わってくるんで、これ以上は無理だって思った。収穫して乾燥機に入れる間にパン生地になっちゃいそうな状態。そんなときは本来は収穫したらダメだけど、それをあえてせざるをえない」
周囲の農家が被害を受ける中、ただひとり無事収穫できた年もある。
「キタノカオリでは何回かそういう経験はしてますけども、早く収穫したおかげで比較的被害がなかった。そういうのがあるからいまでも作りつづけられてる」
知り合いのパン屋さんに頼まれてライ麦の栽培も行っている。これも、十勝では先駆者だ。子供が隠れるほど背丈が伸びるライ麦は、実が多くできすぎると倒れてしまう。そんなリスクと向かい合い、3年かけて栽培の肝をつかんだ。
庄司さんは麦を自ら近隣のパン屋さんに届ける。ライ麦は自家製粉もする。
行った先のパン屋さんでどんなパンになっているんだろう。庄司さんについてパン屋巡りをした。
はるこまベーカリーはなれ

同じ町内の「はるこまベーカリー はなれ」。オーナーシェフの小林大悟さんが作るのは、「キタノカオリのリュスティック」。砂糖も油脂も使わないハード系のパンだが、おにぎりみたいにむしゃむしゃ食べられる。秘密は高加水。修業先でも約100%(粉に対しての比率)という高加水で作っていたが、庄司さんのキタノカオリには115%も水が入るという。
このパンを切ると中からホイップクリームみたいな甘い香りが漂う。あまりにもやわらかくて、弾むことさえせず、ちゅるっちゅると溶けていく。バターのような香りにつづいて、お米のような香りがずっとずっとつづく。奇跡という言葉は大袈裟(おおげさ)ではない。

知り合いの生産者から、すぐ近くで栽培された小麦を買って、パンを作るということ。小林さんは十勝という土地柄もあり、他のパン屋さんがなかなかできない体験をしている。
「出勤のとき小麦畑の道を通ってくるんですけど、『いま穂が出てきたな』ってわかったり、穂が出ると真緑色がちょっと黄色に変わったり。それが黄金色に変わって、それからだんだんくすんできて、収穫になる。それを仕事にくる途中で感じながら、今日もそれを使ってるんだって、そう思いながら仕事に来てるので楽しいですね。生産者さんと『もう穂が出ましたね』とかそういう話もできるし」
加納製パン

もう一軒、庄司さんの家からすぐ近くの「加納製パン」。店に入ると大きなハード系パンばかりごろごろ転がっている。
「ライ麦のパン」に庄司さんが自家製粉したライ麦を使用。ライ麦といえば外国産が主で、国産ライ麦は貴重な存在。店主の加納雄一さんも、今まで手にしたことがなかったという。
「庄司さんのライ麦を食べたときに、すごくさわやかな感じがしたんですよね。ああ、やっぱり、作る人だったり、土地によってもちがうんだなって。お水も十勝のものだからやっぱり合うのかなって」
加納さんは自家培養したサワー種からこのパンを作る。発酵の加減がすばらしい。サワー種とあいまって、あっさりとしたライ麦の香りがますますすばらしく、まるで梅キャンディーみたいに、甘く芳醇に感じられるのだ。

庄司さんは感慨深げだ。
「これだけ小麦を栽培してる十勝(国産小麦の1/4を占める)で、そこで使われる小麦粉は外麦(外国産小麦)であったり、他の産地のを混ぜられたり。なんで地元の小麦がパンとして消費されないのかなっていうのがあって。だんだん加納さんみたいなパン屋さんがでてきて、地元の粉を使ってくれる。それは生産者としてはうれしいことだし。食べ物って本来そういうものだと思ってるから、やっと当たり前のことが普通に考えられる時代になった」
収穫がむずかしいことによって敬遠され、ここ数年キタノカオリの生産量は減りつつある中、庄司さんは変わらず作りつづける。
「『キタノカオリが手に入らないから』ってパン屋さんから僕のほうに問い合わせがどんどん増えてきて、いつのまにか自分のキタノカオリの生産量が追いつかない。それだけキタノカオリを市場が高く評価してくれてる。当初、農協とか他の人からも、自分の話に耳を傾けてもらえなかったけど、自分の判断はまちがいなかったんだって思います」
はるこまベーカリー はなれ
北海道河東郡音更町木野大通西13-1-11 クロスタウンおとふけ
0155-66-7034
10:00~19:00
水曜休み
加納製パン
北海道帯広市西15条南12丁目1-48
10:00~売り切れ終了
不定休(Instagramで確認)