記憶に残らないとしても、母の五感に届けたい

読者のみなさまから寄せられたエピソードの中から、毎週ひとつの「物語」を、フラワーアーティストの東信さんが花束で表現する連載です。あなたの「物語」も、世界でひとつだけの花束にしませんか? エピソードのご応募はこちら。
〈依頼人プロフィール〉
田川結里さん(仮名)52歳 女性
会社員
神奈川県在住
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母が記憶力を失い始めたのは、約5年前。父の病気が悪化したころのことでした。とてもしっかり者で家庭を仕切ってきた母ですが、少し前から同じことを聞くなどのサインはあったかもしれません。父が入院していた病院でも、カウンセラーの方に「お母様は大丈夫?」と聞かれ、なんで父ではなく母のことを聞くのだろうと思いながら、「はい」と答えたことを覚えています。今考えれば近くにいた私や妹は気がつかなかったけれど、ほかの人には母の余裕のなさがわかったのかもしれません。
まもなく父は他界。入院中の治療、葬儀、一軒家での一人暮らしなど、母は次々と重なる環境の変化についていくのも、やっとこさだったと思います。以前は自宅で英語を教え、また社交ダンスを楽しむなど、社交的でテキパキと生活していた母ですが、父の葬儀では自信なげに喪主のあいさつをしていました。その後、母はもの忘れ外来で、認知症の一歩手前の軽度認知障害(MCI)と診断されました。
今では自身の症状をどこまで理解できているのか、わからないです。たぶん、わかっていないと思います。でも、10年ほど前に認知症の本が押し入れに隠してあったのは、自分にその気配があると感じてのことだったのではないかと、後になって気づきました。
その母は今なお一人暮らしを続け、なんとか日常生活を送ることができています。週に一度は、妹が訪ねて、母と一緒に買い物に。土日は私が泊まり込んで、母との時間をゆっくり過ごしています。
不安感が増しているようで、戸締まりやかぎの置き場所、コンロの火を消したかなどをいつも心配しています。自分で出来ることも少しずつ減ってきたかもしれません。それでも今も妹と買ってきた食材を自分で調理して食べ、生活のほとんどのことを自分でやっています。
お友達との交友関係は途絶えてしまいましたが、老いた愛猫と過ごす一人暮らしの生活を何とか維持できているのはうれしく、これが少しでも長く続くことを願います。そして、子供に戻ったようなあどけなさで、いつも人に見られることを気にしてきちんとしていることに気を配っていた頃より、本人は気楽に思いのまま過ごしているように見えることも。そう思うと、記憶を失うことも悪いことだけではないのかなとも感じています。
簡易な文章を理解することはできても、記憶に残すことがむずかしい母ですが、食事や旅行に行ったときにおいしかったものなど五感で受け取った経験は、よく覚えていることも多いです。美しいエネルギーをたたえたお花は、記憶はされなくても印象に残ると思うのです。母に元気で見てもらえるうちに、とびきりのブーケをプレゼントできたら幸せです。

花束をつくった東さんのコメント
昔とは変わってしまわれたお母様。でもそれを前向きにとらえ、家族で力を合わせて受け入れていらっしゃる様子が、ご投稿から手に取るようにわかりました。記憶はなくなってしまっても、「五感で受け取った経験は覚えている」と感じられたという投稿者様のお言葉を意識して、アレンジを仕上げました。
例えば大ぶりの花や、ピンクなど鮮やかな色の花で視覚に、バラなどいい香りの花で嗅覚(きゅうかく)にうったえることができればと思います。これから花を咲かせるつぼみもあるので、アレンジはさらに豪華になるはず。動きがあるベルテッセンも、お母様の目を釘付けにしてくれることと思います。
一人暮らしのお母様と、その生活を支えるご家族のみなさんに、お花という生命のエネルギーを少しでもお裾分けできればうれしいです。




文:福光恵
写真:椎木俊介
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