東京の台所2
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〈257〉66歳と70歳。セカンドライフは40年ぶりの東京で

〈住人プロフィール〉
66歳(主婦)
分譲マンション・2LDK・田園都市線 桜新町駅(世田谷区)
入居4年・築年数20年・夫(70歳・無職)とふたり暮らし

    ◇

 大学卒業後まもなく結婚。翌年、夫の仕事の関係で地縁も血縁もない徳島に移り住んだ。以来かの地で40年、家事と子育てに専念。自らを、「専業主婦が当たり前だった最後の世代かもしれない」と振り返る。

 女児ふたりをほぼワンオペで育てた。
 「夫も忙しかったですから。私より下の世代の女性は皆仕事をしていますね。私は、見知らぬ土地で家族を守ることに必死でしたし、昔から料理をしたりおいしいものを食べてお酒を飲んだり、好きな器においしそうに盛り付けたり、家事など暮らしを整えることが好きでしたので」

 ともに神奈川出身。立て続けに母と父を亡くしたり、自分も病気をしたり、徳島と実家の往復は慌ただしかったが、ほんの10分車を走らせれば海も山も川もあり、食べ物は新鮮で、気のいい地元の友達もたくさんできた。
 想い出深い地を終(つい)のすみかにするという選択肢はなかったのだろうか。妻の傍らで話を聞いていた夫が口を開いた。

 「子どもがひとりでも徳島で家庭をもっていたらそうなったかもしれません。本当にいいところなので、ほとんどの同期の仲間が永住しています。うちは娘がふたりとも東京に進学、こちらで家庭をもったので。僕は仕事をやりきったという気持ちがあり、少し地元で後進に教える話もいただきかけたのですが、リタイア後は妻と東京生活をマイペースで楽しもうと思いました」
 フルマラソンに何度も出場。今も週2、3回8~10キロ走るという彼に、もう少し決断の背景を尋ねたくなった。夫婦ともに両親は他界している。環境豊かな徳島には家族ぐるみの飲み友達も多い。子ども以外に上京の理由は──。

 「文化の刺激、ですね。絵画、演劇。娘がダンスをしているので、コンテンポラリーダンスも気軽に観(み)に行ける。僕たち夫婦は食べることが大好きなのですが、イタリアンでも中華でも、東京はリーズナブルなものから一流のものまでなんでもある。いい店は地方にもあるけれど、1軒だけということが多い。多様性に富んでいて、選択できるというところに東京の大きな魅力を感じます」

 妻が続ける。
 「ワインショップやパン屋もたくさんあるでしょう? 人生のご褒美タイムのような今は、たくさん時間があります。だからお米屋さんとコーヒー豆屋さんとパン屋さんはふたりで時間をかけてゆっくり探そうねって話してるんです」

 2018年、夫の退職を機にふたりは東京・世田谷にコンパクトな中古マンションを買った。
 彼女が買い集めた食器やグラスが入る棚を造作工事であつらえ、娘ふたりの家族と一緒に食事を楽しめるよう全長2メートルのテーブルを岡山の工房で作ってもらった。

 夫婦それぞれに所有し生活の足だった車は手放した。

 「維持費がかかりますから。年金生活ですし、高齢者の事故の心配もありますし。もういいよねと。緊急時はカーシェアで。おかげでよく歩くようになりました」

 交通の便のいい東京といえども、40年間の習慣を手放すという決断は誰にもできることではない。

〈257〉66歳と70歳。セカンドライフは40年ぶりの東京で

東京の心地よさとは

 「東京はこんなにたくさん人がいるのに誰も自分たちのことを知らないという心地よさがありますよね」と彼女は言う。
 徳島では、「先週、スーパーにいたよね」と言われてしまうような、人の目の窮屈さが少なからずある。

 東京で好きな器のギャラリーに通ううちに作家の展示会に料理を頼まれるようになったり、夫は同期会をきっかけに学生時代の友と交流が再開したり、ゆるやかに新しい人付き合いが増えた。そして今、同年代以上に楽しいのは、“若い友達”の存在だという。
 
 「娘たちのママ友を家に招いて料理を振る舞っているうちに、いつしか私たちも呼ばれるようになって。この間は、ワクチン接種を確認しあって感染防止の工夫をしながら、主人の古希のお祝いをママ友グループがやってくれたんですよ」
 夫の左耳に光るシルバーピアスは、娘や若い友達に勧められ、古希の記念にクリニックで穴を開けたもの。

 彼女は子育てが一段落した40代からブログを始め、ホームページを作り、今はインスタを楽しんでいる。ママ友グループからの通名は「コンピューターおばあちゃん」である。

 夫婦ともにスマホとiPadと、健康管理のためにアップルウォッチを使いこなす。若い友達からメールでレシピを聞かれることもたびたびだ。
 徳島時代からITは使いこなしていたが、「若い人たちとこんなふうにお付き合いをするとは想像もしていなかった」と口をそろえる。

 孫との距離感も独特だ。
 「孫はもちろんかわいいですけれど私のものじゃない。お手伝いをする程度ですね」

 何度も「マイペース」「自分たちのペースで」という言葉が出た。第二の人生で何を大切にしているかがわかった。

〈257〉66歳と70歳。セカンドライフは40年ぶりの東京で

コロナ禍で友を見送り……

 コロナ禍に病気で幼なじみをふたり亡くした。時節柄、見舞いも葬儀でも、会うことがかなわなかった。
 「皆で悲しみを分かち合うこともできない。ああ今という時代は、そういうことなんだな。私たちもいつ何があってもおかしくない。だからこそ健康に気をつけなければと強く実感しました」

 食事は必ずサラダを添え、タンパク質を摂(と)る。昼はパンとスープ、夜はおかずをつまみに晩酌を楽しみ、最後にご飯をひと口。全体に塩分は控えめだ。「タンパク質は魚介類が多いですが、定期的に赤身肉は必要ですし、油ものも抜かないようにしています」
 大好きな酒は休肝日を週1回。焼酎、ワイン、日本酒。気分に合わせ、好きな器でいただく。

「食以上に健康で大事なのは、遠い展望じゃなくて“明日を楽しく生きたい”という気持ちかもしれません。明日友だちと会うから元気でいなきゃとか、来週は徳島から友だちが来るので料理もしなきゃ。そこまでコロナに気をつけて元気でいようって思うんです」

 先を見通せない毎日を生きている。
 「コロナの完全な終息はないと私たちは思っています」
 だからこそ明日を元気に。一日が終わったらまた次の一日を。小さな張り合いの連続が健やかな人生をつないでゆく。

 70歳の男性が妻の取材に最初から最後まで同席したのは10年の連載で初めてだ。夫は器道楽の妻に感化され、金継ぎ教室に2年通った。「ごみだとおもっていたものが、金継ぎで生き返る。こんな達成感のあることはないし、何よりとても楽しいです」(夫)。今は娘のママ友から、注文が目白押しだ。

 言葉の端々から、互いを尊重しあう気持ちがにじむ。だからパートナーの持つ世界にも興味を持てるし、結果、毎日がゆたかになるのだろう。

 与えたり、与えられたり。暮らしの中に創造性を見出し、小さな喜びを分かち合う。ふたりという単位で楽しむ、新しいシニアのかたち。
 “若い友達”はきっとそこに惹(ひ)きつけられているのだろうと思った。私たちもいつかああなりたい、と。

〈257〉66歳と70歳。セカンドライフは40年ぶりの東京で

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