「ウチとかヨソとかは関係ない」手塚治虫文化賞選考の裏側 大賞作の完結巻は6月30日発売

「マンガの神様」とも呼ばれる『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』の作者、手塚治虫の名前を冠したマンガ賞「手塚治虫文化賞」(朝日新聞社主催)をご存じでしょうか。第26回の今年は、マンガ大賞に魚豊(うおと)さん著『チ。―地球の運動について―』(小学館)が輝きました。最新巻(完結巻)が6月30日に発売されました。この賞の選考に長年、携わってきた朝日新聞文化部の小原篤記者は、今回の結果を「例外中の例外」と振り返ります。なぜなのでしょう? 小原記者が“ウチのマンガ大賞”の歩みを振り返りつつ、選考の裏側を紹介します。
「ウチじゃない」マンガ大賞 正直うらやましい
マンガ大賞はふたつある。
このため、「手塚治虫文化賞」の打ち合わせの際、私はしばしばこう口にする。
「ウチじゃない『マンガ大賞』は――」
最終選考会に近い時期に、もうひとつの「マンガ大賞」(同賞実行委員会主催)が発表されるものだから「ウチじゃない『マンガ大賞』の候補はですね……」と社内の会議などで私が参考情報として説明することになる。
ちょっとだけ自虐あるいは皮肉めいた響きがこもるのは(あくまで私の個人的な思いだが)、あちらの「マンガ大賞」は2008年にはじまり、書店員ら各界のマンガ好きの投票で選ぶというその性格上、大手書店のマンガ売り場に専用のコーナーが作られたりして正直うらやましいから。「こっちは1997年創設でずっと先輩なのに~」という思いもある。
もっとも、私も2008年の初回からあちらの選考員として投票しているので、あっちもこっちも盛り上げたいのである。

さて今年で26回目となる手塚治虫文化賞に、マンガ担当記者として第4回から断続的に計17回携わってきた。
立ち上げには関わっていないが、手塚治虫さんが死去した翌年の1990年に国立美術館初のマンガ展として東京国立近代美術館が「手塚治虫展」を開催した折、弊社が主催に名を連ねたことが「ご縁」だったと聞く。
ちなみに私は、小学3年のとき隣駅の図書館で『火の鳥 鳳凰編』を借り電車内で開くや乗り過ごすほど心奪われた、というのが大きなマンガ原体験ではあるが、1991年入社なので手塚治虫さんを取材する機会はなかった。ああ残念。
手塚治虫文化賞 「独立」と「公開」が特色
賞の性格づけや過去の受賞作、選考委員の顔ぶれなどは公式サイトをご覧頂くとして、私の考える手塚治虫文化賞の特色は「独立」と「公開」だ。
創設時に既にあった出版社主催の賞は自社あるいは系列会社から出た作品の受賞が多いが、ウチはそんなことはなし。
それどころかライバルである毎日新聞連載の西原理恵子さん著『毎日かあさん』に、『上京ものがたり』(小学館)と合わせて第9回短編賞を差し上げた。
弊紙朝刊に『ののちゃん』を連載しているいしいひさいちさんに、同作と『現代思想の遭難者たち』(講談社)など一連の作品を対象として第7回短編賞を贈ったことも、正直に書いておこう。要するにマンガが素晴らしければ、ウチとかヨソとかは関係ない。

「どの作品に何点入れたか」も公開
第6回までは選考委員の投票(1次&2次の2段階)で1位の「マンガ大賞」と2位の「優秀賞」を決めていて、過程はガラス張り。
第7回からは、最終選考会で選考委員の合議により「マンガ大賞」「新生賞」「短編賞」を選ぶ方法に改めたが、「マンガ大賞」の最終候補を絞る第1次投票で選考委員の誰がどの作品に何点入れたかは公開している。
ちなみにランキング形式の「このマンガがすごい!」(宝島社)、「このマンガを読め!」(フリースタイル)は一発勝負の投票による。ウチじゃない「マンガ大賞」は1次&2次の2段階投票で、かつてのウチのマンガ大賞に近い(ああ、ややこしい)。
- 1
- 2