(168) 衝撃だった大先輩の言葉 永瀬正敏が撮った香港
国際的俳優で、写真家としても活躍する永瀬正敏さんが、世界各地でカメラに収めた写真の数々を、エピソードとともに紹介する連載です。つづる思いに光る感性は、二つの顔を持ったアーティストならでは。今回は香港で撮った一枚。若き日に出演した映画で、役者の大先輩から衝撃的な言葉を聞いた街だそうです。

僕が初めてここ香港を訪れたのは、
数年後に中国へ返還される時だった。
ある人は期待に胸膨らませ、ある人は不安を抱え、
さまざまな思いで混沌(こんとん)としている時だった。
香港に行ったのは、『アジアン・ビート』シリーズという、
日本、シンガポール、タイ、マレーシア、台湾、香港が手を組み、
それぞれ現地のスタッフ・俳優を起用し、
それぞれの映画を一人の日本人主人公を共有しながら作っていく……という、
当時あまり観(み)たことのない画期的(無謀?)な企画のためだった。
出演者だった当時の僕は1年半ぐらいかけて、単身アジアをめぐった。
もちろん現地の言葉はしゃべれないし、英語もひどいものだった。
僕以外日本人はいない……。
まず、どうやって皆さんとコミュニケーションをとっていくか?
そこから始めた。
映画の撮影においても、今まで慣れていた日本の常識と、
それぞれの常識は違う。
戸惑いながら、ある意味苦しみながらカメラの前に立っていた。
しかし、その時出会った人たちと今でも交流が続いていて、
僕の掛け替えのない財産の一つになっている。
香港編『Autumn moon(秋月)』でクララ・ロー監督が描こうとしていたのは、
三世代の女性の香港返還へ向けての葛藤を込めたものだった。
撮影も終盤に差し掛かったあるシーンで僕は、
大ベテラン・大先輩の女優さんに突然呼ばれた。
撮影を中断させてまで、僕に何の用があるんだろう……。
不安に思いながら彼女の元へ向かった。
そのシーンは彼女が、年のこともあり、不注意で転倒してしまい、
頭に傷を負って入院している、という設定だった。
大先輩はベッドの上で布団に入り僕の手を握りしめながら、
僕に一生懸命話しかけてくれた。
中国語のわからない僕は、必死に理解しようとしたが、わからない……。
監督やスタッフが僕にわかる単語を使い、英語で丁寧に説明してくれた。
「私の演じている役は、きっとこの映画の後で天国へ行く。
大好きだったおじいさんと再び会える。
その時はきれいでいたい。
今、男性のあなたから見て私はきれいですか?
日本人の役者から見て、私はきれいですか?」
衝撃だった。
僕は握りあった手を、強く握り返しながら、
「とてもきれいです。本当にきれいです」と、
日本語と英語で繰り返した。
その時の彼女は本当に本当にきれいだった。
その表情といい、お芝居は国の違いも言葉の違いも関係ない、
思いさえ伝えられれば、それに勝るものはない、
そう思わせてくれた大先輩の一言だった。
あれ以来、僕の中の指針になっている。
僕の言葉を聞いて浮かべた、少女のようにはにかんだ、
それでいて憂いを帯びた色香が漂うほほえみを、僕は一生忘れないと思う。
確かにお芝居は、国の違いも言葉も関係ないのかもしれませんね。
『思いが伝われば、それに勝るものはない。』
私もそう思います。
彼女は素晴らしい女優さんですね。
写真も国境を越えた一枚です。
香港‼︎
良いですよね〜!
25年前の7月1日香港返還、それより前の香港の町の風景。
そんな昔に、永瀬さん扮するトキオを主人公において6ヵ国でそれぞれの作品を撮るなんて革新的な企画をやっている凄さ。若い映画俳優さん達が永瀬さんをリスペクトしているのはこういうパイオニア的存在な部分も大きいと思う。
「アジアン・ビート 香港編」繰り返し観ました。このシリーズの中で1番好きです。お婆さん役の方のお顔、はっきり思い出せますし、永瀬さんの言葉が決してお世辞や気遣いからのものではなく、心底そう思われたことがわかるお顔でした。モノクロの画面、無機質な高層ビルの窓の眺め、乾いたトキオの心、でもそこに暮らすお婆さんはやさしくゆったりと語っている。もう一度観たいけれど、持っているのはビデオでもう再生できないし、DVDにもなっていない…でも写真のように刻まれたいくつかのシーンだけを心に残し、在りし日の香港のようにあとは忘却の彼方になってしまうのも、それはそれで仕方のないことなのかもしれません。