「助け合いを通して地域を守る」暮らしに寄り添うJAのライフアドバイザー

今回、放送作家の小山薫堂さんが訪れたのは、2018年7月に大きな爪痕を残した西日本豪雨において、被害が大きかった岡山県倉敷市真備町。100年に一度ともいわれる大雨で、本流の高梁(たかはし)川に合流する小田川と、その支流の高馬川、末政川、真谷川の8カ所の堤防が次々に決壊し、町全体の3割にあたる約1200ヘクタールが浸水した。
約5500戸が全半壊したこの水害で、すっかり変わり果てた我が家を前に失意に暮れる住民のために奔走したのが、JAのライフアドバイザー(LA)・藤井陽平さんだ。一日でも早く生活が再建できるよう、被災後すぐに契約者の家々を巡り、被害状況の聞き取りや共済金支払いのための調査を行った。
災害を経験したことで、人と人とがお互いに助け合う“助け合いの輪”の大切さを改めて実感したという藤井さんに、小山さんが話を聞いた。
川に囲まれた穏やかな町を襲った、西日本豪雨
野鳥のさえずりが耳に心地よく響く橋の上から、朝日がきらきらと水面を照らす高梁川を見下ろす小山さん。岡山県倉敷市真備町の東部にある、ここ川辺橋がJAのLA・藤井陽平さんとの待ち合わせ場所だ。
2018年7月の西日本豪雨では、この高梁川の水位が上がったことで支流の小田川の流れ込みが阻まれ、行き場を失った川の水が氾濫(はんらん)。家屋や田畑をのみ込んだ。

川下で進む、小田川との合流点の付け替え工事の様子を遠くに望みながら、今は穏やかな表情を見せる高梁川に向けて小山さんがカメラを構えていると、「こんにちは!」と背後から明るい声が聞こえた。藤井さんだ。
橋の上を、二人並んでゆっくりと歩き出す。大学卒業後にJAに入ったこと。肥料を販売する仕事やJA共済の窓口担当を経て、7年前から念願のLAになったこと。藤井さんのこれまでの道のりに、小山さんは静かに耳を傾ける。
「生まれはこのあたりなんですか?」。小山さんから尋ねられると、「となりの総社市の生まれですが、このあたりは中学生の頃によく川遊びで来ていました」と答えながら、藤井さんは懐かしそうに川を見下ろした。
子どもの頃から慣れ親しんだ地域でLAとして働けることは、藤井さんにとって大きな誇りだ。JA共済と契約者を繫(つな)ぐLAは、地域の皆さんに安心を提供する仕事だと藤井さんは言う。「契約者様に一番近い立場で力になりたくて、自らLAを希望したんです」

50ccのスーパーカブにまたがって契約者の家を一軒一軒回っては、たわいもない世間話をしながら、家族や近しい人に変わりはないか、不安に感じていることはないか、丁寧に聞き取っていく。
藤井さんは担当している契約者一人ひとりの顔も、その人と交わした家族に関する話題もつぶさに記憶している。それほど密な付き合いを長く続けてきた。
「担当している方や、そのご家族。藤井さんはたくさんの方々に寄り添っているんですね」。小山さんが声をかけると、藤井さんは少し恥ずかしそうに、でも、しっかりとうなずいた。
まさか小田川が氾濫するなんて
高梁川を下って、小田川の川沿いへと足を運んだ小山さんと藤井さん。平時は大人の足首くらいまでの水位しかない小田川は、さらさらと静かに流れていた。はるか遠くには小さな山々が連なり、土手を歩く二人の間を心地よい風が吹き抜けていく。
「いいところですね。まさか氾濫するような川には見えない」と、驚いた様子の小山さん。この川を背に振り返った視線の先にあるのが、西日本豪雨で大きな被害に見舞われた真備町だ。

土手の下に広がる平野には、緑豊かな農地の間にポツ、ポツと家屋やビニールハウスが点在している。この一帯を、濁流が襲った。
「ここから見える範囲は、すべて床上浸水の被害に遭いました。数としては5000世帯ほどで、私が担当する契約者様の8割が被災されました。一階の天井まで浸水した方が多くて、南の地区では二階まで浸水したお宅もあります」
浸水の深さ最大5.4メートル。その数字を小山さんがイメージしやすいようにと、藤井さんはさらに説明を続ける。「井原鉄道の線路の高架が見えますか? 当時は、あの高さまで水が達したんです」
真備町が浸水した日、藤井さんは出張で関東にいた。見慣れた町並みが浸水する様子をテレビで見ながら、遠く離れた地で何もできない自分の身がもどかしかった。「みなさん無事に避難できたかな、家は大丈夫かな。とにかく契約者様が心配でした。一刻も早く真備に戻りたかった」

共済を通じて安心を提供 一方で気づかされたこと
真備に戻った藤井さんはすぐさま被害現場へ向かい、契約者一人一人を訪問し、共済金の支払いに必要な調査も進めていった。
「災害後、契約者の方はどうしたらいいか不安でいっぱいでしたでしょうね」と、小山さん。すると藤井さんもうなずいて、「そうですね。ですから、『共済金のお支払いができます』とお伝えした契約者様の中には、安堵(あんど)し涙を流された方もいました。一方で、水害に関する保障に入っていなかった方からは『もっと強く勧めてほしかった』とのお声もいただきました」
共済は、契約者同士の“助け合いの輪”で成り立つ。契約者の言葉をきっかけに、藤井さんは助け合いの輪を広げる大切さに気づいた。

「雨が降り始めたとき、こんな水害が起こると思っていましたか?」と問う小山さんに、「住民の皆さんも想像していなかったと思います。小田川から氾濫した水を戻すポンプもあるから、この地域に水害はないと思っていました」と、藤井さん。
年間降水量が少なく、“晴れの国”とも呼ばれる岡山県で「まさか」が起きてしまったのが、2018年の西日本豪雨だった。
復興はまだまだこれから もっと地域に寄り添いたい

土手を川上に向かって10分ほど歩き、小田川と支流の高馬川の合流地点までやってくると、盛り土された一画があった。ここに復興のシンボルとして新たに整備されるのが、2023年度中に完成予定の「復興防災公園(※仮称)」。中心部に建設予定の木造の施設は、防災物資の倉庫や避難所としての機能も備えるという。
堤防と同程度の高さになるようかさ上げされた建設予定地の高台から、真備町を見渡す。視線のはるか先で、町を横切るように走る高架線の上を一両編成の列車がゆっくりと通り過ぎていった。「かわいい列車ですね」。小山さんがほほ笑むと、「あれは井原に向かう列車です」と藤井さんも笑顔で答えた。

「西日本豪雨から4年。復興は進んでいると感じますか?」。小山さんの問いかけに、藤井さんは首を振る。「ここからだと、住宅はきれいになったように見えますが、4年経った今も仮設住宅で暮らす人がいる。復興は、まだまだこれからだと感じています」
JAの先輩から代々引き継がれてきた信頼を、後輩へと繫いでいく
「西日本豪雨を経験して、契約者様に寄り添う気持ちもより一層強くなりました」と藤井さん。
「藤井さんに感謝する方も多いのでは?」。この小山さんの問いに対しては、「私個人というよりは、JAの先輩方が何世代にも渡って地域の方々と関係を築いてきてくれたから、今の仕事が成り立っています。先輩たちが繋いでくださった信頼を、私もしっかり後輩へ繋いでいきたいですね」と、藤井さん。

今、川にどんな思いを抱いているか尋ねられると、藤井さんは少し考えてからこう答えた。「真備は川に囲まれた町で、川によって豊かな恵みがもたらされてきました。川と町を切り離すことはできません」
“助け合いの輪”をさらに強固なものとし、地域を守っていきたい
「復興防災公園(※仮称)」から、車でおよそ15分。真備町北西部の山間にある「真備美しい森」に到着すると、こいのぼりの大群が気持ちよさそうに青空を泳いでいた。
子どもの健やかな成長を願って架けるこいのぼりを見上げながら、1歳の元気な男の子のお父さんでもある藤井さんが、「この町で、この地域で、元気に育っていってほしい」とつぶやくと、小山さんもうなずく。LAとしては当然のこと、幼い子を持つ父親としても、地域の人たちが安心して暮らせる環境を作っていきたいという思いは年々強まっている。

「今日は藤井さんといろいろな場所を回りましたが、真備町はどこに行ってもいい風が吹いていて、穏やかな時間が流れていました。このような地域で育ったら、きっと素直ないい子になるんでしょうね」。そう話す小山さんに、「そうですね。子どもたちのためにも、地域の人たちのためにも、LAとしてできることをしていきたいです」と藤井さんも力強く応じた。
契約者同士の“助け合いの輪”をより強固なものとし、大きな安心へと繋がるよう支えるのが藤井さんたちLAの役割だ。「助け合う人の数が増えれば増えるほど“助け合いの輪”も広がっていきます。これからも、安心して生活するためにその方に必要な保障は何なのか、みなさんと一緒に考えながら、助け合いを通して地域全体を守っていきたいと考えています」
(文・渡部麻衣子 写真・山田秀隆)
取材を終えて 小山薫堂
共済という助け合いの仕組みの中で、助け合いの輪を支える。それが、LA藤井さんの仕事でした。藤井さんの印象は、とにかく笑顔が素敵。存在に癒やされます。ああいう方がいつも自分の暮らしに寄り添ってくれていたら、それだけで様々な安心が生まれるのではないかなと思いました。おそらく、助け合いの輪をより強いものにするということは、藤井さんのようなLAの優しさから生まれるような気がします。これからもLAの皆さんのお仕事に期待したいと思います。



こやま・くんどう/1964年熊本県生まれ。大学在学中から放送作家として活動を始め「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」など数多くの番組を企画。初の映画脚本『おくりびと』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、 米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。くまモンの生みの親としても知られる。