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織田・豊臣方による改変も! 街道を取り込んだ越中の名城・森寺城

森寺城の主郭に至る城道

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は富山県氷見市の森寺城です。街道を取り込んだ構造の城で、とても見ごたえがある名城というのですが、その理由とは?

【動画】森寺城を訪ねて

〈松根城と切山城(1)〉松根城と切山城(2)〉では、佐々成政と前田利家が街道を戦時封鎖した松根城と切山城を紹介した。両者の抗争において、加賀(石川県南部)・越中(富山県)国境の緊迫した情勢下での防御策だったようだ。能登(石川県北部)、越中国境の城では今のところ同時期の類似例はない。

しかし、街道は軍勢の移動経路となるため重視され、城内に取り込む例は珍しくない。そこで、街道を取り込んだ越中の城として真っ先に思い浮かぶ、森寺城を紹介したい。越中三大山城(守山城・松倉城・増山城)を凌駕(りょうが)すると言っても過言ではない、見ごたえある名城だ。

街道を意図的に取り込み造った城

森寺城の北端虎口(こぐち)に設けられた土塁
森寺城の北端虎口(こぐち)に設けられた土塁

森寺城は、城の中心を「城戸道」と呼ばれる尾根道が貫いている。森寺集落を起点として、城戸集落を経由して越中と能登の国境に至る尾根道だ。つまり、越中と能登をつなぐ街道が森寺城内に完全に取り込まれているのだ。

搦手(からめて=裏手)とされる北端の虎口(出入り口)には、巨大な土塁を食い違わせ、城戸道を屈曲させながら取り込んでいる痕跡が明瞭(めいりょう)に残る。土塁の北側にはそれぞれ空堀が設けられ、土塁と空堀のセットで侵入を妨げる構えだ。発掘調査から、空堀は1メートル以上埋まっており、現在見えているよりさらに高低差があったことがわかっている。防御性を優先した計画的な設計から、廃城後に利便性を求めて道を通したのではなく、はじめから意図的に城戸道を取り込んだことは明白だ。

北端の食い違い虎口
北端の食い違い虎口

森寺城は、氷見市北部を流れる阿尾川中流左岸の丘陵上にある、南北約1100メートル×東西約400メートルに及ぶ広大な城だ。城の西側には阿尾川に沿って越中と能登をつなぐ荒山街道が通り、阿尾川沿いには海老瀬城、稲積城、八代城、阿尾島尾山砦(とりで)が点在する。日本海に面する阿尾川下流には、荒山街道の起点となり海岸線を通る浜街道も押さえる国人・菊池氏の阿尾城があった。これらの城との連動を考えても、森寺城が国境へ通じるのど元を押さえる要衝だったことは間違いない。

阿尾城の遠景
阿尾城の遠景

越中の要、めまぐるしく変わる支配者

戦国時代の越中は、在京していた守護の畠山氏に代わり、守護代の神保氏が実質的に支配していた。1519(永正16)年、能登守護を務めた分家の能登畠山氏7代・義総(よしふさ)は、守山城を本拠とする神保慶宗(よしむね)を討伐するため越中に進出。森寺城はこの頃に築かれたと考えられている。

森寺城が湯山城の名で初めて文献上に登場するのは、1557(弘治3)年のことだ。能登守護の畠山氏8代・義続(よしつぐ)および9代・義綱(よしつな)父子と、畠山晴俊を擁立して謀反を起こした家臣・温井氏との戦いだ。温井一派が義続・義綱方がこもる湯山城を攻め、勝利した記載がある。義続・義綱父子は翌年に能登から追われるも、能登に帰還し湯山城も奪還。やがて再び能登から撤退することになるが、この動乱において森寺城(湯山城)は越中の重要拠点として争奪の対象となったようだ。

森寺城の中心となる主郭
森寺城の中心となる主郭

越中における要の城として支配者が変わっても重視され続け、その後もたびたび争奪の舞台となった。1571(元亀2)年には、上杉謙信が一向一揆討伐のため越中に出陣した際に森寺城攻略を予定したものの、断念したとされる。1576(天正4)年には上杉方の城となったが、1578(天正6)年に謙信が没すると、織田信長の力添えを得て神保氏が奪取。やがて1581(天正9)年、森寺城は信長家臣の佐々成政(さっさ・なりまさ)の支配下となった。

1584(天正12)年から1585(天正13)における佐々成政と前田利家との抗争においては、1584(天正12)年に成政配下の神保氏張(じんぼ・うじはる)が荒山経由で能登へ出陣しており、森寺城が佐々方の城として機能していたことが推察されている。成政が劣勢となって越中に撤退するとこの地域は最前線になったが、森寺城の大きな改変は行われなかったらしい。成政が降伏すると森寺城は利家の支配下となり、まもなく廃城になったとみられている。

主郭南西側のサイダ屋敷
主郭南西側のサイダ屋敷

独立性が高い曲輪、能登の七尾城を連想

森寺城は、標高約160メートル地点の主郭を中心として、主要な曲輪(くるわ)が四つ並ぶ。それぞれの曲輪は大きく、曲輪間を区切る堀切も巨大だ。しかし曲輪をつなぐ通路がなく、独立性が高い印象を受ける。能登守護・畠山氏の七尾城(石川県七尾市)を連想させる、この地域の守護や守護代の城との共通項を感じさせるつくりだ。七尾城の山上には家臣団の屋敷とされる曲輪が連なるのだが、森寺城も同じように、主郭南西側に家臣の斉田氏のものとされるサイダ屋敷、その南側に野崎氏の屋敷跡などがある。

連続する堀切の一つ
連続する堀切の一つ

登城道から尾根上に上がると南・北方向への分岐点があり、南側が主郭方面となる。主郭に向かう途中に現れる連続堀切が、中心部への関門となる防御拠点だろう。いったん尾根を断ち切り、中心部への侵攻を絶対に阻止する。最初に見えてくる巨大な堀切は櫓(やぐら)台を備えた迎撃の構えで、さらにその先に二重の堀切が待ち受ける。城戸道と思われる道筋は屈曲し、両側のかなり高い場所からくまなく射撃される。

NEXT PAGE見どころの石垣、佐々成政か前田利家の改修か

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