モーニング娘。20周年企画

道重さゆみ(前編)夢叶える“最後のプラチナ期”は元落ちこぼれ

  

■Profile
道重さゆみ
誕生日:1989年7月13日
加入日:2003年1月19日
リーダー歴:2012年5月19日~2014年11月26日(921日)
卒業:2014年11月26日 横浜アリーナ
在籍:4329日(11年10か月と7日)

 

鏡に向かって毎日のように言い聞かせていた

近年のモーニング娘。メンバーの中では最も知名度があるであろう道重さゆみ。もともとはグループの“落ちこぼれ”だった彼女だが、努力ではい上がってリーダーに就任。そのルックスと個性的なキャラクター、そして抜群の度胸を活かし、多くのテレビ番組で活躍するようになり、一躍幅広い層のファンを獲得していく。
道重こそ、プラチナ期を共に生き、悲願の再ブレイクをもたらした最大の功労者とも言える。例えば“道重 伝説”で検索すれば、数多のエピソードが山ほど出てくることからも、その知名度の高さはお分かりいただけるのではないだろうか。
後には“逸材中の逸材”と称される彼女がグループに加入したのは2003年。最初は戸惑いの連続だったようだ。

「歌もダンスも経験がなかったので悪目立ちしてしまっていました。だけど新メンバーとしては面白がってもらえて、先輩から怒られることで逆に存在感を出せていたように思います。いま振り返ると、段々と知識を得ていって、特に悪目立ちすることもなく、馴染めるようになってからが一番キツかったかもしれないです。加入から1年ぐらい経った時期に、どうやって自分を出せばいいのか分からなくなっちゃって。同期のれいな(田中れいな)は歌が上手くて1曲目からセンターで、それに比べて完全に後れを取っていました。常に焦っていましたね」

  

小学生の頃から『ASAYAN』を観てモーニング娘。に憧れ、13歳でグループに加入したが、当初は同期の藤本美貴や田中れいな、後輩にして次世代のエースと待望された久住小春らの影に埋もれていた。“格好良さ”を目指したパフォーマンスの中では抜きん出ることができず、自戒するほど自己中心的で目立ちたがり屋だった少女は、自分の生きる道を探す日々を送る。

「後々のバラエティ番組などで面白がってもらえたナルシシストや毒舌というのも、元々は、作ったキャラではなかったんですよ(笑)。ただ、当時は自信がなかったから、『よし! 今日も可愛い!』と鏡に向かって毎日のように自分に言い聞かせていました。それを見た先輩方が面白がってステージなどで話してくれるようになって、『これって面白いことなんだ?』と自分でも気づいて、どんどん言っていくことにしたんです」

「毒舌も『周囲や世間の皆さんが思っているだろうこと、自分で感じたこと、そのまま口に出して言ってみよう』とやってみたら面白がってもらえた。後に作り込んでいった部分もありますけど、生まれついてのものだったと思います。キャラというのは『見つけたい、見つけたい!』ともがいている時には案外見つからなくて、狙わずに自然とやっていたことがさらりと受け入れられて、確立されていくことがあるんですね」

ここで頑張らないと本当に置いていかれる

  

大きな転機となったのが、2006年に始まったCBCラジオ『モーニング娘。道重さゆみの今夜も❤うさちゃんピース』だ。30分枠のローカル番組ながら、ここで磨いた1人しゃべりの技術が下地となり、バラエティ番組で大ブレイク。キー局の番組で引っ張りだことなっていった。

「最初は『自分のグループでの立ち位置を見つけたい! 私のことを知ってもらいたい!』という思いでした。歌もダンスも全然できないし、ソロパートもない。そういう状況下でバラエティのお仕事をいただいた時に、『ここで頑張らないと私は本当に置いていかれる』という覚悟で頑張ろうと決めました」

「そうして番組に出演させていただく中で、ショックを受けたことがありました。それまではモーニング娘。という守られた環境でのお仕事しかしていなかったので、自分たちが世間でどう思われているかを本当に知らなかったんです。共演者の方に『今、何人組なの?』とか『普段どんな活動してるの?』『忙しいの?』って聞かれた時に、愕然(がくぜん)としてしまいました……。毎週のように土日はライブをやっているのに、全然知られていなかったんですよね。それを実感してからは、バラエティに出る時の意識の方向が、自分自身のアピールの事より『今のモーニング娘。を知ってほしい』という気持ちに変わりました。とにかく私は、自分たちがやっていることに自信があったので『知ってもらえたら絶対好きになってもらえる! そのきっかけを私が作りたい!』って思っていました」

道重の存在をお茶の間まで浸透させた番組のひとつ『ロンドンハーツ』に初出演したのが2009年夏。グループは高橋愛がリーダーとなってから約2年、後に“プラチナ期”と呼ばれる布陣は成熟期を迎えており、ファンの間ではすでにそのパフォーマンス技術が評価されていた時期だ。

「私がグループに加入した頃は、本当にクラスの誰もがモーニング娘。を知っていて、毎日のようにモーニング娘。について話していました。出演した歌番組をひとつ見逃したら次の日は会話に入れないぐらいの状況でした。そのイメージのまま13歳で加入したので、時代が変わっていたことに気づいていませんでした。だからバラエティで、自分たちの現状を知って、『いまは日本のトップアイドル=モーニング娘。ではない』ことを突きつけられたんです……」

肌荒れに悩まされながら必死で頑張った

2007年にPerfumeが「ポリリズム」で大ブレイクを果たし、2009年にはAKB48がシングル「RIVER」で自身初のオリコン週間ランキング1位を獲得。ももいろクローバーもインディーズデビューと、アイドルシーンは活性化し、“戦国時代”は確実に近づいていた。そんな状況下で道重が選んだのもまた、高橋愛の掲げた“格好いいモーニング娘。”を信じる道だった。

「現実を目の当たりにしてから、自分たちに今できることをやろうと、パフォーマンスを極めることに注力していました。リーダーだった愛ちゃんのパフォーマンス力は圧倒的だったし、他のメンバーも歌やダンスがうまかったから、ついていくだけで大変でしたが、精神的にボロボロになっても必死に練習しました」

  

「それもすべて自分たちのモーニング娘。に自信があったからで、知ってもらいたい一心でした。だから私はバラエティにたくさん出させていただいて、肌荒れに悩まされていたのですが、それでも必死で頑張りました。あの時期はかなり人間的に強くなれましたし、いろいろ言われながらも頑張ってよかったって、今なら言えますね」

テレビで誇張されたナルシシズムや毒舌で注目を集めただけに、清廉なアイドル性を絶対視する人からは道重に対して批判の声もあがっていた。ネットには様々な誹謗中傷の言葉が書き込まれ、20歳前後の道重に容赦なく襲いかかった。それでもモーニング娘。のため孤軍奮闘を続けた彼女に、ひとつの希望が訪れる。

「鞘師里保の力は大きかった。9期メンバーが入ってきた時、ワクワクが止まらなかったんですよ!」

次回、道重さゆみインタビューの後編では、新メンバーの加入で力を増したモーニング娘。が、ついにフォーメーションダンスを完成させて再ブレイクを果たすまで。プラチナ期の夢、“格好いいモーニング娘。”がどのようにして世間に評価されていったのかを検証していく。

(インタビュー・文:平賀哲雄、撮影:Jumpei Yamada)

特集ページはこちら

  

■道重さゆみさん出演情報

【SAYUMINGLANDOLL~東京~公演】
10月16日(火)~21日(日)
会場:COTTON CLUB(東京)
11月13日(火)~18日(日)
会場:STUDIO PARTITA(大阪)

高橋愛(後編)独自性を貫いたプラチナ期は夢半ばで

トップへ戻る

道重さゆみ(後編)最後のプラチナ期が認めさせた“格好いいモーニング娘。”

RECOMMENDおすすめの記事