共感にあらがえ

<02>見過ごされる“共感されにくい人たち” どう救うべきか?

テロ・紛争解決活動家の永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する当連載。第2回のテーマは、「“共感されにくい人”たちを救うためには、どうすればいいのか」。永井さんが出した答えとは――。

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共感は“万能薬”ではない

18世紀、アダム・スミスは他者の幸福を求めることは人間の本性であり、共感はそれを支える作用を持っていると主張した。また、『共感の時代へ―動物行動学が教えてくれること』で有名な霊長類行動学者フランス・ドゥ・ヴァールはこの混迷極まる現代社会を良くするには共感こそが鍵であると論じている。 猿にもできるし、赤ちゃんにだって備わっている感性なのだから、という皮肉が込められたヴァールの主張は、近年世界中で支持されてきた。

しかしながら、前回触れたとおり、私は共感がいかにアテにならないかという問題提起をしたい。もう少し正確に言うと、共感は万能薬では決してない、ということだ。

ここで一度、この連載で使う「共感」という言葉について、「他者の感情に対する理解と共有から生じる、他者の幸福を志向する感情的反応」と広く定義しておきたい。また、共感には感情的(emotional)側面と認知的(cognitive)側面があるが、ここで問題視するのは前者の側面である。

この定義を前提に、私が共感について指摘したい問題は次のことだ。まず、共感は他者の感情を自分が理解できるか、またはどのように理解するかに大きく左右される。加えて個々人のバイアスにも大いに影響される。今回はこのことについて考えたい。

餓死寸前の難民少女と60歳男性 どちらに同情する?

目の前に次の2人がいると仮定しよう。ひとりは、内戦に追われて難民となり独りぼっちで食べるものが無く服もボロボロで今にも餓死してしまいそうな10歳の白人の女の子と、もうひとりは、道端に力なく座り込み服もボロボロで今にも餓死してしまいそうな中年の黒人の男性だ。さて、あなたはどちらに共感するだろうか。想像してみてほしい。

Photo : ranplett / Getty Images

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次に、後者に少し背景情報を付け加えてみたい。その男性は、ギャンブルに失敗して全てを無くし、金も食料も底をついて道端に力なく座り込む、今にも餓死しそうな60歳の黒人男性である。 あなたの共感に何か変化はあるだろうか。さらに、その男性が自分と敵対するコミュニティーに属しているとしよう。さらなる変化はあるだろうか。

一般的にこの世界では、前者の女の子のほうがはるかに多くの共感を獲得する。また、後者の男性に、上記のような背景情報が加われば加わるほど、彼に対する共感は減っていく。 2人とも同じ人間であり、同じ苦しみを同じ瞬間に持っているのにもかかわらず、なぜこのような違いが生まれるのだろうか。私の問題意識はまさにここにある。

現実の世界でも、前者の女の子だけが、誰かにさしのべられた手によって、飢えから救われることは起きうる。私はこれまでの活動を通じて、獲得できる共感の濃淡によって、個人の人生が変わるということの危うさをひしひしと感じているのだ。

世界を良くする鍵は「権利」にある

私たちは一般的に、自分と何かしらの共通性が存在する対象や、自分が体験済みまたは疑似体験できる状況下にある人に共感しやすいのではないだろうか。さらに、おそらくは、私たちはその共感を与えるだけの正当性があるかどうかを判断している。

本来的には、対象者の状況(先述の仮定では今にも餓死してしまいそうな状況)が最も重要であるはずだ。しかし、結果として受け手から出てくる感情的反応は、その本質以外のもの(対象者の属性や背景)に大いに影響されてしまうというわけである。 自分で人生を切り開くことができない小さな女の子が紛争によって苦しんでいれば、彼女をどうにかしてあげたい、助けてあげたい、という感情が共感を強化するだろう。

一方で、道端に力なく座り込み服もボロボロの60歳の男性の場合は、浮浪者やホームレスと認識され、共通性などは見いだしにくい。さらに、ギャンブルに失敗し全てを無くして金も食料も底をついたという背景を知らされると、自業自得じゃないかと思えてくる。

そのうえ、自分と政治的に敵対するコミュニティーに属している人となれば、もしかしたら「いい気味だ」とすら思うかもしれない。端的に、自分にとって共感するだけの正当性が無くなる。だが、2人は人間として抱いている苦痛はまったく同じだ。 個人が持つ情報処理能力はあまりにも小さく、全人類を同じように捉えることは決してできない。また、結局のところどこまでも個々人が持つバイアスに振り回されることになり、結果として共感はスポットライト的性質とある種の指向性を持つことになる。

最近の心理学と脳科学の研究から、私たちは無意識的に、他者を「仲間」と「それ以外」に判別していることがわかっている。その判別は同一性を求めることと表裏一体であり、その同一性も常に変化していく。 例えば、同じ主義主張を持ったコミュニティーからランダムに100人を集めクジを使って4グループに分けてみるとすると、個々人の脳は、瞬時に同じグループを「仲間」とし、他のグループの人々を「それ以外」ひいては「敵」と識別するようになるらしい。私たち人間が持つ社会的存在としての本能はなんとすごいものか。

しかし、グローバル化が進み、巨大化した社会では、仲間ではない他者と関わることは避けられない。それは世界でも地域でも、個々人の意思と何ら関係なく進行している。 その状況において 、共感が持つスポットライト的性質と指向性を放置しておいては問題が起きる。なぜなら共感される必要がありながらも、共感されない人が必ずどこかに存在しているわけで、共感だけに頼っていては誰の善意もその人にたどり着くことはできないからだ。

だからこそ、共感できない・共感されにくい人をなおざりにしないために、共感に代わるものが必要となる。私はそれこそが「権利」だと思うのだ。共感できる・できないに一切の関係なく、全ての人には人権があり、無条件に尊重されなければならない。その射程は、共感の及ぶ範囲をはるかに越え、全ての人が含まれるべきだ。

Photo : ranplett / Getty Images

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先の例で言えば、後者の男性に直面したときに、彼の持つ「権利」だけを考え、論理的で認知的な反応を行うことだ。自業自得な浮浪者だと認識し、いい気味だと思いながらも、彼の権利を尊重して理性的に反応することが求められている。 共感ではなく権利こそが、憎悪が渦巻く現代の世界を良くする鍵だ。本能や直感を変えることは難しい。だからこそ、それらに流されないための理性的な錨(いかり)を持つ必要があるのではないか。    

(筆者写真:ミネシンゴ)

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PROFILE

永井陽右

1991年、神奈川県生まれ。NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事。国連人間居住計画CVE(暴力的過激主義対策)メンター。早稲田大学教育学部複合文化学科卒業、London School of Economics and Political Science紛争研究修士課程修了。テロと紛争の解決に向けて活動中。著書に「ぼくは13歳、任務は自爆テロ。: テロと戦争をなくすために必要なこと」(合同出版)など

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