ソーシャルメディアは誰を幸せにしたのか?
文: りょかち
2017年の暮れに、中目黒のとある居酒屋で、インターネットに詳しい友人たちと「ソーシャルメディア(SNS)のリテラシー格差」について話したことがある。
当時はインフルエンサーマーケティングで話題が持ちきりの時期で、Instagramを開くたびに、有名なInstagramアカウントを持つ女性が化粧品を紹介している時代だった。
「もう若い子たちはみんな『インフルエンサーが無味乾燥にシャンプー片手に自撮りしてる写真は広告』だとわかりきってスルーしているのに、どうしていまだにこんなに似たような広告ばっかり出るんだろう」
私はSNSを常によく見ているし、若い子と接する機会も多く、新しいSNSに対するリテラシーの高い友人も多い。だから、あまりにも広告だとわかりきっており、逆に反感を買いかねない投稿を流しつづける企業の気持ちがわからなかった。
けれど、一緒にいた残りの2人は、そんな企業とも向き合う機会の多いオトナな人たちだったので、そんな私を優しくなだめてくれた。
「確かに、若い感度の高い子はそうだろうね。だけど多くの企業にとってまだまだインフルエンサー広告は新しい広告手段だから。そして、いつの時代もそうした状況は変わらないよ。感度の高い層と、SNSに詳しくない人たちでは流行に対する意識が何周も差がついているからね」
その後、3人でのこの話題は続いた。
「そもそも、仕事でやっている人の中には、普段SNSを使わない人も結構いますからね。絶対使ったほうが良いけど」
私は、「大きい企業では、自分がSNSを使っていなくても、SNS担当になることってあるんですか?」と尋ねた。
「あるだろうね。仕事のために業務時間だけSNSをやっている人も多いと思うよ」
そう聞いて、自分が好きでもないのにSNSをやるのは大変だなあ、と正直に思った。SNSの流行の流れは速く、さらにその中にある文化というのはさらに寿命が短い。すべてをキャッチアップするのはとても大変だ。
SNSをやらないことで途切れていく人間関係はあるか
高校時代に仲が良かったひとりの友人と社会人になってから一度だけ会った日のことを思い出す。仕事で東京に来るからと、おおよそ8年ぶりくらいに会った友人。彼女はTwitterも、InstagramもFacebookもやっていない珍しい人で、上京の連絡がLINEで来たときにはとても驚いた。
新宿のカフェで久々にご飯を食べた時、「すごい久しぶりだね」と彼女に話しかけると「そうだね〜私はSNSとかやっていないから、みんなに近況とかも報告してないし」と返してくれた。「SNSやってないと、本当に昔の友だちとか全然連絡取らなくなっちゃうから。だけど、いまさら全然わからないんだよね。何を投稿すれば良いかもわからないし」
私はこの時、そういえば最近SNSでつながっている友だち以外に全く会っていないことに気づいた。偶然今日彼女と会えてとっても楽しかったけれど、普段の日常生活で彼女の情報が視界に入る機会が少なすぎて、来週には意識から外れて、次また会うのはずっと先になってしまいそうだなと思った。
SNSはもしかしたら、私達の友情を断絶してしまっていたのかもしれない。友情どころか、生きている世界やライフスタイルや考えている思考まで、意識の中にSNSが入り込んでいる人とそうでない人では、まるで見えている世界が違ってしまったのかもしれない。
彼女の感じる孤独に思いを馳(は)せた。SNSがなかったら、私は彼女のことをもっとしばしば思い出していただろうか?

SNSに時間を“溶かした”先にあるもの
一方で、そんなSNSに疲れる日もある自分がいる。ご飯を食べてはInstagramにあげて、日々の一瞬をStoriesで切り取り、ちょっと思いついた良いことをTwitterで垂れ流しにする。増えていく「いいね!」数に喜んで、心無いコメントに傷ついて、誰かの意味深な写真に思いを馳せて。沢山の感情も、時間も、SNSに投下しては溶かしているような気になった。
私が彼女とカフェに行った日に挙げた写真に「いいね!」がついていた。私は、彼女と話しながらも、Twitterをしたり、LINEを開いたりしてしまっていたけれど、せっかくなら、もっと彼女の顔を見て、話をすればよかった、と後悔している。
SNSは誰をシアワセにしているのだろうか、と時々思う。
今や、SNSの世界は、アップデートに次ぐアップデート、トレンドに次ぐトレンドを繰り返して、歴史が層を織りなすように長く続いている。ネットに疎い人はどんどんその進化のスピードからとりのこされ、コミュニケーションにおいてもライフスタイルでも断絶されていく。
一方で、複数のSNSのプラットフォームにぶらさがって、投稿といいね!を繰り返し、それでも本当の気持ちがどこにも届いていないような、悲しい気持ちになる。私のようなSNS廃人もまた、その日々のスピードに疲弊していることがある。
私達はSNSに日々を映し出しながら、いったい何を楽しんでいるんだろうか。時々、わからなくなるのだ。

Twitterが日本上陸した10年後、2018年のSNSとの付き合い方
私達には、選択と集中が必要だ。
現代人の生活にはインターネットが深く染み入りすぎている。SNSに割いている時間も多すぎる。自分の暮らしとSNSの関係性を点検すべき時がきているのではないだろうか。
もはや、最新のトレンドのSNSだけに人が集まっている時代は終わり、それぞれが快適な範囲でSNSを活用している時代だ。トレンドだけを追いかけて、疲弊する必要はすでに無いのではないかと思う。これからは、数あるインターネットツールの中から、自分のオフラインの暮らしをよりよくアップデートするSNSだけ選んで活用するのが一般的な利用方法になるだろう。企業によるPR活用においても、対象とするクラスタと用途をさらに精緻に見極め、運用していくのが大事になるだろう。
SNS廃人の私も最近はより一層「ソーシャルメディアのための人生」から、自分の人生を取り戻さなければならない、という危機感を持っている。
あなたがもし、「流行っているからSNSをはじめよう」と思うなら、やめておいたほうが良いかもしれない。「新しいからすごい」「流行しているからやらないと」という発想は、もはや、前時代的なソーシャルメディア論だ。出会いたい世界や広げたい世界がある時、SNSはきっとあなたの人生の役に立つけれど、追い立てられるように、人生の時間を切り売りすることは、誰にとってもプラスにはならない。
本当の人生を消耗するようなソーシャルメディアの使い方ではなく、拡張するような使い方ができたなら、人生とSNSの関係は良好となり、現代人としての「シアワセ」を手に入れることができるだろう。
久しぶりに会った友人と会った日に思い残すことがないくらい語り合い、その思い出を健全な気持ちでソーシャルメディアにあげる。そんな一日の終りこそが、本当のあるべき姿なのではないかと思うのだ。