つくりびと

酵母も手作りするパン職人・星野太郎さん
季節を味わえる「畑のコウボパン タロー屋」

さいたま市浦和区の閑静な住宅街にぽつんと佇(たたず)むパン屋がある。北浦和駅から店まで歩けば30分ほど、しかも営業日は週に2日のみという「畑のコウボパン タロー屋」。オープン日も限られている上、決して便利とはいえない場所にありながら、予約客が殺到。遠方からわざわざ訪れる人も後を絶たない大人気店だ。

店主の名は星野太郎さん。季節の果物や植物で起こした酵母を使った、“生きたパン作り”を行う唯一無二のパン職人である。

「畑のコウボパン タロー屋」は、店主の生まれた北浦和の住宅街に

「畑のコウボパン タロー屋」は、店主の生まれた北浦和の住宅街に

人生を変えた、自然の恵みで作る酵母との出会い

季節の酵母を使ったパンが並ぶ

季節の酵母を使ったパンが並ぶ

ぶどう酵母のレザン、ブラックベリー酵母のコンプレ、りんご酵母のシナモンロール……。星野さんが焼くパンには、必ず酵母の名前が入っている。発酵させて焼くパン作りにおいて、酵母は必要不可欠だが、こんなにも多種多様、しかも果物や植物から起こした酵母を使うのは稀(まれ)なこと。星野さんがそんなパン作りを始めたのは、14年ほど前、デザイナーとして活動していた時のことだという。

「『身の回りに咲いている野生の果物や植物をとって、水と一緒に瓶につめると酵母がこの中で沸く。それでパンが焼けたりするんだよ』って友人から聞いて、それがあまりにも衝撃だったんです。当時の僕は、パンってイーストで膨らむというイメージしか持ってなかったし、イースト=酵母という認識すらあやふやだった。それで興味本位で自宅になっていたビワやその他の果物でやってみたら、本当に元気な酵母ができたんです。蓋(ふた)をあけた瞬間、ブシュッとしぶきをあげた。それを見たとき、なんともいえないうれしさがこみあげてきて……。“なんだこの世界は”って自分の世界が開けた気がしました」(星野さん)

酵母と出会い、パン作りをスタートさせた星野さん

酵母と出会い、パン作りをスタートさせた星野さん

自然の素材から生まれる酵母は、まさに人生を変える出会いだった。それから星野さんは、ここ北浦和で育った果物や植物を瓶に詰めて、夢中で酵母作りを行う。ときに、「この草花はこんな香りがするんだ」と、新しい発見と出会いに心を躍らせながら。

星野さんは、次の段階であるパン作りへ。パンを作ったことなど一度もない素人だったが、本を読みながら、知人に聞きながら、一歩一歩……そして、初めて完成させたのはビワの酵母を使ったパンだった。

「形は不格好だし、もちろん上手ではないパンだけど、ものすごく味わい深くておいしかった。ビワってそこまで香りは強くないんだけど、ひと口食べるごとにフルーティーな香りを感じたんです。それまで食べてきたパンからは得たことのない、新鮮な風味でした。こんなパンが焼けるなんて、なんておもしろいんだろうって、パンで季節を楽しめるんじゃないかって思ったんです」(星野さん)

お店に立つのは、星野さん、妻、スタッフさんの3人

お店に立つのは、星野さん、妻、スタッフさんの3人

当時、デザインの仕事をしていた星野さん。しかし果物や植物で起こした酵母で作るパンの世界に触れた瞬間から、パン作りに夢中になっていった。

「デザインの仕事は、憧れでしがみついているところがあったんです。だけど、この酵母とパンを作る仕事は、一生向き合っていけるかもしれないって、妙な確信を持ってしまったんですよね(笑)」(星野さん)

店先に並ぶ酵母たち。美しい色合いについ足を止めてしまう

店先に並ぶ酵母たち。美しい色合いについ足を止めてしまう

キレイな酵母ができればパンを焼きたくなった。おいしいパンがたくさん焼けたら誰かに食べてほしくなった。こうして星野さんは、北浦和周辺のレストランや自然食品店などにパンを持ち込み、感想やアドバイスをもらい、さらに試行錯誤。これがきっかけとなり、お店に卸す仕事につながっていった。そして2007年6月、自宅の1階を工房兼店舗として「畑のコウボパン タロー屋」を開いたのだ。

不確かなものだから、毎年喜びを享受

金木犀(きんもくせい)の香りが漂えば、繊細でやわらかな香りをどうにかパンに閉じ込めたくなる。自宅の庭にブドウが実れば、この美しい色合いをパンで表現したくなる。季節や自然の恵みを享受しながら、星野さんはパン作りに向き合っていく。

その始まりは、酵母作りから。果物に付着している酵母菌が、糖を食べることによって発酵。これが進むと炭酸ガスが発生して気泡が沸く。1日1、2回瓶の蓋をあけてガスを逃がすという地道な作業を繰り返しながら、4~7日かけて酵母を完成させる。こうして作り出した酵母に、小麦と少しの塩を合わせればパン生地になる。

美しい色合いのブドウの酵母。蓋を開けると、ジュワッと炭酸ガスが発生する

美しい色合いのブドウの酵母。蓋を開けると、ジュワッと炭酸ガスが発生する

「子供のころから植物や虫を採るのが好きでした。酵母を作ることは、その感覚と似ているところがあって、なんていうか野生の勘っていうか…(笑)。常に観察して中の状態がどうかって想像しながら向き合う作業なので。大人になると、そういう経験が乏しくなってしまうもの。だからその感覚に触れられることがうれしくて仕方ないんです」(星野さん)

季節の酵母を使う「畑のコウボパン タロー屋」では、訪れる度に新しいパンに出会える

季節の酵母を使う「畑のコウボパン タロー屋」では、訪れる度に新しいパンに出会える

いままで50種類ほどの酵母を作ってきた。そのうちいま使っているのは、淘汰(とうた)されて20~30種類ほど。季節の果物や植物を使うから、パンのラインナップはいつ来ても違う。クルミとレーズンが入るノワ・レザンは、秋はブドウ、冬はレモンの酵母を使う。食パンもしかり。秋はナシ、冬はイチゴの酵母といった具合だ。当初に星野さんが抱いた思い通り、季節の移ろいを感じられるパン。ここ「畑のコウボパン タロー屋」で出会うのは、一期一会のパンともいえよう。

ラ・フランス酵母の食パン480円(1/2斤)

ラ・フランス酵母の食パン480円(1/2斤)

「お店を始めて10年ちょっと。同じ四季を繰り返すとパターンは見えてくるし、始めた頃のようなキラキラしたものは少なくなったかもしれない。だけど、僕がパン作りに選んだパートナーは自然。春の八重桜でも、秋の金木犀でもそう、いつも採れるとは限らない不確実なものなんです。だから、今年も花を摘んでパンを作れるという喜びを毎年感じています」(星野さん)

基本的に酵母は、素材と水のみで作られる

基本的に酵母は、素材と水のみで作られる

自然が織りなす生命と対峙(たいじ)し、“生きたパン作り”を行う星野さん。そんな彼に、「つくること」について聞いてみた。

「僕が酵母とパン作りを始めたのは、30歳手前。それまでは、30歳までになんとかしなきゃ、って焦っていたし、割と思うようにいかない人生で悩んでました(苦笑)。そんなときに出会ったのがこの仕事。大切にしているのは、パンの中に季節の香りや色を閉じ込めてお客さんに届けること。春夏秋冬という四季が流れる日常の中で、このパンを通じてその自然の魅力を感じて喜んでいただけるだけでうれしい。それが今の僕のパン作りとの向き合い方ですね」(星野さん)

「今後、パンと料理のかけ合わせも提案できたら」と星野太郎さん

「今後、パンと料理のかけ合わせも提案できたら」と星野太郎さん

<データ>
畑のコウボパン タロー屋
住所:埼玉県さいたま市浦和区大東2‐15‐1
電話:048-886-0910
営業時間:木・土10:00~売り切れ次第終了
URL:http://www.taroya.com/

撮影/米山典子
取材・文/船橋麻貴

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