本を連れて行きたくなるお店

病院を抜け出してでも飲みたい、そば屋の一杯 中島らも『今夜、すべてのバーで』

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるのだろう。読書とお酒を愛する編集者の笹山美波さんは、本の中の物語が現実世界とつながる、そんなお店に連れて行ってくれます。

本を連れて行きたくなるお店TOP画像

年末になるとそばが恋しくなるのは、日本人のさがだろう。大みそかに年越しそばを食べる風習は江戸時代にさかのぼるらしい。細く長いそばで健康長寿の縁起をかつぎ、この時だけ、うどん文化の関西の人もそばを食べるそうだ。

また、東京で暮らすようになると誰しもそばを好むようになり、年越しに限らず食べる頻度が高くなると聞くから面白い。東京にはおいしいそば屋がたくさんあるのもその理由だと思うが、そば屋で飲むことの楽しさを覚えると何度でも繰り返したくなるからではないだろうか。

冷えたビールでのどを潤し、板わさ、焼きのりをちょっとつまんで、そばが運ばれてくるころにおかわりの一杯。この快楽はくせになる。もちろん、その後のそばのおいしさも。

粋なそば屋のひとり酒も、アルコール依存症になると……

作家の中島らもさんは兵庫県尼崎市出身だが、そば屋で飲むことが好きだった。エッセイ『そば屋で夜遊び』の冒頭で、「夜おそくまで開けているそば屋で酒を飲む、という変なクセがついてしまった」と告白している。クセになった理由は「とにかく気持ちがいい」から。静かな店内で、ほんの少し後ろめたさを感じながら酒を飲むのがいいと書いている。まったく同感だ。

らもさんは“そば屋飲み”に相当ハマっていたようで、自身がアルコール性肝炎で入院した時のエピソードをもとに書いた小説『今夜、すべてのバーで』の描写からもその様がよく分かる。主人公の小島はアルコール依存症。それが原因で発症した肝炎のために入院し、禁酒生活を続けていた。にもかかわらず、病院を抜け出しそば屋へ駆け込んでしまう。我慢できなかったのだ。

小島は天ぷらを揚げる音をつまみに、まずビールを頼むとぐいっと飲み干して、そばが運ばれてくると冷酒を追加で注文する。深い酔いを楽しむため、料理にはほとんど手をつけない。入院患者の行動としてはあきれるしかないが、飲んべえの私としては、ある種のかっこよさすら感じてしまう振る舞いだ。

中島らも著『今夜、すべてのバーで』

『今夜、すべてのバーで』は1992年に吉川英治文学新人賞を受賞している

勝谷誠彦さんもそば屋飲みがお気に入り

先月末、肝不全で亡くなったコラムニストの勝谷誠彦さんも、中島らもさんと同じ尼崎出身。そして、彼もそば屋で飲むのが好きだったのだろう。11年間ほぼ毎日更新していたメールマガジン『勝谷誠彦の××な日々。』でお気に入りのそば屋を何軒も紹介している。

勝谷さんが紹介しているうちの1軒、銀座6丁目の路地裏にある「泰明庵」は、創業約60年と歴史あるお店だ。外堀通りとコリドー通りに挟まれた銀座のこのあたりは華やかなイメージが強いが、そこにひっそりとたたずむ街のそば屋として愛されている。
定番のそばはもちろん、「せりそば」「白菜そば」などオリジナルの種物や、お刺し身や揚げ物などお酒に合う料理の短冊がたくさん掲げられている。食事処としても、飲み屋としても使い勝手がよくて居心地もよい。私もお気に入りのお店だ。

泰明庵

店構えはいかにも街のそば屋らしいたたずまい

 

病院を抜け出してでも飲みたい、そば屋の一杯 中島らも『今夜、すべてのバーで』

(左)店内はこぢんまりとしていて肩を寄せ合うように座る。混雑時は相席で。(右)ピーク時は2階も満席。サラリーマンや近隣住民でにぎわう

勝谷さんは「そば屋は普段とれない野菜を摂取できるのがよい」と言って、泰明庵ではおひたしや、ごまだれのそばを食べたそうだ。やはり健康を気にしていたのだろう。もしかすると、味がしっかりしているごまだれだとお酒が進むという理由だったのかもしれないが。

病院を抜け出してでも飲みたい、そば屋の一杯 中島らも『今夜、すべてのバーで』

(左)コクがあり香ばしいごまと相性が抜群の「もりごまだれ」。(右)「せりそば」は根っこを入れるようにお願いするのが通の食べ方。旬の冬だけ食べられる

病院を抜け出してでも飲みたい、そば屋の一杯 中島らも『今夜、すべてのバーで』

軽いお酒のおつまみにうれしい(左)「せりのおひたし」と(右)「万願寺唐辛子」

病院を抜け出してでも飲みたい、そば屋の一杯 中島らも『今夜、すべてのバーで』

(左)分け合うと好きなネタの取り合いになるのが楽しい「天ぷら盛り合わせ」。サクサクを天つゆに浸して。(右)じゃがいもにそばを練り込んだ「そばコロッケ」は懐かしい味わい

愛された酒飲みたちを偲ぶ年越し

勝谷さんはアルコール性肝炎を患い、最初の入院期間は禁酒に努めていたが、退院後はすぐに飲酒を再開。再入院した後は、病床でこっそり飲んでいたと聞く。まるで『今夜、すべてのバーで』の主人公そのものじゃないか。
多量の飲酒は決してほめられたことではない。けれど、勝谷さんは、うつ病を患い、アルコール依存となりながら、仕事では活躍し続けた。

勝谷さんも中島さんも飲酒をやめられず、早くに亡くなってしまった。多少ネタバレになるが、なぜ現実には、中島さんの小説の主人公のようなハッピーエンドとはいかないのだろう?
もしかしたら、ご本人たちには決して不幸な結末ではなかったのかもしれないとも思う。勝谷さんの弟さんは、お通夜で「好きなお酒をしっかり飲んで、好きなことをやって亡くなった」とあいさつされたそうだから。

年越しを間近に控え、街はたくさんの人でにぎわっている。けれども、次にそば屋に行く時には浮かれ気分を落ち着けて、静かに飲みながら亡くなった勝谷さんを偲(しの)びたい。愛された酒飲みたちに捧げる年越しそばは、きっとよいものになるはずだ。

病院を抜け出してでも飲みたい、そば屋の一杯 中島らも『今夜、すべてのバーで』

仕事帰り、一人泰明庵でそばを頼むと「飲み物はどうします?」と女将(おかみ)さんに聞かれた。『今夜、すべてのバーで』の小島じゃないが、「じゃあ、ビールで」と思わず頼んでしまった

今回紹介したお店:泰明庵

東京都中央区銀座6-3-14
03-3571-0840
営業時間:月~金:11:30~21:00、土:11:30~15:00
日曜・祝日定休

PROFILE

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。

カレーの香りに孤食の寂しさを思う 連城三紀彦『もうひとつの恋文』の世界

トップへ戻る

仕事に気乗りしない時は、カキフライについて考えよう
村上春樹『雑文集』

RECOMMENDおすすめの記事