筋トレとの距離感

権力による身体の支配から脱すること――。哲学者千葉雅也が考える筋トレの意義

気鋭の哲学者として注目を集める千葉雅也さん。2017年刊行の『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)は“東大・京大で一番読まれている本” (*)になるなど、4万5000部を超えるヒットになった。

ツイッターで筋トレ関連のポストも多い千葉さんは、同書でも勉強と筋トレの共通性に触れている。昨今広がる自己啓発としての筋トレブームについてはどう見ているのか。千葉さんに話を聞いた。

*17年4月に東京大生協本郷書籍部・人文書部門および京都大生協・一般書部門で1位、5、6月に東大生協駒場書籍部で1位を記録

中途半端な自重トレーニングは無意味!?

――千葉さんの著書を拝読すると、ときどき筋トレへの言及があります。『勉強の哲学 来たるべきバカのために』では、東京大学在学中に筋トレの授業を受けたという話がありました。授業はどんな内容でしたか?

千葉雅也(以下千葉) 1年生のときに必修だった体育の授業で僕はトレーニングを選択したのですが、おそらく筋トレの研究をやっている先生が担当で、「どのように筋トレをするのが効率的か」を教えてくれました。しかもレポートが必須だから、自分の筋トレ習慣について考察しないといけない。分析込みでトレーニングをさせる授業だったんです。これで僕は体育嫌いがすごく解消しました。

千葉雅也さん

高校までの体育の先生って、生活指導的というか威嚇的なタイプか、あるいは逆に何もしない、「遊んでていいよ」というタイプに分かれがちで、生徒の身体のどこがうまく動かないかを把握した上で、分析的にそこに介入するような先生はなかなかいないじゃないですか。もちろん東大の先生もそこまでしてくれたわけじゃないけど、自分で自分の身体をもっとほぐしていって、より動けるようになるよう後押ししてくれました。それをきっかけに、自分でもジムに通ってみようと思っていました。

――たしかに、私の周囲でも大人になってパーソナルトレーニングを経験して、「私は運動が嫌いなのではなく、体育の先生が嫌いだったんだ」と気がついた人が複数います。

千葉 心と身体を支配し、人間を従順な存在に仕立て上げることを規律訓練、ディシプリンといいます。これはフランスの哲学者ミシェル・フーコーの概念で、基本的に日本の体育の授業はこれに当たる。たとえば運動会の行進自体に意味はなくて、要は「お前らを支配するぞ」ということを示している。義務教育の目的は「いかに権力に逆らわないで従順に働く主体をつくるか」であって、体育はまさにそういう抑圧的な身体教育をやっている。だから僕にとって、筋トレも含めてスポーツをもう一度やろうという動機は、権力による身体の支配に対して、いかに自己準拠的な身体を取り戻すか、ということにあります。

千葉雅也さん

――そこから今に至るまで、ずっとジム通いを続けているのですか?

千葉 19〜20歳の頃は近所のジムに通っていましたが、経済的な事情で続かなくて、30歳頃に再開しました。ただ、肉体がさほどドラスティックに変化しなかったので、去年、ツイッターで見つけた自己プレゼンが上手で面白いボディービルダーの方にパーソナルトレーニングをお願いしました。筋トレを基礎から教えてもらって、食事のアドバイスもしてもらうという感じで2、3カ月続けて、自分のやり方を本格的にリセットしてもらった。それまでは自己流だったので、去年が自分にとっての「筋トレ元年」という感じです。

――トレーナーの方からはどんな指導を?

千葉 大きいのは食事の話ですね。びっくりしたのが、「食事を5回しろ」って言われたんですよ。トータルカロリーは3食のときと変えずに、PFCバランス(Protein〈たんぱく質〉・Fat〈脂肪〉・Carbohydrate〈炭水化物〉)をちゃんと計算しなおした上で、5分割にする。炭水化物を一度に大量に取ると血糖値が一気に上がって太りやすくなるんですよ。だから1日の中での血糖値の変動を少なくするために分割するんです。僕が教わった人によると、本格的に体を作ろうと思ったら5、6回に分割するのは当然だ、と。

――その食事スタイルをキープするには、生活自体を変える必要がありそうですね。

千葉 もちろんです。別人になるつもりで生活を完全に変えないと筋肉はつきません。それ以前の生活習慣を破壊しないと無理。自己破壊が必要です。僕はそれまでとは食事がまったく違うものになりました。それでももちろん完璧にはできず、サボっちゃうこともありましたが、少なくとも最初の3カ月くらいはトレーナーに言われた通りにやって、その時期はたしかに言われていたような変化が起きました。それでやっぱり「プロの言うことは大事だな」と。

千葉雅也さん

たとえば、細マッチョになりたい人が中途半端な自重トレだけして食事を変えなかったら、細マッチョにすらなれないんです。ボディービルダーと同じことをやろうとして、こなしきれなくてやっとぎりぎり細マッチョになれる。つまりボディービルダーのようになるのはすごく大変で、まず無理なんですけど、そこを目指すことが必要。僕は、これは万事について言えることだと思っています。何かの勉強を始めたとき、学者になるのはまず無理だけど、ビギナー向けのやり方でちょいちょいやったんじゃ、たいした成果は出ない。何かをやろうと思ったら、本格的な教科書や、その道の本当に一流の人がやっていることを学ぶべきであり、初心者向けに甘口にされたものを頼りにするべきではない。

僕も最初はトレーナーに教わった通り、ほとんど外食禁止で鶏胸肉と卵とご飯ばかり食べるような生活を送りました。でもやっぱりそれをずっとは続けられないから、どれくらい妥協しても大丈夫かという線を今は探っている感じです。妥協しすぎて変化が出なくなったら、プロから教わったストイックな状態にいったん戻せばいい。

筋トレで磨くべきは「頭をからっぽにする習慣」

――一度はそれだけ筋トレにのめりこんでみた結果、仕事や考え方に影響はありましたか?

千葉 僕の場合、頭を空っぽにできたのがよかったですね。もちろんやる前には「どういうふうに力をかけると背中にもっと良く効くかな」とか考えますよ。でも、やってるときはただ力をフルで発揮して回数をこなしていて、あまりごちゃごちゃ考えない。

僕は普段、いろんなことについてああでもないこうでもないと解釈をする、意味が飽和するような世界に生きています。音楽を聴いてもいろんな解釈をするし、絵を見たってそうだし、服を見ても料理を食べても同じ。だから、普段の生活で没入している状態、哲学の言葉でいう「内在」(外から眺める視点なしで、どっぷりその状態の中にいること)的になることがほとんどありません。それに比べて筋トレをしているときは、内在の状態になる。だから終わった後、すごくすっきりします。

千葉雅也さん

――動きすぎる頭を止められる時間、という感じでしょうか。

千葉 筋トレが、自分の中で、「ただやる」力を与えてくれるところはあります。人って、慎重に事を進めようと思ったらいろんな可能性を考えないといけないですよね。でもたくさんの可能性を考えすぎたら、選択肢がいっぱいになって次の行動を選べなくなる。ただ、現実的には完璧な選択肢を選べることなどまずありません。服を買うときでも「こっちのほうが形はいいけど、着心地はあっちがいい」とかいろいろ考えて、すべて完璧な解は出せなくて、いろいろな条件を無視したり、考えているうちにいくつかの条件を忘れたりして、不完全な選択肢を選ぶことになる。そのときには、完璧主義の外に出ないといけない。行為をするためには、完璧主義から抜け出して頭を空っぽにするしかない。

筋トレも同じで、ジムに行くのが面倒くさいとき、行くのをやめる理由はいくらでも考えられるでしょう。でもそんなことを言ってたら、行けないじゃないですか。だからもうとにかく行くしかない。そのときには頭を空っぽにしなければいけない。何も考えずに当たり前の習慣としてジムに行ってトレーニングする。体を鍛えるというより、「習慣の頭空っぽ性」を鍛える。こういうと、ジムに行ってる人がバカだと言ってるみたいだけど、そうではありません。考えた上で行動しているのだけど、やってるときはより良く頭空っぽになることが大事なんです。

――いま筋トレがはやってるのは、同じように考えている人が多いからだと思いますか?

千葉 僕は今の筋トレブームに対しては、すごくアイロニカル(皮肉的)で懐疑的な見方をとっています。グローバル資本主義が激化して、自己責任プレッシャーが強まっているネオリベ(国家による個人や市場への介入を縮小し、個人の自由や市場経済を重視する思想)的な世の中で、自分に自信を持つため、あるいは不安を否認して目をそらすための技法として筋トレやマインドフルネスといった、自己に集中するタイプの技術が人気になっているんだと思うんですね。

急に予測不可能にビットコインが下がるとか、変化が非常に流動的で明日どう変わるかわからない世界にいると、人は自分に近い場所で何か確実性を担保しておきたくなる。それを非常にプリミティブ(原始的、根源的)に実現してくれるのが、筋トレなのではないでしょうか。

千葉雅也さん

――自己啓発系の筋トレ本などで見かける「筋肉は奪われない」「筋肉は裏切らない」といった言葉は、そうした欲求を言語化して煽るものである、と。

千葉 そうそう。グローバル資本主義の厳しい自己責任的な世の中で、原始的に頼れるのが筋肉の成長可能性だから、「筋肉は裏切らない」なんですよね。ただそこでも残酷なことに、筋肥大には遺伝的な素質があるので、どこまでできるかは人によって違いがある。そこをちゃんとごまかさないトレーナーもいるけれど、「誰でも頑張ればすごい体になるんだ」と幻想を説く人もいる。それはまさに「みんなも頑張ればすごい金持ちになれるかもしれないぞ」という考えと、まったくイコールじゃないですか。本当はそんなことはなくて、その人が属している社会的なさまざまな条件や状況によって変わってくる。努力が確実に実を結ぶかどうかなんて、保証されていない。それは筋トレも同じで、努力してどこまでいけるかはわからない。

だから、「筋肉は裏切らない」というのは、今の社会状況を否認するための悲痛な叫びだと僕は思いますね。それでは結局、資本主義の巨大な動きに従属して踊らされている、被従属的な身体なんです。筋肉をつけて確固たる自分を確保しているように見えるかもしれないけど、実際は他律的に身体をつくっている。

――千葉さんが筋トレに向かう理由とは正反対だ、と。

千葉 だから、筋トレと成功哲学の結びつきには、僕はネガティブです。グローバル資本主義もひとつの権力システムであって、“ネオリベ的筋トレ”とでもいうべきものも、フーコー的な意味での規律訓練にほかならない。成功するかどうか保証されない世の中で、何か確実なものが存在するかのような夢を見させているイデオロギーですから。だから僕は、それとは別の、自分自身の身体を再発見するための筋トレを考えていく。そのための簡単な原則は、「人と競わない」ってことですね。

PROFILE

斎藤岬

1986年、神奈川県生まれ。編集者、ライター。月刊誌「サイゾー」編集部を経て、フリーランスに。編集を担当した書籍に「別冊サイゾー『想像以上のマネーとパワーと愛と夢で幸福になる、拳突き上げて声高らかに叫べHiGH&LOWへの愛と情熱、そしてHIROさんの本気(マジ)を本気で考察する本』」『DEATH MATCH EXTREME BOOK 戦々狂兇』など。

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