つくりびと

桐(きり)製サーフボード作りに福島の山間で挑むタンス職人・角田庄伸さん

割れやゆがみといった経年劣化が少なく、軽量で断熱性も高い高級木材「桐(きり)」。日本では家具に使われることが多いが、海外では高級サーフボードの素材として使われることもあるという。かつては木製が主流だったサーフボードだが、今やポリウレタンやポリスチレンなどのプラスチック製が一般的。とはいえ桐製のサーフボードは、木目の美しさや希少価値の高さから、サーファーたちにとっては常に憧れの存在だ。

日本はもちろん世界でも一部の職人しか手がけていないという総桐製サーフボード。そんなレアな逸品を、福島・奥会津の山間にある三島町で作り続ける職人がいる。会津桐タンス株式会社の角田庄伸(つのだ・しょうしん)さんだ。

会津桐タンス株式会社の角田庄伸さん(40歳)

会津桐タンス株式会社の角田庄伸さん(40歳)

地元の産業を守るために、奥会津三島の桐を使って「ものづくり」を

工房の前に並ぶ膨大な量の桐材。乾燥と渋抜きのために3年ほど干す。奥会津の厳しい風雨に耐えることのできなかった板は、この時点で取り除かれるため、非常に上質な桐材のみが残る

工房の前に並ぶ膨大な量の桐材。乾燥と渋抜きのために3年ほど干す。奥会津の厳しい風雨に耐えることのできなかった板は、この時点で取り除かれるため、非常に上質な桐材のみが残る

なぜ、海から遠く離れた福島の山間の小さな町で、桐製サーフボードを手がける職人がいるのか。その背景には、奥会津・三島町の主要産業である桐栽培の危機があった。

高級木材として知られる桐の中でも、奥会津三島産の桐は最高級品として珍重されてきた。昭和40年から50年にかけて、三島産桐の成木の価格は、1本あたり100万円は当たり前で、最高1000万円の値がつくこともあったという。ところが昭和40年代後半から安価な外国産桐が輸入されるようになると、国産桐の価格は10分の1までに暴落。三島産桐の価格も同様に下落し、林業に携わる三島の人々は廃業を口にするようになる。

この難局を打開すべく三島町の人々は桐の植栽だけでなく、地元で桐タンスの製造を行い、全国に向けて販売しようと考える。それまで三島は素材としての桐の生産地ではあったが、“加工品”は下駄(げた)が少し作られている程度だったという。こうして1984年、町が工場を建設し、森林組合が運営する形でスタートした。その後、森林組合が撤退する事態となったことを受け、行政、町民、地元企業の共同出資によって、1997年に設立されたのが会津桐タンス株式会社だ。

ものづくりをするには、人材の育成から。そこで同社は桐タンスの産地として知られる新潟県加茂市から職人を招き、タンスの製造とともに後進の指導を仰ぐことに。こうした地道な努力が実を結び、数年後には地元生え抜きのタンス職人が生まれるようになる。

その一人が、角田さんだ。

角田庄伸さん

角田庄伸さん

とはいえ、桐タンスがかつてのように売れる時代ではなくなっていた。同社はタンス以外の家具はもちろんのこと、米びつやバターケース、名刺入れなど各種小物も製造・販売していくことで活路を見いだしていく。

日本のサーフ界の“重鎮”から、思いがけないオファーが

高品質な三島産の桐を世の中に広めるためには、なんでもつくる。そうした柔軟な姿勢が功を奏したのか、同社は思いがけない申し出を受けることに。

サーフィンの世界で著名なシェイパー(※1.)阿部博さんから「会津の桐でサーフボードを作ってみたい」というオファーが届いたのだ。

※1. シェイパー:サーフボードの原型となる板状のパーツ「ブランクス」を削って、サーフボードの長さや厚みなどを決定する役割。

家具や小物といった今までの“製作物”と違い、サーフボード作りはまったく未知の領域。しかし実現できればPRにもつながると考えた同社は、阿部氏からの依頼を快諾する。このプロジェクトの製作担当者に任命されたのが、若手職人の中でも腕が良く、クリエーティブ精神にあふれる角田さんだった。当時角田さんは29歳、職人歴は12年目だったという。

「最初に話を聞いたときは正直、『ウチの上司を含めて、この人たちは何を言ってんだ……』と思いました(苦笑)。(阿部氏ら)湘南の方々はトム・ウェグナー(※2.)という方が作ったサーフボードを持ってきて『三島の桐で同じものを作りたい』と。つまり『ブランクス(※3.)』作りを担当してほしいとおっしゃったんですが、桐タンスとサーフボードなんて、どう考えても作り方が違いますからね。しかも僕はサーフィンの知識なんて全然ない。はじめて話を聞いた時は『これは無理だろうな』と感じました」(角田さん)

※2. トム・ウェグナー:カリフォルニア出身のサーフボード職人。古代ハワイの木製サーフボードを現代によみがえらせた。
※3. ブランクス:サーフボードの核となる板状のパーツ。

会津桐タンス株式会社の現場を取り仕切る板橋充是さん(左)。板橋さんが思いついた新製品のアイデアを角田さんが形にすることも少なくないという

会津桐タンス株式会社の現場を取り仕切る板橋充是さん(左)。板橋さんが思いついた新製品のアイデアを角田さんが形にすることも少なくないという

試行錯誤の末、作りあげた至極のサーフボード

「絶対に不可能」——そう直感した角田さんは、一旦はこの依頼を断る。しかし、やがて「自分の腕を見込んでくれた人たちの期待に応えたい」という思いから、サーフボードづくりへの参加を決意。しかし実作業は困難の連続だったという。

「予想通り作業は困難を極めました。まずサーフボードの素材となる桐の板は3メートル以上の長さが必要で、しかも木目が真っ直すぐな美しい「柾目(まさめ)」じゃなきゃいけないけど、そもそもそんな木がめちゃくちゃ希少。ようやく良さそうな板を見つけて木材のゆがみを調整しようかと既存の機械に入れようと思っても入らない……。予想通りスタート直後から、壁にぶちあたりまし。そしていよいよ加工という段階になっても難所の連続。サーフボードって、四角いタンスと違って3次元の曲線で構成されているから、タンス用の工具なんて使えないんですよ。仕方ないんで、愛用のカンナを改良したり、板を固定して曲げるための道具を自作したりしました。とにかく実際に作り始めるまでに時間がかかりましたね」(角田さん)

サーフボード作りのために改良されたカンナ。曲線加工に対応するため、台を短くするなど随所に改良がを加えているという

サーフボード作りのために改良されたカンナ。曲線加工に対応するため、台を短くするなど随所に改良がを加えているという

「何度も心が折れかけましたよ」と感慨深そうに製作を振り返る角田さん

「何度も心が折れかけましたよ」と感慨深そうに製作を振り返る角田さん

腕利きだったとはいえ、ほぼ直線のみで構成されているタンスを作る職人にとっては、専門外の作業の連続だった。それでも角田さんはサーファーたちからの聞き取りで手に入れた知識を頼りに試行錯誤を繰り返していったという。

「僕はサーフィンの知識や経験がまるでなかったので、とにかく湘南の方々に話を聞くことから始めました。木製サーフボードの基礎的な知識、パーツの名称、内部の構造から、本当に何もかもです。サーフボードの内部は空洞になっていて、場所によって幅や高さが細かく決まっています。それとサイドの部分には薄い板を何枚も重ねて作る『レール』というパーツがあるんです。曲線を出さなければいけないので、試行錯誤を重ねました。と、まあこの辺りは正直なところ企業秘密みたいなものなので、あまり公開したくないんですけどね(笑)」

こうして苦労を重ねて、ようやく誕生したのが「ブランクス」と呼ばれるサーフボードの原型。このブランクスを、湘南のレジェンド・シェイパー阿部博さんが丁寧に削り、防水加工を施すなどして、完成させたのが会津三島桐を使ったサーフボード「KIRI DANCE」だ。道具の準備から最初の1本が完成するまでに要した期間はおよそ3カ月。角田さんはサーフボード作りをこう振り返る

「何度も心が折れそうになりました。正直『もうやめたい』と思ったことも。でも、とにかく1本だけ作り上げようという思いで、なんとかやりきったという感覚でした。ところが1本作ってみると、もっと良いものが作りたいという欲が出てきてしまったんです(苦笑)。今のところ15本のブランクスを作りましたが、できで言えばやはり最後に作ったものが一番良いですね」

サーフボード「KIRI DANCE」の価格は1本100万円。プラスチック製のものでは、安いもので1本3万円で販売されているものもある。そんななかにあって、100万円は文字通りケタ違いの価格である。しかし、その希少性、美しさ、そしてなにより職人らの熱い思いにほれ込んだサーファーらがKIRI DANCEを購入していったという。

角田さんが持っているのが、サーフボードのサイド部分に使う「レール」と呼ばれるパーツ。向かって右側はサーフボード内の「リブ」と呼ばれる骨組みの曲線を作る器具「ジグ」

角田さんが持っているのが、サーフボードのサイド部分に使う「レール」と呼ばれるパーツ。向かって右側はサーフボード内の「リブ」と呼ばれる骨組みの曲線を作る器具「ジグ」

「ずっと当たり前に物をつくってきた。その楽しさは、ごく自然なもの」

半ば巻き込まれる形でサーフボード製作を始め、試行錯誤を繰り返す中で完成にこぎつけた角田さん。現在、「KIRI DANCE」は受注生産となっているため、基本的に日々の作業は桐製タンスや各種家具の制作が中心。さらに三島桐を使った日用品の製作など、顧客や同僚の要望を試行錯誤しつつ形にする毎日を送っている。「サーフボードのような大きい物は手元で1ミリくるえば、先端で数センチずれることがあるので、より精度の高い作業が求められます。その点では日用品などの小物は作りやすい面がありますよね」と語る角田さんに、「つくること」について聞いてみた。

「もう『人生』としか言えないですよね。この辺りは田舎ですから、子どもの頃からおもちゃでも棚でも自分でつくるのが当たり前でした。僕は、ずっと当たり前にものをつくってきたんですよ。だから正直言って職人になったのも『いつの間にか』なんです。ものづくりは楽しいです。でも、ものすごくテンションが上がるとかではなく、もっと自然に湧き上がってくる感じの喜び。だから何十年か後にタンス職人を引退するようなことがあっても、やっぱり何かをつくり続けるだろうと思う。ものづくりをやめることは、決してないでしょう」

会津桐タンス株式会社
住所:福島県大沼郡 三島町 大字名入字諏訪の上394番地
公式サイト:http://www.aizukiri.co.jp/

取材・文/吉田大
撮影/今井裕治

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