本を連れて行きたくなるお店

勤め人の飲み会は“明るくておかしくて、でも少しかなしい” 椎名誠『新橋烏森口青春篇』

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるんだろうか……。なぜその本を選んだのだろうか……。本とお酒を愛する編集者で鰻(うなぎ)オタクの笹山美波さんは、本の中の物語が現実世界とつながるような、そんなお店に連れて行ってくれます。

飲み会はお金と時間のムダ、だから歓送迎会すら参加したくない――。そんな声をたびたび耳にする。説教やグチを長々と聞かされ、時にはセクハラやパワハラの場になってしまうこともあるなど、マイナスの印象があるせいだろう。その気持ちも理解できる。

ただ、その一方で、居心地がよく感じる飲み会も多い。近ごろコンプライアンスへの意識が高まり、ハラスメントまがいの行為も減りつつあるせいもあるだろう。私自身、イヤな印象を持っていた飲み会に、ひとことでは言い表せない魅力が詰まっているのに気づけるようにもなった。

昭和の会社員は職場と酒場が一緒だった

歓送迎会の季節なので、飲み会の魅力について考えてみたい。今回は、勤め人がお酒を酌み交わすシーンの多い、昭和40年代の新橋周辺を舞台にした小説『新橋烏森口青春篇』を取り上げる。椎名誠の自伝小説で、流通業界の専門誌に入社したての新人時代が詳細に描かれている。

23歳の主人公「シーナ君」の勤める会社は、飲み屋やバーが軒を連ねる新橋西口通りの先にある。かなり自由な社風で、出社時間が「そこそこルーズでよい」うえ、タイムレコーダーや出勤簿のたぐいが一切ないのがいいところ。

業務はハードなので、シーナ君と同僚たちは目の前の仕事に無心で取り組みつつ、夜は毎日のように飲みに出かけた。会社近くの行きつけの居酒屋へ集まり、仕事のグチを言い合い、好きな女性の話をした。時には、会社の屋上で缶ビール片手に徹夜で賭けポーカーを楽しむこともあり、「それはそれで結構面白かった」そうだ。

『新橋烏森口青春篇』のほか、『哀愁の町に霧が降るのだ』『銀座のカラス』を合わせて椎名誠の「青春三部作」と呼ばれている。学生時代から若手社員として活躍し、独立するまでが三作で描かれている

『新橋烏森口青春篇』のほか、『哀愁の町に霧が降るのだ』『銀座のカラス』を合わせて椎名誠の「青春三部作」と呼ばれている。学生時代から若手社員として活躍し、独立するまでが三作で描かれている

大戦時の強制疎開の影響で更地となった新橋駅西口一帯は大きな闇市だった。それが今の西口通りやニュー新橋ビルとなった。それゆえ酒場や風俗店が多くなっている(写真左)、再開発の話が進んでいると聞くが、新橋周辺へ行くと今でもその雰囲気を味わえる(写真右)

大戦時の強制疎開の影響で更地となった新橋駅西口一帯は大きな闇市だった。それが今の西口通りやニュー新橋ビルとなった。それゆえ酒場や風俗店が多くなっている(写真左)、再開発の話が進んでいると聞くが、新橋周辺へ行くと今でもその雰囲気を味わえる(写真右)

楽しいことよりも辛いことの方が多い会社員生活で、互いをねぎらい、一緒にストレスを発散できる場所。それが、シーナ君たちにとっての飲み会だったのだろう。先輩世代の社会人にとってはさほど珍しくもない話かもしれないが、私はその関係性が少しうらやましくなる。

今は「ワーク・ライフ・バランス」の考え方が個人個人にも広がりつつあり、「働き方改革」が企業で積極的に実践されていて、『新橋烏森口青春篇』のような“ある意味”アットホームな会社や社員は減っていると感じるからだ。

シーナ君が“暇さえあれば”上司と飲みに行ったおでん屋のシーンを体験しようと、西口通りの先にあるおでん屋を訪問。中年のサラリーマンに囲まれ、一人日本酒をあおる。いい気分

シーナ君が“暇さえあれば”上司と飲みに行ったおでん屋のシーンを体験しようと、西口通りの先にあるおでん屋を訪問。中年の会社員に囲まれ、一人日本酒をあおる。いい気分

訪問したおでん屋「雅」は、西口通りとマッカーサー通りがぶつかる位置にある。昭和53年創業と歴史も長い。ゆらゆら炊かれているおでん鍋からいくつか頼んだ。一つ170円~とリーズナブル(左)、ふわっとした独特な食感のハムカツ。ビールにも日本酒にも合う(右)

訪問したおでん屋「雅」は、西口通りとマッカーサー通りがぶつかる位置にある。昭和53年創業と歴史も長い。ゆらゆら炊かれているおでん鍋からいくつか頼んだ。一つ170円~とリーズナブル(左)、ふわっとした独特な食感のハムカツ。ビールにも日本酒にも合う(右)

仕事中、昼の日比谷公園でビールを飲むと、なんとも言えない気持ちに

『新橋烏森口青春篇』には、仲間と杯を交わす描写がいくつもある。一番のお気に入りは、日比谷公園で昼からビールをジョッキであおるシーンだ。と言っても、シーナ君たちはしょっちゅう昼から飲んでいるわけではない。ちょっとした理由がいくつも重なったのだ。

先輩社員「ベエさん」に付き添い、シーナ君は広告出稿先の会社が主催する展示会を訪れる。二人で簡単な挨拶(あいさつ)を済ませると、担当者が紙袋に入ったお土産をくれた。紙袋を開くと粗品のほかに、なんとお車代が5000円も入っていた。これは心が躍る。

会場を出ると、梅雨の季節のせいで蒸し暑く、上着を脱いでも汗が流れてくる。そして、気づけば時間は昼時。どこも混み合っているので、ベエさんの当てを頼りに日比谷公園のお店に向かう。そこでメニューを開くとビールが載っていたのだ。

蒸し暑いなか、ビールがある店にいる。お金もある。これは注文せずにはいられない。

 

ベエさんが「ビールのもうか? 生ビール」と誘うと、シーナ君はあいまいにうなずく。結局この後、二人でジョッキ四杯も飲んでしまうことに

ベエさんが「ビールのもうか? 生ビール」と誘うと、シーナ君はあいまいにうなずく。結局この後、二人でジョッキ四杯も飲んでしまうことに

読んでいるうち我慢できなくなり、私も日比谷公園を訪れた。おそらく物語の舞台となった「日比谷サロー」は日本最古とも言われる、昭和24年創業のオープンテラスのレストラン。席からは日比谷公園が見渡せる。

取材したのが日曜日ということもあってか、お客さんは老夫婦やカップル、若い女性2人組などで、コーヒーや紅茶とともにランチを楽しんでいる。その横で、私は一人でビールをジョッキで注文した。文句なくおいしいのだが、不思議な気持ちになった。平日は遅くまで仕事をし、休日は大きなジョッキを抱えてビールを飲みつつ原稿を書く自分と、ゆったりとした休日を過ごす周囲のお客さんとのギャップに、背徳感も含んだ愉快さを感じ、同時に「何やってるんだか」と少しだけ寂しくなったのだ。

シーナ君も、お昼休みの女性会社員たちが公園でバレーボールを優雅に楽しむ姿を席から眺めていると、「なにかずいぶん違ってしまっているのだろうなあ」とやるせない気持ちになったそうだ。毎日夜遅くまで猛烈に仕事をこなし、その息抜きで昼からビールを飲んでいる自分らと彼女たちをつい比べてしまったのだ。

別に、自分が置かれた状況が嫌なわけではない。けれども、「なぜ私はあちら側の人間ではなかったのか?」という疑問もつい頭に浮かんでしまう。

シーナ君のように同志と一緒にいれば、あまり悲しく感じずに済んだろう。なんだかおかしくなってフッと一緒に笑うこともできたかもしれない。気分が落ちそうな時も、仲間と一緒にいると不思議なパワーが生まれるものだ。

日比谷サローは、雨よけのある屋内席とパラソルのある屋外の席に分かれている。天気がいい日は屋外の席が気持ちよくておすすめ(写真左)、物語をなぞるために、おつまみにソーセージの盛り合わせも注文し、きちんと2杯目まで飲み干した(写真右)

日比谷サローは、雨よけのある屋内席とパラソルのある屋外の席に分かれている。天気がいい日は屋外の席が気持ちよくておすすめ(写真左)、物語をなぞるために、おつまみにソーセージの盛り合わせも注文し、きちんと2杯目まで飲み干した(写真右)

お店の向かいには日比谷公園の噴水と花壇があるので、きれいな景色を楽しめる

お店の向かいには日比谷公園の噴水と花壇があるので、きれいな景色を楽しめる

同僚との“飲みニケーション”は、『青春篇』の読後感に似ている

ただでさえ仕事が忙しいのに、わざわざ同僚と雑談をするために飲みに行くのは時間がもったいない。それに、仕事が辛いならすぐに転職すればいいし、ストレスはプライベートで発散すればいい――。飲み会についてそう合理的に考える方もいるかもしれない。

けれども、同僚とは毎日顔を合わせて長い時間を過ごすのだから、よくよく話してみれば仕事の楽しみや苦しみを共有し、共感し合える仲間になれる可能性だってある。自分が抱えている問題を、同僚が解決してはくれないかもしれないが、落ち込んだ気持ちをパッと明るくしてくれるかもしれない。

『青春篇』を読むと、飲み会の帰り道の時のような気分になれる。そして、楽しい飲み会に行けば、その帰りには『青春篇』を読んでいる時のような気持ちになるだろう。

勤め人にとって、飲み会は“明るくておかしくて、でも少しかなしい”。きっとそう感じるはずだ。

 


東京都港区新橋4-14-6 第2西欧ビル1F
03-3436-6811
営業時間:17:00~22:50/土日祝日定休

 

日比谷サロー
東京都千代田区日比谷公園1-1
03-3591-2411
営業時間:11:30~閉店は日没から21:30の間/月曜定休(祝日の場合は翌日へ振り替え)
https://hibiyasaroh.jp/

PROFILE

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。

行儀は少し悪いけど、食べだしたら止まらない汁かけご飯
池波正太郎『剣客商売』の深川めし

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