私の一枚

音楽プロデューサー亀田誠治の“転機のモヒカン” きっかけは椎名林檎の一言

約20年前、椎名林檎さんのデビューにプロデューサーとして関わりました。これはセカンド・アルバム『勝訴ストリップ』のレコーディングの時なので、1999年に撮った写真かな。理由はあとでお話ししますが、見てのとおり、実はこの時の僕、モヒカンだったんです。

才能を買われたのか、人柄で買われたのか

林檎さんの件で最初に僕が連絡を受けたのは、1997年の春か夏だったと思います。彼女が所属するレコード会社のディレクターから、「新しい女性アーティストをデビューさせることになったんだけれど、今までになかったような歌詞、今までになかったような曲、そして本人も奇想天外なアイデアを持っていて、我々では手に負えない。でも亀ちゃんだったら彼女のいいところ、僕らがどうしていいかわからないところを引き出してくれるんじゃないか」という相談を受けたんです。

僕はいつも、どんな仕事であっても、常に全力で音楽に取り組んできました。これは当時も今もまったく変わらない音楽家としての僕のスタンスです。例えば夜の11時ぐらいに電話がかかってきて、「どうしても明日の朝までに1曲アレンジしてほしい」というような依頼があっても「いいよいいよ」と言ってすぐに応えます。そういう僕の仕事を見ていた方々が、「亀ちゃんだったらこの子と向き合えるだろう」と思ってくれたみたいです。だから、才能を買われたのか、人柄が買われたのか、その辺はわからないんですけどね(笑)。

当時の音楽界は、小室哲哉さんの作品が大ブームを巻き起こす一方、Mr.ChildrenやGLAYといったバンドサウンドが流行っていた時期。そんな時代に、女性の情念のようなものをさらけ出したり、ちょっと性的なことやアンダーグラウンドな匂いも漂わせたり。そんなとんがったシンガー・ソングライターが、果たして小室さんやミスチルやGLAYが全盛のシーンの中に入っていけるのか……。レコード会社は当時、林檎さんについてそんな捉え方をしていたようです。

ビジネスだから当然ですけれど、レコード会社としては、やっぱり成功する確率の高いものを選びたいですからね。もちろん僕だってお仕事としてお話をいただいているわけですから、クライアントから意見が出れば「なんとか擦り合わせよう」という意識が働いても不思議ではないところです。

ところが僕と林檎さんは、そんなレコード会社の思惑を超えて、すぐに意気投合しました。今までにない音楽を作りたかった僕と、今までにない音楽で自分を表現したい彼女の思いが見事に合致したんです。

自分の写し鏡に初めて出会えた喜び

最初に林檎さんと会話した時、彼女はこんなことを言いました。

「私はマライア・キャリーも好きですし、『サウンド・オブ・ミュージック』のサントラも大好きです。ザ・ピーナッツや朱里エイコさんも大好き。でもMAXも好きです」

おもしろいなと思いました。この子には、音楽をジャンルや時代で分ける意識がまったくない。サブスクリプション(編注:SpotifyやApple musicなどの定額音楽配信サービス)でいろんな音楽に接することができる今の時代を予見するような音楽の聴き方を、彼女はすでにしていました。

僕自身もジャンルレス&ボーダーレスで音楽を愛してきたし、全米トップ40もクラシックもジャズも、いろんな音楽を幼少期から聞いて育ってきました。そんな僕の血となり肉となっている部分と、林檎さんの音楽の愛し方が一致していたので、すぐに林檎さんのルーツを受け入れることができた。自分の中で正しいと思っていたことの写し鏡に初めて出会えた感覚でした。そして、音楽的なボーダーを超えて自分のメッセージを発信しようとするアーティストがこの時代にいることに、本当に感動しました。

林檎さんに感化され自分の想像力も開いていった

その後は約1年間、一緒にデモテープを作り続けました。レコード会社からは「もっとこういうふうにして」とか「こうしないと売れないよ」とか、いろんなことを言われましたね。会議にも何度も呼び出されました。

でも僕は「今までにないものだからやるんだ、待っている人がいるから」と言って、一切の雑音をはねのけました。ある意味、林檎さんの盾になった。当時32、3歳の僕がレコード会社を相手にそれをやったわけですから、自分で言うのも変ですが、よく頑張って守ったと思います。林檎さんも、そんな僕を「師匠」と呼んで信頼してくれるようになりました。

驚くべきは、デモテープを作る時点で、ファースト・アルバム『無罪モラトリアム』とセカンド・アルバム『勝訴ストリップ』の2枚分の曲がほとんどそろっていたことです。『ここでキスして』も『歌舞伎町の女王』も『ギブス』も『本能』も『丸の内サディスティック』も。そんな彼女の想像力に感化されて僕の想像力も開いていったし、人間としても開かれていきました。

音楽プロデューサー亀田誠治の“転機のモヒカン” きっかけは椎名林檎の一言

プロとして活動を始めて今年で30年。プロデューサーとして数々の有名アーティストから信頼を集める亀田誠治さん

モヒカンによって自分がトランスフォームした

僕が考えうる最高のバンド・メンバーの力を借りてレコーディングした『無罪モラトリアム』は予想通りヒットして、僕にとって初めて大きく成功した作品となりました。その後、全国ツアーが決まり、そのツアーも僕が引き受けることになりましたが、そのツアーに入る前のある日、林檎さんが突然、僕にこう言ったんです。

「師匠、もしかしたら……モヒカンとかお似合いかも」

僕は音楽を始める前からずっと今と同じような髪型で、ピアスを開けたこともなければタトゥーを入れたこともありません。たぶん林檎さんは、一番僕っぽくない髪型を選んだのだと思いますけど、何の疑いもなくその場で「いいね!」って言ってしまった。林檎さんという信頼できるパートナーの言葉だったからでしょうね。

そうして、林檎さんの初ツアーはモヒカン姿で臨みました。この写真では髪が立っていませんけど、ライブの時は砂糖水と洗濯のりで立てるんです。それだけで1時間。林檎さんのヘアメイクよりも時間がかかりました。でも、そういうことも林檎さんは楽しむんです。「今日はまたいきり立ってらっしゃる」とか言って(笑)。

でも、自分としてはこのモヒカンは大きな転機になったと思っています。新しい自分にトランスフォームしたような気持ちになったし、自分の音楽と人生に対して覚悟が深まった感じもあった。そして、人の言うことを素直にやってみると、その先に想像以上の世界が開けることを学びました。事実、その後に、平井堅さんやスピッツといったアーティストがプロデュースの相談をしてくれるようになりましたから。

リアルな音楽の場をもっと作っていきたい

僕はいつも、自分が持っているスキルや経験やチームを自分のまわりに閉じ込めるのではなく、すべての人にオープンにして、同世代や次世代の仲間たちに渡したいと思っています。音楽が大好きで、音楽に育てられてここまで来た。だからこれからも街じゅうに素晴らしい音楽があふれていてほしい。

そのためには大事なのは教育、伝えていくことだと僕は思います。それも、座学ではなく実体験や肌感覚で。これまでテレビやラジオで番組を持ち、インタビューなどで寄せられる質問にできる限り答えてきたのも、そんな思いがあったからです。

6月1日と2日に開催される日比谷音楽祭では、プロデューサーと実行委員長を務めます。日比谷公園全体と日比谷ミッドタウンで開催されるフリー(無料)の音楽フェスです。親・子供・孫という世代の縦軸と、ジャンルをまたぐ横軸。この縦横をつなぐフリーイベントをずっとやりたいと思っていました。それがようやく実現します。

公園では、ワークショップで楽器演奏や楽器作りを体験したり、トップミュージシャンが直接アマチュアの人たちや子供たちと音楽で触れ合ったりする場をたくさん作る予定です。また野音のステージでは僕がバンドマスターになって、石川さゆりさんや布袋寅泰さん、ゴダイゴ、JUJU、新妻聖子さん、YouTubeで人気の9歳の天才ドラマー、よよかちゃんらが同じステージに立って、「音楽は、無限の可能性があって、ジャンルや世代を超えてボーダーレスに楽しめるものなんだ」ということを表現したいと思っています。

今回の音楽祭を手がけることで、音楽を作る仕事とは違うもう一つの役割が自分にできたと思っています。これから大人になっていく世代にも、僕らの世代にも、そして僕らの上の世代のためにも、とにかく音楽の素晴らしさを伝えていく。そのために、もっとリアルな音楽の場を作りたい。音楽のバトンを繫(つな)いでいきたいんです。

もちろん、そのスタンスは音楽を作る時と同じです。心血を注いで挑戦する。相手が望んでいることに対して全自分を投入して応えていく。そのやり方はまったく変わりませんし、それがなくなったら、もう僕は僕ではないと思います。

 

音楽プロデューサー亀田誠治の“転機のモヒカン” きっかけは椎名林檎の一言

亀田さんがプロデューサー兼実行委員長を務める『日比谷音楽祭』は6月1日、2日に開催

かめだ・せいじ 1964年、ニューヨーク生まれ。1989年からアレンジャー、プロデューサー、ベースプレーヤーとして活動を開始。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、Do As Infinity、いきものがかり、JUJU、秦基博、絢香、チャットモンチー、フジファブリックなど数多くのアーティストのプロデュース、アレンジを手がける。2004年には椎名林檎らと東京事変を結成。2007年第49回、2015年第57回日本レコード大賞にて編曲賞を受賞。NHK Eテレ『亀田音楽専門学校』(2013~2016)やJ-WAVE『BEHIND THE MELODY〜FM KAMEDA』(2012~2017)といった番組で独自の音楽観、音楽論を披露するなど、音楽文化の発展、拡大にも力を注いでいる。自身がプロデューサーと実行委員長を務める『日比谷音楽祭』では現在クラウドファンディングでの応援を募集中!

■日比谷音楽祭オフィシャルサイト https://hibiyamusicfes.jp

■日比谷音楽祭クラウドファンディングページ https://www.securite.jp/project/hibiya

PROFILE

髙橋晃浩

福島県郡山市生まれ。ライター/グラフィックデザイナー。ライターとして有名無名問わず1,000人超にインタビューし雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆は200枚以上。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル株式会社代表取締役。

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