この1点に会いにいこう

画家・歯科医・教授……前衛であり続けた中原實の傑作 東京都現代美術館リニューアル記念展の中核

中原實《杉の子》1947

中原實《杉の子》1947

せっかく展覧会に行ったのに、作品の魅力をいまいち実感できないまま美術館を後にした……という経験をしたことがあるのでは? そこで、本連載では開催中(もしくは近日開催予定)のアート展を取り上げ、出品作品の中からその展覧会や作家の魅力が凝縮された1点を紹介していく。たった1点だけでも、見に行く価値がある! そんなアートの新しい鑑賞スタイル。さぁ、この1点に会いに行こう。

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2019年3月29日、約3年の休館期間を経てリニューアル・オープンした東京都現代美術館。記念展として開催されているのが、1910年代から現在までの百年にわたる日本の美術を総覧する企画展「百年の編み手たち 流動する日本の近現代美術 -」だ。編集的な視点で新旧の表現をとらえ、独自の創作を行った作家=「編み手」たちの作品が、3フロアにもわたって展示されている。そのなかで注目したい1点が《杉の子》。作者の中原實(なかはら・みのる)は、洋画家であると同時にさまざまな顔を持っていた。そのユニークな活動について、東京都現代美術館で学芸員を務める関直子さんにお話を聞いた。

ふたつの空間と時間が共存

《杉の子》は、中原實が終戦から2年後の1947年に描いた作品。画面上部には池と林のようなものが、下部には畳敷きの部屋とそこで眠る子どもが描かれている。異なる空間が組み合わされていることには、深い意味が込められているという。

「実は、絵の上半分と下半分では、空間だけでなく時間も異なるのです。下部は1947年当時の中原の自宅。眠っているふたりの子どもは、自身の娘です。上部は、戦争末期である1944年前後の井の頭恩賜(おんし)公園の杉林です。井の頭恩賜公園の近くに住んでいた中原は、戦争の資材として使うために次々と木が伐採される状況を見て『とうとう公園の木まで切られる事態になってしまった』と感じたようです。この絵には、現在と近接の過去が描かれているわけです」(関さん)

ふたつの場面を隔てるブルーに塗られた部分は、井の頭恩賜公園の池のようにも感じるが、沿岸の形は東京湾を彷彿(ほうふつ)させる。さらに、赤い服を着ている娘の枕元には反転させた日本列島が描かれているのだ。

「東京湾や日本列島は、他国とのつながりを表すのではないでしょうか。つまり、単に部屋の中と外を描いたのではなく、日本とアジアとの関係といった、より広い世界観を示唆しているのだと思います」(関さん)

同時に、戦争という暗い過去の記憶だけでなく、未来への希望も描いているという。それを表すのが、日本列島を吊(つ)った糸の先端にあるナス。「『一富士二鷹(たか)三茄子(なすび)』というように、吉祥のシンボルとしてナスを描いたのではないか」と関さんは話す。

「伐採された杉林には、ところどころ若木が生えているのが見られます。悲惨な過去を忘れるのではなく、しっかりと受け止めたうえで、現在の状況を冷静に見つめ、未来に夢を託す。これは、非常にポジティブな作品でもあるんです」(関さん)

科学と芸術を組み合わせて“編集”する

近現代の日本美術を見渡す本展の、核となる作家のひとり――関さんは中原をそう評する。

それは中原が稀有(けう)な経歴をもち、世界史の大きなうねりのなかで常に“美術の現状”をとらえようとした作家だからに他ならない。このことは、《杉の子》に見られる、異なる空間と時間の組み合わせや、きわめて広い視点とプライベートな視点の共存といった特徴にもむすびついている。

1893年、東京生まれ。父は日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)の創設者であり、中原も同校を卒業した。そのあとハーバード大学に編入学して歯学を学び、卒業。第1次世界大戦中に渡仏し、フランス陸軍の歯科医として兵士の治療にあたった。

ここまででも十分に波瀾(はらん)万丈だが、第1次世界大戦の終結後、なんと中原はパリの芸術学校に入学した。そこで油絵を学び、才能を開花させることとなる。芸術学校を卒業したあとに移ったベルリンは、当時「ダダ」の最盛期だった。ダダは既成の価値観を否定し、秩序や調和を壊そうとする芸術運動で、例えば、写真を切り貼りするフォトモンタージュという手法はこのころに生まれたといわれている。中原は現地でその思想を吸収し、1923年に帰国。同年に起こった関東大震災を乗り越え、翌年に制作した《ヴィナスの誕生》には、ダダの影響が色濃く表れている。

中原實《ヴィナスの誕生》1924

中原實《ヴィナスの誕生》1924

「ダダの特徴は『断片化と寄せ集め』といえます。《ヴィナスの誕生》は、フォトモンタージュを油絵で表現した作品。都市の暗部や傷を負った人など、さまざまなモチーフの断片を寄せ集め、第1次世界大戦後の混乱したヨーロッパを表現しています」(関さん)

中原は日本に帰国後、さらに精力的に活動する。母校の教授となって教壇に立ち、学会の仕事をこなし、歯科医師として患者の治療にあたり、そして画家として油絵を描いたのだ。

さらに、1924年には関東大震災で焼失した東京・九段に「画廊九段」をオープン。オーガナイザーとして、国内やヨーロッパの前衛美術を紹介する展覧会などを開催した。画廊九段は、日本では1980年代から徐々に増えていった、オルタナティブ・スペースの先駆けともいえる。時には演劇作品の脚本を書き、演者として舞台に立ってもいた。

いくつもの肩書をもつのと同じように、作風も実に多様だった。《ヴィナスの誕生》をはじめとするダダ的なものもあれば、緻密(ちみつ)な肖像画もある。なかでも注目したいのが、科学の要素を取り入れた作品だ。

中原實《乾坤》1925

中原實《乾坤》1925

「もともと理系の人ということもあり、科学の目で宇宙の真理や生命の原理をとらえるようなことに興味をもっていました。たとえば《乾坤》という作品には、細胞を想起させるものや星雲などが描かれています。それから、プリズムで光を分解したときに現れるような色の帯も。光は中原が特に関心を寄せていたもののひとつだったんです。このように、古今東西の新旧さまざまなものを集めて“編集”し、自分なりの表現をすることが、中原の持ち味でした」(関さん)

中原は、自身と同じように芸術と科学に秀でていたレオナルド・ダビンチに深い共感を寄せていた。そのことは、細密な人物表現など、作品の細部に読み取ることができる。

アバンギャルドであり続けた存在

その後も画家、教育人、医師のどれも欠くことなく、二科展で知られる芸術団体「二科会」の理事や、日本歯科大学学長、日本歯科医師会会長などを歴任した中原。画家として活動するなかで一貫していたのは、アバンギャルド=前衛であり続けることだった。

「ダダに代表される1920年代のアバンギャルドは、第1次世界大戦の産物ともいえます。中原は、第1次世界大戦を実際に体験したことで、その本質を本当の意味で理解した稀(まれ)な日本人芸術家でした。1920年代半ばになると、日本の多くの芸術家は社会に対してもっと広くアプローチしようと考えるようになり、表現の場を漫画や新聞の挿絵などに広げていきます。そんななかで中原は、科学的な思考を軸にアバンギャルドを貫いたのです」(関さん)

独自の視点は、彼が書いた芸術論にも表れている。

「言葉にもたけていた中原は、自身の芸術理論を本にまとめています。本のなかには、科学と芸術の関係、それから、新しいスタイルの美術館の構想まで書かれているんです。『美術館にはいろいろな作家の作品が飾られるから、館内に入る前に余計なイメージをつけないよう、外壁は黒にするべきだ』という考えが、美術館のイメージ図とともに語られている。これが書かれたのは1925年で、初めて読んだとき『この時代に、こんなに新しい美術館建築を考えた人がいたのか』と驚きました」(関さん)

世間の風潮に流されず、前衛精神を貫き通した中原。ただし、視野が狭かったわけではなく、むしろ誰よりも広い視点から社会を眺め、状況を冷静に見極めたうえで、自身がどうあるべきかを考えた。そんな無二の思想は、多面的な活動の賜物(たまもの)だ。信念は曲げずに、時代のあらゆる変化を受け止めて絵画に落とし込む。そのすぐれた“編集力”を、会場で存分に感じてほしい。

ほか出品作品と、リニューアルした館内の写真はこちら

<展覧会概要>
リニューアル・オープン記念展 企画展
百年の編み手たち -流動する日本の近現代美術-
1910年代から現在までの百年にわたる日本の美術について、コレクション作品を核に再考する展覧会。「編集」を通して主体を揺るがせつつ制作を行う作家たちの活動に着目し、その背景を探る。日本の近現代美術史のなかに点在する重要な作品群を総覧することで、百年にわたる歴史の一側面があきらかになる。

会期:2019年6月16日(日)まで
開館時間:10:00〜18:00 *展示室入場は閉館30分前まで
休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)*ただし4月29日、5月6日は開館
会場:東京都現代美術館
https://www.mot-art-museum.jp/

取材・文/平林理奈

PROFILE

平林理奈

1984年生まれ。武蔵野美術大学出身。Web制作会社と編集プロダクションを経て、2016年よりフリーエディター&ライターに。アートやデザイン、カルチャー、ライフスタイル分野を中心に、書籍、雑誌、Web、広告物などで編集と執筆を行っている。アートとサブカルが交差したような表現が好き。

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