大御所シェフのいつものごはん

圧倒的な手間と手頃な価格で日々行列 有名パティシエも通う「国分寺そば」

卓越した技術・味覚・知識を持つ料理界のトップランナーが、行きつけの飲食店を明かす当連載。今回は「パティスリー タダシ ヤナギ」の柳正司さんが通うそば店「国分寺そば」を紹介します。

今回の大御所シェフ

柳正司さん

柳正司さん
1954年、群馬県生まれ。「三笠会館」「ピュイ・ダムール」を経て、83年よりレストラン「クレッセント」のシェフ・パティシエとして活躍後、98年海老名に「パティスリー タダシ ヤナギ」をオープン。国内外のコンクールで輝かしい受賞歴を誇り、パティシエの世界大会「クープ・デュ・モンド」では団長として日本チームを優勝に導いた。日本洋菓子協会連合会技術指導委員長、東京都洋菓子協会副会長。平成27年度「現代の名工」。

【大御所シェフが通う店】国分寺そば(海老名)

古民家風の建物は築36年。近くには8世紀創建の相模国分寺跡がある

古民家風の建物は築36年。近くには8世紀創建の相模国分寺跡がある

世界的な製菓技術者である柳さんは、講習会やコンクールなどで、海外に出かける機会が多い。帰国したとき成田から直行するのが、海老名の「国分寺そば」だ。家族で通って、もう20年になる。

実は、そば嫌いだった柳さんを転向させたのが、この店だった。

柳さんのふるさとは、尾瀬のふもとの群馬県・片品村。幼少期はほぼ自給自足で、家の畑で栽培したそばを村共同の水車で粉にひき、手打ちするのが常だった。うらやましいような話だが、ゆで置きしておいたのを食べるから、モソモソとして、子供心にちっともおいしくなかった。

そんな柳さんが、ここでそばの香り、のどごしに開眼してから、一転して大のそば党になった。来日したフランス人のパティシエも連れて行くそうだ。なによりこだわるのが、出てきたら即刻、早く食べること。同席者がゆっくり食べていると、ハラハラしてしまう。

もっとも素早く食べるべき、と柳さんが考えるのが「そばがき」だ。最初のひとくちは、生じょうゆだけでシンプルに。

「そばがき」700円。そば粉自体のおいしさを味わう究極の一品

「そばがき」700円。そば粉自体のおいしさを味わう究極の一品

力強く練ることで空気が含まれ、ふわっとした食感

力強く練ることで空気が含まれ、ふわっとした食感

「ふわっとして、それでいてねっとりとした食感と、すっと鼻に抜ける香り。熱々のうちに食べきらないと、もったいないです」

鋭い味覚の柳さんをうならせるそばがきは、特注した鋳物鍋とすりこぎを使って、そば粉を熱湯で一気に練り上げる。1分弱の加熱だから香りが生き、打ったそばとはまた違う、独特の食感が生まれる。

そばがきほど、そば粉の善しあしがわかる料理はない。そばがきをメニューに出すこと自体が、材料に対する店主の自信のあらわれだ。

市川雅史さん。20歳で開業し、独学でそば打ちの腕を磨いた

市川雅史さん。20歳で開業し、独学でそば打ちの腕を磨いた

国分寺そばの主人、市川雅史さんは、各地の農家をまわって畑を見ることからはじめ、これぞという農家たちから、殻がついたままの玄そばを送ってもらっている。

玄そばは、低温倉庫で熟成させ、製粉しては当日中に使い切る。貯蔵と製粉まで自分で行っているそば屋は、なかなかない。その日の産地と品種、生産者の名前が書かれたホワイトボードが、いちばん目立つ入り口脇に掲げられていて、店主の心意気が伝わってくる。

そば粉の産地・品種・生産者がしるされたボード

そば粉の産地・品種・生産者がしるされたボード

品種は時期ごとに使い分ける。この日の粉は、茨城県産「常陸秋そば」。香り・色・食感の三拍子がそろった優等生だ。新米と同じように、そばも秋に収穫したての「新そば」が喜ばれるが、味がのってきて本当においしくなるのは、年を越した2月から。常陸秋そばは、風味のピークが長く続く品種でもある。

「何度食べても飽きない」鴨せいろ

「鴨せいろ」1350円。ガツンと濃厚なつゆが秀逸

「鴨せいろ」1350円。ガツンと濃厚なつゆが秀逸

ほぼ毎回、柳さんが注文するのが「鴨せいろ」。

「一度食べたら、カモの脂が溶け出たつゆの濃い味にはまってしまいました。もともと自分は、気に入ったらそればっかり食べる習性があるんですが、『鴨せいろ』は何度食べても飽きませんね。もう3年くらい食べ続けています」

柳さんをとりこにした脂の秘密は、カモの品種にあった。なんと、バルバリー種を使っているという。フランスで飼育されるカモの9割を占め、フォアグラ用に肥育するのもこの品種。大型で、肉も脂も味が濃いのが特徴だ。香ばしくソテーした「鴨ネギ焼き」も、人気メニューである。

カモ肉がたっぷり入ったつゆには、脂のコクがにじみ出て、ガツンと濃い味。だが、そばも、つゆに負けていない。

玄そばは、ひき方によって味の出方が変わる。市川さんはより風味が粉に出るようにひくので、濃い味のそばができる。

「そばとつゆの完璧なマリアージュ」と、柳さんの表現は優雅だが、インパクトのあるもの同士がガチンコ勝負しているような鴨せいろだ。たしかにこれは、くせになる。

背筋をのばし、素早く。そば党は、食べ方も美しい。

背筋をのばし、素早く。そば党は、食べ方も美しい。

うれしいのは、1350円というお値段。東京の有名店だと2000円前後が普通で、量は少ないのが常だが、ここはボリュームもある。

「こだわっていますが、普段づかいの庶民そばとして、気楽に食べてもらうのが、うちのコンセプトです。玄そばから全部、自分たちで手間をかけているから、この値段で出せるんですね」と市川さん。ほれぼれするような言葉だ。

「高級そば」と「庶民そば」の二極化が進むなかで、ありそうで、めったにない立ち位置の店なのである。

豆腐を用いた数々の名物料理

とろ湯葉がひとさじのった「奴とうふ」500円。

とろ湯葉がひとさじのった「奴とうふ」500円。

国分寺そばの、もうひとつの名物が、豆腐料理だ。市川さんが、座間にある豆腐の名店に通いつめ、3年たってやっと製法を教えてもらえた。いまでは、師匠が分けてくれる豆乳から、丹念に手作りしている。

豆腐と湯葉は、そばメニューにも活用され、おからは「卯の花ケーキ」とサラダに使われる。材料の大豆に師匠がこだわり抜いているので、おからもしっとり感がぜんぜん違う。

おみやげ用の「卯の花ケーキ」は2個入り250円。

おみやげ用の「卯の花ケーキ」は2個入り250円。

驚いたのが、「冷やし湯葉そば」の斬新さだ。そばの上に、とろ湯葉と、少しかための刺し身湯葉、揚げた湯葉と、糸状の乾燥湯葉の4種と豆苗がのっている。

つゆをかけ、あえながら食べるのだが、とろ湯葉のクリーム感に刺し身湯葉の歯ごたえの対比が楽しく、揚げた湯葉の油分がコクを補い、カリカリした乾燥湯葉がアクセントになるという、これまた見事なマリアージュ。スタンダードなそばメニューとは別のおいしさを追求した、工夫のあとがわかる一品だ。

創作メニューの「冷やし湯葉そば」1200円

創作メニューの「冷やし湯葉そば」1200円

とろ湯葉を、ソースのようにそばにからませる

とろ湯葉を、ソースのようにそばにからませる

大御所2人に共通“食べる人の側に立った姿勢”

こうして料理を見てきて、柳さんと市川さんの共通点に気がついた。

柳さんは材料や製菓法の知識に関して、右に出る者はないほどの理論派パティシエである。世界最高レベルのテクニックと、繊細で緻密(ちみつ)なデコレーションは、若いパティシエの模範になっている。

だが、柳さんのケーキには、これ見よがしな自意識が感じられない。食べる人の側に立ったやさしさが持ち味だ。それでいて、ひとくち食べると「柳さんのケーキだ」とわかる。技術のあるパティシエは多いが、ここまで来られる人は少ない。

市川さんも、ひたすら学んで卓越した知識と技量に到達した人だが、料理にその押しつけがまったく見えない。国分寺そばは、あくまで庶民の味方。だから、1日平均250人、週末は500人も食べに来る。客は店のよさがよくわかっているのである。

柳さんと市川さん。ふたりは海老名の食をリードする名士だ

柳さんと市川さん。ふたりは海老名の食をリードする名士だ

店舗情報

国分寺そば
神奈川県海老名市国分南1-8-35
小田急線、相模鉄道線「海老名」駅より徒歩8分
046-231-2261
営業時間:11:00~15:00/17:00~20:30
定休日:月・火(祝祭日は昼のみ営業)
公式サイト:www.kokubunji.co.jp/

大御所シェフのお店

パティスリー タダシ ヤナギ
マルイファミリー 海老名店
神奈川県海老名市中央1-6-1 マルイファミリー海老名1F
小田急線、相模鉄道線「海老名」駅より徒歩3分
046-232-0101
営業時間:10:00〜20:00
定休日 : マルイの営業日に準ずる

八雲店
東京都目黒区八雲2-8-11
東急東横線「都立大学」駅より徒歩7分
03-5731-9477
営業時間:10:00~19:00
定休日:水曜
公式サイト:www.grand-patissier.info/TadashiYanagi/

PROFILE

畑中三応子

編集者、ライター、フードジャーナリスト。『シェフ・シリーズ』『暮しの設計』(ともに中央公論社)の元編集長。料理本を幅広く手がけるかたわら、流行食関連の研究や執筆も行う。著書に『ファッションフード、あります。——はやりの食べ物クロニクル』(紀伊國屋書店、ちくま文庫)、『カリスマフード 肉・乳・米と日本人』(春秋社)など。第3回「食生活ジャーナリスト大賞」では「ジャーナリズム」部門の大賞を受賞。

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