働き方のコンパス

正社員を辞めて家族を優先するべき?

「働き方のコンパス」は、ビジネスパーソンの悩みに、哲学者や社会学者、経済学者などの研究者が答えていくシリーズです。それぞれの学問的な見地から、仕事の悩みはどう分析できるのでしょうか。回答者は、社会学者の富永京子さんです。

働き方のコンパス

今回の回答者

社会学者
立命館大学 産業社会学部 准教授
富永京子さん
若くして立命館大学産業社会学部准教授となった社会学者。主に社会運動や政治活動について、生活領域からアプローチする研究をおこなっている。大学に就職したはいいものの、自身も優秀すぎる同僚たちについて行けず悩んでいる着任5年目。

今回のお悩み

Q.専業主婦か仕事を続けるか。後悔のない選択がしたい

学生の頃は「一生働き続けたい」と思っていましたが、結婚してから「家族のために、より徹底的に時間を使いたい」と思うようになりました。働いてこそ得られる喜びはあるけど、仕事への熱意は以前ほどありません。しかも、今の仕事を正社員で続けていたら家族に時間を割くのは難しい。けれど、雇用形態を変えて正社員の立場を手放すのはもったいないかもしれない……。どうすればこの先後悔しない選択ができるか悩んでいます。
(31歳、女性、広告営業)

A.自分に適した物語をつくれば、何を選んでも納得できる

現代人は選択したいのではなく、選択に納得したい

女性の社会進出が進み、働きながら結婚生活を続けることが一般的になりました。そして、家庭を持ちながらどうキャリア形成するかは、男女問わず普遍的な悩みだと思います。

相談文で、特徴的だと思ったのは「どうすればこの先後悔しない選択ができるのか」という結び。31歳になって、この言葉が出てくるとは。これまでの人生で、あまり大きく後悔することがなかったか、それとも後悔続きだったから「今度こそ後悔したくない」ということなのか……。何となく、私は前者なのかな、と思って拝読していました。なぜそう思ったかということは、この後の回答を読んでもらえればと思います。

ただ、ここで一点注意しておきたいのは、私が「あなたは大きく後悔したことがなさそうだ」と考えたからといって、「あなたは挫折知らずで、成功続きの人生なんですね」と言いたいわけではないんですよ。どちらかと言えば、「例え、普通の人が挫折や後悔を感じることであっても、あなたはそれを前向きに振り返ることのできる方なのですね」とお伝えしたいのです。

あなたは、選択したいのではなく、選択に後悔したくない。選択に納得したいんですね。これはとても現代的な願望です。学生時代の望みをかなえ、社会で良しとされる正社員という立場で生きる、自分が生きてきた軌跡を首尾一貫したものにしたい。そうした人間のあり方は、社会学において「再帰性」という言葉を用いて議論されることがあります。

再帰性は、近代社会を読み解く上での重要なキーワードです。イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズは、近代社会の特徴を「再帰的近代化」という概念で表しています。

相談文から読み取れる「再帰性」の強さ

難しい話に入る前に、少し雑談を。唐突ですが、「どこ出身?」って言われたら、あなたは何と答えますか。私はトータルで一番長く住んだのが北海道札幌市なので、北海道札幌市と答えています。ただ、出生時の居住地は東京だったようで、北海道の別の自治体にも住んだことがありますし、現在の実家は福岡だったりします。

「出身地」の定義自体はそれほど明確ではないので、どこと答えてもいいのかもしれませんが、長く住んでいて、思い入れもあるので、北海道札幌市と言っています。ただ、札幌でめちゃくちゃ嫌なことがあったら違う認識をしていたし、違う答え方をしたかもしれません。

さて、ここからは「再帰性」について。再帰性は、社会のレベルでも個人のレベルでも起こることなのですが、ここでは後者について説明しますね。現代は私が体験したように、どこかにとどまって同じ場で生活をするのがきわめて難しい時代です。これは居住地域以外でも同じで、進学をしてそれまでの友だちと離れ離れになることもザラですし、結婚や離婚、転職も珍しくない。流動性の高い社会なんですね。

こうした中で人々は、生き方やキャリアの変化を通じながら、つねに自分のアイデンティティーを見直して、新たな生活の状況に合わせて「選択する」必要がある。この「見直し」が再帰性にあたると考えてもらえればいいと思います。私の話で言うと、どこを出身地として答えるかに悩むことは、何を選べば自分の軌跡として自らが納得するか、というまさに「見直し」の作業です。さらに、あなたの「後悔しない選択がしたい」という願望は、まさにこの再帰性に関わってくるわけです。

価値観が多様化した現代は、自らの心をよりどころとして自分のストーリーを確立し、なによりも自分をそのストーリーで納得させないと生きづらい時代です。そしてあなたは、ポジティブな意味で再帰性の強い人なのだと思います。それは、「学生の頃は『一生働き続けたい』と思っていました」という導入にも表れています。

他の相談文もいくつか拝読しましたが、この限られた文字数で学生時代に言及していた人は、ほかにいませんでした。もうひとつ、「正社員の立場を手放すのはもったいない」という表現も興味深かったです。おそらく、お金に困って働いているわけではなく、切羽詰まっているわけではない。どちらかと言えば、選択することによって未来の自分が後悔してしまう可能性があり、それに対する不安が強いんじゃないでしょうか。

学生時代を振り返り、現代の社会で肯定される価値観を踏まえた上で、今の自分を構成していく。これはとても再帰的な営みだと感じます。自分の人生の大きな変化に対する戸惑いに直面しつつも、それでもなお自らのストーリーを切り開いて行こうとする姿勢に私は好感を持ちました。

自分が主人公でなくても、幸せになれる

ギデンズの話は興味深くて、再帰性が一種の生きづらさを生んでいるというのです。つまり現代人は自分の生き方を見直し続け、首尾一貫した人生の物語を形成することがしんどいから、セラピー(この相談もその一種かもしれませんが)を求める。ひどい場合は薬物やアルコールに頼り、依存症になってしまう。

そういう状況からすると、再帰性に基づく人生の見直し自体をいとわないあなたの態度は、現代社会にマッチしたものだと思います。見直せる強さがあるということは、どの選択をしたとしても、後付けで「それでよかったんだ」と思えるということ。つまり、今仕事を辞めたら「仕事より大事な家族ができた私」というストーリーを、辞めなかったら「学生時代からの理想を追ってがんばる私」というストーリーを創れます。

おそらく、どちらを選んでも少しは後悔すると思うんです。でも、その後悔すら、今ここにいる自分を築き上げる軌跡の一部として編み上げていくことができる強さを、私はあなたの相談から感じています。

おそらく、人々が再帰性に悩む理由として、自分の軌跡なのだから、主役が自分でなければならない、と過度に思いすぎてしまうところなのかなとも思います。「何者かにならなければならない」というか……。

ただ、あなたのお話からは、主人公を夫とし、それを支える良きパートナーとしてのストーリーでも十分納得できるしなやかさも感じました。「家族のためにより徹底的に時間を使いたい」というあたりからも、自分がグイグイ前に出るタイプではないのかな、と思います。再帰性が強いというと、自分にこだわってばかりという印象を持たれるかもしれませんが、そういう意味でなく、しなやかに自分の軌跡を飾れる方なのではないでしょうか。

あなたは、肯定的に自分のストーリーをつくるのが上手な人。きっとどんな道を選んでも幸せになれると思います。

 

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正社員を辞めて家族を優先するべき?

大ヒット漫画『凪のお暇』でおなじみのコナリミサトさんの作品。すてきな移動コーヒー屋さんが悩める女性たちの気持ちをほぐし、前向きに生きられるようなコーヒーをいれてくれるハートフルストーリー……といえばそうなのですが、私は単なるハートフルストーリーというだけでなく、女性たちが内に秘めているとんでもない「再帰性」の強さとしなやかさ、そして前向きさの話だと思います。

(文・崎谷実穂)

富永京子(とみなが・きょうこ)
1986年生まれ。2009年、北海道大学経済学部経済学科卒業。2015年、東京大学大学院 人文社会系研究科 社会文化研究専攻 社会学専門分野 博士課程修了。2012年から2014年まで、日本学術振興会特別研究員。現在、立命館大学産業社会学部准教授。社会学的な視点から、人々の生活における政治的側面、社会運動・政治活動の文化的側面を捉える。著書として『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)。近刊に、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)。

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