私の一枚

中田裕二が椿屋四重奏を始めた「最初の青春の街」仙台

19歳の頃、仙台で椿屋四重奏を結成して間もない時期のライブでの一枚です。スポーツ刈りが伸びたような、まったくバンドマンっぽくない髪形ですね。衣装は作務衣だし(笑)。この写真の頃は、「日本男児」みたいな姿に強く憧れていました。

日本文学のエロチシズムが椿屋四重奏の原点

生まれ故郷の熊本で、中学2年生の頃からバンドを始めました。THE YELLOW MONKEYが好きだったので、髪を染めて長く伸ばし、ピチピチの衣装を着て演奏していましたが、17歳ぐらいになると他のメンバーが大学受験や進路のことで忙しくなって、だんだんバンドどころじゃなくなってきた。それで居場所がなくなって、やがて引きこもり状態になってしまいました。

ただ、その時期に昔の日本の文学作品を読みあさったことが、椿屋四重奏の表現の原点になりました。太宰治や川端康成も読みましたけど、特に谷崎潤一郎の作品から影響を受けました。エロチックというか、文字から匂い立つ色気にものすごく惹(ひ)かれました。その頃から、日本の情緒、そして日本の文化そのものが大好きになって、髪形もこの写真のスタイルに変わっていきました。「髪を染めるなんてアメリカかぶれだ」なんて思って(笑)。

メンバー募集の貼り紙に「平成ノ志士求ム」

その後、一足先に熊本から引っ越していた両親が住む仙台に移り、もう一度バンドを組もうと考えた時には、バンド名は「椿屋四重奏」にすると決めていました。日本を代表するロックバンドになりたいという意味を込めて、日本を代表する花である椿の名を冠して、「~ズ」というようなよくあるバンド名ではなく「四重奏」にして。歌詞も、日本ならではの言葉づかいをいかに盛り込むかを意識しました。

仙台での最初の約1年はコンビニやファストフード店、写真の現像屋さんなどでバイトしながら、バイト先で知り合った人とバンドをやってみました。でも、なかなか自分が望むテイストにはならなくて。それでリハーサルスタジオにメンバー募集の貼り紙をしたんです。「平成ノ志士求ム」って(笑)。

今思えば、よくあの貼り紙を見て電話をしてきた人がいたなと思いますけど、出会った瞬間から「俺は日本を変えたいんだ」と熱く語れるようなメンバーが2人見つかって、まだ三重奏だったけれどもライブを始めてしまおうとステージに立ったのが、椿屋四重奏のスタートでした。

この写真の頃のレパートリーはまだ10曲あるかないかだったと思います。「群青」とか「成れの果て」とか「朱い鳥」とか、後に世に出る曲のいくつかはすでに出来上がっていました。

実質2年。でも濃かった仙台での日々

自分達のようなバンドが他にいなかったからか、仙台では早いうちから人気が出ました。それが自信になって、「これなら東京でもいけるかも」と、この写真の翌年には東京に出ました。特にアテはなかったですけどね。

だから、仙台で生活した時間は実質2年ほどしかありません。でも、仙台という街の存在は自分にとって非常に大きいですね。第二の故郷であり、最初に自分を応援してくれた街であり、僕の最初の青春の街。恋もしましたしね。とても濃い2年間を過ごすことができたと思っていますし、いまも節目ごとに必ず帰る街です。

仙台だけではなく、東北はどこも大好きです。生まれ育った九州も大好きですけど、九州とはまた違う日本的な奥ゆかしさがあって。東日本大震災のあと、東北の方々に向けて「ひかりのまち」という配信シングルを出しましたが、あの曲も、自分が実際に見た東北のいろいろな風景を思い浮かべながら書きました。

中田裕二さん

オリジナル曲もカバー曲もつやのある声で歌い上げる中田裕二さん

バンド活動に「満足してしまった」10年間

その後、インディーズもメジャーも合わせて10年にわたって椿屋四重奏として活動しました。自分が持つロックバンドへの幻想や憧れを追い求めた10年間。その中でロックバンドの限界も見えたし、やりたいことが一通りやれたという満足感もありました。日本武道館に立ちたいという夢はありましたけど、十分に楽しんだなって。

でも、満足してしまったということは、自分がやりたいことがロックバンドの中に収まらなかったのかもしれないし、「自分は、本当はバンドマン向きではないのかも」ということも感じた10年間でもありました。

バンドは、みんなで作るそのひと手間というか、ある種の面倒臭さが良さだと思いますし、あえてバンドメンバーで演奏する、その“あえて”っていうところが特徴でもあると思いますけど、当時の僕は基本的に一人で構築していくタイプでした。

今のほうがバンドらしい音楽を作っているかも

でも、ここ2~3年、誰かと一緒に音楽を作ることにはどんな楽しみがあるんだろうと考えるようになり、前作の『NOBODY KNOWS』というアルバムで、初めてアレンジャーの方と一緒に作ってみたらこれがすごく楽しくて、意識が変わりました。

今回のアルバムも、いろんな方々の力を借りながら作った作品になりました。そういう意味では、今のほうがバンドらしい音楽の作り方をしているのかもしれないですね。

音楽は、人間らしさの集合体なんだと思います。それぞれのプレーヤーのグルーヴとか、個性とか、人間性がにじみ出て、それが一つになって音楽になる。そこが面白いところだということに、バンドで10年、ソロで8年やってようやく気づけたというか、そういう音楽の楽しみ方がやっとできるようになったと思っています。

ソロとして9作目となるアルバム『Sanctuary』

ソロとして9作目となるアルバム『Sanctuary』

なかだ・ゆうじ 1981年、熊本県生まれ。「椿屋四重奏」のフロントマンおよびすべてのレパートリーのソングライターとして音楽キャリアをスタート。幼少時に強く影響を受けた1970~80年代の歌謡曲/ニューミュージックのメロディセンスを核に、ロックバンドの枠にとらわれないスケール感と個性あふれる楽曲で人気を集める。解散後、2011年のソロ・デビュー以降は年1作のペースで新作発表と全国ツアーを開催。さらに、カバーアルバム『SONG COMPOSITE』のリリース、オリジナル/カバーを問わずその場でセットリストを決めていく弾き語りライブツアー《中田裕二の謡うロマン街道》など、精力的に活動を展開している。ニューアルバム『Sanctuary』は5月15日発売。翌16日よりバンド編成によるツアーを全国11都市で開催。並行して《謡うロマン街道》も現在開催中。

■中田裕二 OFFICIAL WEBSITE http://yujinakada.com/

PROFILE

髙橋晃浩

福島県郡山市生まれ。ライター/グラフィックデザイナー。ライターとして有名無名問わず1,000人超にインタビューし雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆は200枚以上。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル株式会社代表取締役。

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