湯山玲子の“現代メンズ解析”

「周りはいつも褒めるばかり」クラシック界の異端児・反田恭平の本心と独立の真相

2013年にチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院へ首席入学し、2015年にCDデビュー。翌年のデビュー・リサイタルではサントリーホールを満席にし、一躍スターダムに躍り出たピアニスト反田恭平さん。

高い技術に裏打ちされた情熱的な演奏が、多くのクラシックファンを魅了し、その後の公演も完売が続出。“いま最もチケットが取れないピアニスト”との呼び名も。

24歳の若き演奏家を高みへと突き動かす原動力は何なのか? 著名な演奏家らを招いてクラシック音楽の新しい聴き方を追求するイベント「爆クラ!」を主宰するなど、クラシックにも造詣(ぞうけい)が深い湯山玲子さんが反田さんの素顔に迫ります。

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登場者:ウエンツ瑛士/水代優/三浦大輔/藤田晋/しみけん/村本大輔

 

ピアスにサンダル姿でレッスンへ 自由気ままに 

湯山玲子さん

湯山 反田さんにはそもそも型破りのイメージがある。幼少期からピアノの英才教育を受けて、まずは欧米の権威あるコンクールをパスすべく実力を磨くのがこの世界の常道。そんななかで、音楽関係者ではない両親のもとで育ちながら、11歳から本格的に始めたピアノのセンスはずば抜けていた。

「人をひきつける何かがある」ということは、こういった道に進む人の常であり、あなたの演奏にすっかりほれ込んだタカギクラヴィアの高木裕社長は、20世紀を代表する奏者ホロヴィッツが愛したというピアノを提供したほど。そして2016年のデビュー・リサイタルでは、サントリーホールが満席になった。

一方で、ピアスにロン毛の後ろ縛りといういでたちは、クラシックの“あるある”を逸脱していて、極めて自由。さらにタメ口感覚の伸び伸びとした個性は、最初に話したとき非常に新鮮に感じた覚えがある。まとっている雰囲気にもストリート感覚があるというか、世間の中できちんと生活しているという「太さ」がありましたよ。

反田 僕はずっと敬語を使える人間ではなかったんです。いまでも申し訳ないと思っていますが、高校生のときに受けていた大学教授のレッスンに、ビーサンに半ズボン、タンクトップ、金髪、サングラスといういでたちで通っていました。完全に虫取りに行く格好ですよね。教授から「スーツと革靴にしてみたら?」と勧められて買ったのが派手な銀色のスーツ。誰にも縛られたくなかったんです。

反田恭平さん

僕が高校時代に師事した先生は、厳格な面もありましたが、その反面、寛容なところもあり、温かい人でした。ただ一般論として、日本の教育現場では、どちらかというと、生徒の個性よりは“門下”という枠のなかに閉じ込めようとしがちに思います。

ところが留学先では、ある程度の枠組みのなかで好きなように弾いてそれについて討論する――それがレッスンというものでした。モスクワの先生は「ここがだめ」と言わなかった。「この音源を参考にしてごらん」などと助言しながら、生徒の意見を尊重した弾き方をさせる。僕が日本で通っていた高校には校則がなかったけれど、海外にはそれよりもっと大事な自由さがあったように感じました。

湯山 その違いは何だと思いますか。

反田 一概には言えないですけど、日本人はまじめすぎて視野が狭い。ロシアでは複数の職を持っていることが当たり前で、教師をしながら楽器店の事務局の仕事をしたり、調律師をしたりしている人もいました。アジア圏でも、モデルや俳優の仕事をしている若手奏者もいる。

日本でそんなことをしたら「二兎を追う者は一兎も得ず」と言われますよね。確かにそういうこともあるかもしれないけど、その人がそれで楽しかったらいいじゃないかと思います。

湯山 日本でも徐々にではありますが、「一芸ひとすじが本物だし、偉い」という価値観が薄れてきましたよね。既存の考え方に縛られず、もっと自由に、やりたいと思ったことに対する炎を燃え上がらせたほうがいいと思う。

反田 ピアニストで言えば、多趣味な人、たとえば小説をたくさん読んでいる人やチェスやスポーツがうまい人のほうが演奏の引き出しが多いのは事実です。僕はサッカーをやっていましたが、反射神経は音楽においても大事です。

反田恭平さん

湯山 反田さんは11歳までサッカーに打ち込んでいたけど、けがで続けることが出来なくなってしまって、そこから音楽に向き合うようになったわけですよね。音楽の道を志す中でJポップやヒップホップなど、他の表現方法に行こうとは思わなかったんですか?

反田 思わなかったですね。ピアノが好きで、「ピアノがあるから自分がある」と思っていました。たとえば友だちとけんかして悲しい気持ちのときに弾くと悲しい音が出る。子どもの時からそういう感覚がありました。

今24歳。今後50年間弾いていくと考えて、その間にもしかしたら技術的な壁に当たるかもしれないけど、トリオになったりカルテットになったり、スタイルは掛け算で無限に広がっていきます。昨年、8人の演奏家で「MLMダブル・カルテット」をスタートし、今年から16人に増やして「MLMナショナル管弦楽団」を創設しました。メンバーはみな平成生まれ。同世代で切磋琢磨(せっさたくま)していきたいと思っています。

あとは教育面の活動も。学生時代って意外とコンチェルト(協奏曲)を経験する機会が少ないので、プロを目指している子どもたちに演奏の機会を作ることができれば……そんな活動も将来はしていくつもりです。まだ20代ですし、いろいろなマエストロから「失敗してもいいからどんどんやっていけ」とアドバイスをいただきました。

湯山 うーん、演奏家の状況やクラシック業界のことを、かなりまじめに考えていますね。ちょっと驚いたのは、私はデビュー時から反田さんにインタビューしているけれど、こういった「自分の社会的役割」の話がかつて出て来た記憶がなくて。考え方が変化しましたか?

反田 20~30代の私たちが今、50年後のことを見据えて動いていかないと日本のクラシック業界は発展しないのではないかと思うのです。国際コンクールへの価値観、意義の捉え方は千差万別ですが、ベトナム、中国、韓国といったアジア勢が優勝していながら、いまだ日本人が優勝していない、とても有名なコンクールもあったりします。そういう状況を変えていきたいと思っています。

所属先から突然の独立 真相は…… 

湯山玲子さん

湯山 今年、所属事務所から独立して、様々な音楽事業を手がける会社を立ち上げましたよね。正直かなり驚きました。独立すれば、プレーヤーと同時に社長業もしないとならなくなる。

反田 「自由に生きたい」というのが大きな理由です。いままでの環境で束縛されていたわけではまったくありません。ただ、僕は中学2年生でこの世界を志して以来、一貫して「音楽家」を目指してきました。僕の指す「音楽家」とは、ピアノを演奏するだけでなく、作曲、指揮、プロデュース……音楽すべてに関わる人間のこと。

ベートーベンも曲を書いて、売って、指揮して、弾いている。何でもやっています。僕にとっては、音楽活動にあらゆる形で携わっていくことが「自由に生きる」ということ。先ほど言った通り、将来的に子どもたちの音楽教育の場をつくりたいとも思っています。ただ、将来満を持して「今だ!」という状況になった場合、そこから事業や経営を知るのでは遅く……一人間として社会のこと、そして一般常識を知るべきと思って独立を決めました。

湯山 今ふと思ったのだけれど、先ほどからお話しされている「業界を変えて生きたい」という思いは、小さいころの反田さんみたいな子どもたち、つまり型にはまらず自由に弾きたいと思っている子どもを救いたいのかもしれないね。

反田 そうかもしれないですね。

湯山 ちなみに、他のクラシックは聴かないけれど、反田さんのピアノだけは好きで必ずコンサートに行く、という人は少なからずいると思います。

反田 でも、僕が音楽に打ち込むのは、やっぱり自分のため(=自身が志す音楽家に近づくため)なんですよ。もちろんコンサートをするのは幸せですが、至福を感じるのは家で一人で弾いているとき。好きなように弾いて試行錯誤を積み重ね、模範とされる演奏に近づいていく過程が好きですね。

反田恭平さん

湯山 練習はどれくらいしていますか。まったく弾かない日もありますか。

反田 あります。たとえば飛行機のトランジットの都合などで数日弾かないこともありますよ。でも何時間弾くというよりも、その日、最後に出した音に悔いが無ければ練習を終えます。

湯山 自分の気持ちにいちばん合う作曲家は誰ですか。

反田 ロシアの先生に「『どの作曲家が好きですか』と聞かれても絶対に『ノーコメント』と言え」と言われました。「いま嫌いでも明日好きになるかもしれないよ」と。

確かに人付き合いと同じで、同じ人でもうまくいくときもあればいかないときもある。最近その意味が深くわかるようになりました。苦手と思っても、それは曲の構造が複雑なだけであって、楽譜に忠実に弾けば嫌いな作曲家はいなくなる。ただ、いちばんスムーズに練習がはかどるという意味ではラフマニノフとリスト。尊敬という意味ではモーツァルトですね。モーツァルトの作品はシンプルだけど、それを高みにもっていく作業はとても難しい。

「まわりはいつも褒めるばかり」冷静な視点は失わず

湯山玲子さん

湯山 偉大な作曲家たちが真に表現したかったもの、つまり彼らの頭のなかにしかないような音楽にタッチするような演奏を年に何回か聴けることがあります。テオドール・クルレンツィス(ギリシャの指揮者)のチャイコフスキーの「悲愴」(交響曲第6番)は、「こんな『悲愴』があったのか!」と興奮しました。それはまた、チャイコフスキーの楽譜の中に存在するなにかを引き出している。反田さんはどうやって曲の神髄をつかんでいきますか。

反田 まずは楽譜を穴が開くまで見る。そして、どうしようと迷ったときは指揮をする。そうすると「ここがフルートっぽい、左手はチェロっぽい」と輪郭が浮き出てくる。

湯山 それはCDをかけながら?

反田 サイレントですね。自分のなかで音源を流している感覚です。

湯山 指揮のように手を動かすの?

反田 そうです。指と脳をリンクさせることが大事。あとはステージでお客さんと会話するように音の空間を作り、回数を重ねることでつかむこともあります。もちろんレッスンのときに録音して自分で聴き返して気付くこともあるけど、本番で弾くということがなによりの練習になりますね。絵画はできあがった作品を展示するので一生変わらないけれど、音楽は毎回違うものですから。

湯山 「今日はよかった」と自分が思うときと周りの反応は一致するものなんですか?

反田 まわりはいつも褒めるばかりですよね。だから、あくまで自分で判断します。「自分で満足したら終わり」という人もいますが、僕はある程度は満足してもいいと思う。自分が出したい音色が出せた、これは大きな収穫だったというときは、ポジティブに捉えて100点としています。自分の音楽が好きでないとお客さんにも伝わらないから。

反田恭平さん

湯山 「他人はみんな褒めてくれるけれど、そこは信じない」というクールさは、精神的に強いことの表れですね。反田さんと同世代の若者は、傷つきやすくて「がんばろう」という気力がなくなっている人も少なくない印象ですから。

反田 僕にも弱い面はありますよ。ただ、人生一回きりなので、誰に嫌われようが好きなことをやっていきたい。生きてる実感を得られるものが僕にとっては音楽なんです。

湯山 その音楽でクラシック界の若きスターとなった。今の立場をご自身でどう受け止めていますか。

反田 「若きスター」なんて思ってないですよ。マネジャーが仕事をもらってきてくれなければ弾く機会がない。見えないところで動いている人がいるから、僕がいる。それが現実です。

昔から自分を離れたところから客観視している節があって、小学校のとき、日直で黒板に「反田」と書かれても、その名前が自分のものとは思えませんでした。いまでもチラシやネットに名前が出ていても、ちやほやされてる感覚なんて全くないし、他人の名前のように見える。だから、いい記事を書かれようが悪い記事を書かれようが関係ありません。いまは一つひとつの演奏会のことや音楽のことを考えて生きているだけ。誰に何と言われようとも、僕は僕なんです。

湯山玲子さんと反田恭平さん

(構成・安楽由紀子 撮影・野呂美帆)

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登場者:ウエンツ瑛士/水代優/三浦大輔/藤田晋/しみけん/村本大輔

PROFILE

湯山玲子

プロデューサー。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッション等、文化全般を独特の筆致で横断する執筆を展開。NHK『ごごナマ』、MXテレビ『ばらいろダンディー』レギュラー、TBS『情報7daysニュースキャスター』などにコメンテーターとしても出演。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舍文庫) 、『クラブカルチャー ! 』(毎日新聞社)、『女装する女』(新潮新書) 、『四十路越え ! 』(角川文庫)、上野千鶴子との対談集『快楽上等 ! 3.11以降を生きる』(幻冬舎) 、『文化系女子という生き方』(大和書房)、『男をこじらせる前に』(角川文庫)等。月一回のペースで、爆音でクラシックを聴くイベント「爆クラ」を開催中。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。

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