小川フミオのモーターカー

会社の経営方針を象徴した3代目「トヨタ・カローラ」

日本自動車産業の大きな節目に登場したのが3代目「トヨタ・カローラ」だった。当時私がこのクルマに抱いた印象は、じつは“あまり代わり映えしないなあ”という、そうポジティブなものではなかった。

(TOP写真:質実剛健という印象の2ドアセダン)

何しろ1972年に登場したライバルのひとつ「ホンダ・シビック」が先進的なイメージで快走していた。シビックは前輪駆動の効率的なパッケージをもつ欧州的なスタイリングだったし、75年の大気汚染防止のための自動車排出ガス規制施行(これが大きな節目)を迎えたあとは、排ガスの少ない希薄燃焼技術を採用した「CVCC」エンジンを導入するなど技術面でもアピールが強かった。

トヨタ・カローラ

スポーティな雰囲気を強調したクーペ

これに対して、1974年に登場した3代目カローラは、後輪駆動であり、サスペンションも初代以来のリーフスプリングを使った固定式のままと、モデルチェンジしても斬新な印象を受けた記憶がない。

ボディータイプだけは2ドア、4ドア、2ドアハードトップ、クーペ、それにリフトバックと多様だった。エンジンも多彩だ。1200、1400、1600である。75年から77年にかけて、トヨタでは排ガス規制をすべてのパワーユニットに施した。同時に1600ccDOHCというスポーティーなエンジンも燃料噴射装置を装備してカローラに搭載したのである。

市場でのシェアを確保するために、ホンダとまったく違うアプローチをトヨタが採用した。それが3代目カローラなのだ。

トヨタ・カローラ

オートマチック変速機は1200では2段、1400と1600では3段になった

いま振り返ってなにより注目すべきだと私が思うのは、当時のトヨタが確立しつつあった経営方針を象徴するクルマが、3代目カローラだということだ。

販売に大きな打撃を与えた第1次石油ショックが1973年にあり、そのあと75年の排ガス規制と、続けて二つの大きな波が業界を襲っていた。困難を乗りきるために、トヨタは1台あたりの高い利益率を確保することが重要と判断し、効率のよい生産方式へとより強く傾いていったのである。

トヨタ・カローラ

セダンのシートとはいえ意外にスポーティーな雰囲気

悪い言い方をすれば、ボディーのバリエーションさえあれば(新しい技術を導入しなくても)クルマは売れる、という考えが3代目カローラからは透けて見える。

でもここで誕生したリフトバック(76年)を私はことのほか好きだった。残念ながら画像が入手できなかったので、言葉で説明しておくと、リフトバックは2ドアのステーションワゴンのような車型である。英国で生まれた、クーペをワゴンに改造したシューティングブレーク(狩りのためのワゴン)のコンセプトをカローラに適用したモデルだ。低く見える車体と長めのルーフによるスタイリングに個性があって魅力的だったのだ。

カローラは1979年に4代目にモデルチェンジする。エッジのたったボディーのスタイリングを採用し、サスペンションシステムもリーフスプリングの固定式からコイルスプリングを使った4リンク式へと変更されるなどニュース性があった。ただ、後輪駆動は変わらなかった。

いまなら“後輪駆動、いいねえ!”と言えるが、ユーザーにはスペース効率の面で、メーカーには部品点数の面で、いわゆる大衆車には合わない方式だったのは明らかだった。でもトヨタは、いろいろな理由があったのだろう、慎重に変革を進めていく。カローラが前輪駆動になったのは83年なのだ。

(写真提供:トヨタ)

PROFILE

小川フミオ

クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

生産終了後に再評価された若者向けの1台 フォルクスワーゲン「タイプ181」

トップへ戻る

驚異的な性能と丸っこいスタイリングが魅力のレーシングカー アルファロメオ「ジュリエッタSZ」

RECOMMENDおすすめの記事