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もし金栗四三がいなかったら……? 「いだてん」主役が残した偉業

金栗四三

画像:朝日新聞社

 

突然ですが、みなさんはNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)」を見ているだろうか。もし、見ていないとしたらぜひ見てほしい。いや、絶対に見るべきである。私なんざぁ、毎週日曜日の夜8時が楽しみで、どうしても外出の予定があるときは必ず録画をするようにしているし、万一忘れたときはNHKオンデマンド(有料)で見る。ひどいときは、日曜夕方6時からNHK-BSプレミアムで見た後、同じものを夜8時からNHK総合でまた見るほどの入れ込みようだ。

当然、世の中の人はみんな私と同じだと思っていたら、あにはからんや。驚いたことに視聴率が超低迷しているというのである。GW中に大河ドラマ史上最低の7.1%台を記録したのをはじめ、このところずっと1ケタ台が続いているらしい。もし、この連載の読者で見ていない人がいたらぜひ見てほしい。本当に面白い。ランナーなら絶対に見た方がいいと思う。

今回の大河ドラマは途中で主人公が代わるそうだが、前半(現在)の主人公、金栗四三(かなくり・しそう)は「日本マラソンの父」と呼ばれる人物だ。なんて偉そうに書いているが、実は私も「いだてん」を見るまではそれほど詳しくなかった。

よく知られているのは、1912(明治45)年のストックホルムオリンピックに日本人として初めて出場したということだ。種目はもちろんマラソンである。さらに、ちょっと詳しい人は大阪・道頓堀の看板で有名なグリコのマーク(ゴールインマーク)の複数いるモデルの一人が四三だという話を聞いたことがあるかもしれない。だが、そんなことは金栗四三のほんの一部でしかない。

駅伝や福岡国際マラソン……金栗が生み出した数々のマラソン文化

もし金栗四三がいなかったら……? 「いだてん」主役が残した偉業

もし、金栗四三がいなかったら。そう考えると実に恐ろしいことになる。ランナーにとってはまず正月の楽しみが消え失せてしまう。5月19日放送(19回)がまさにその話だったのだが、あの箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競争)を考案したのが四三だった。いや、それどころか駅伝そのものを始めたのも金栗四三だったのだ。

きっかけは、読売新聞の社会部長から遷都50年のイベントを相談されたことだった。四三は京都から東京までチーム対抗でのリレー競走を提案した。「駅伝」という日本独特の競技の名前もこのとき生まれた。1920(大正9)年のことである。イベントは大成功で、長距離走の熱はおおいに高まった。そして、四三が次に考えたのがなんとアメリカ横断駅伝だったという。

実はこの途方もない計画のための選手育成と選考を兼ねて始まったのが、いまや正月の風物詩となっている箱根駅伝なのである。計画段階では、東京・箱根間以外にも東京・日光間など複数のルートが検討されたが、「アメリカ大陸の横断にはロッキー山脈がある。箱根はそのいい予行演習になる」という四三の判断で箱根に決まったと言われている。

第1回大会は1920(大正9)年の正月ではなく2月に行われた。出場校は四三の母校である東京高等師範学校のほか、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校で東京高師が優勝した。いずれにしても、金栗四三がいなければ箱根駅伝はもちろん元旦のニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会)もなかっただろう。考えただけでも恐ろしい話なのである。

戦後日本のマラソン復興に尽力したのも金栗四三だった。敗戦国としてロンドンオリンピック(1948年)への出場が認められず国中が打ちひしがれるなか、「こんなときだからこそ」と新たなマラソン大会を立ち上げたのだ。1947(昭和22)年に開催された「金栗賞朝日マラソン」である。第1回大会が四三の地元である熊本で行われ、高松、静岡、広島……と持ち回り開催となり、1959(昭和34)年以降、福岡に定着する。これが後の福岡国際マラソンである。

福岡国際マラソンは言わずと知れた日本を代表する伝統レースだ。オリンピックや世界選手権の選考に使われることも多く、過去には宇佐美彰朗、瀬古利彦といった名ランナーを生み出してきた。昨年の第72回大会では服部勇馬選手(トヨタ自動車)が日本人として14年ぶりに優勝し、2020年東京オリンピックへの期待を膨らませた……なんて話も四三がいなければなかったのである。

世界新記録相当のタイムを3度たたき出した鉄人

金栗四三は日本のウルトラマラソンランナーの草分けでもあった。ウルトラマラソンは42.195kmを超える距離を走るマラソンだが、まだそんな概念もなかった時代から超長距離を走り続けた。1919(大正8)年夏には下関から東京まで約1200kmを20日かけて走った。その年の11月には日光・東京間約130kmを約20時間かけて走破している。四三にとってはマラソンというスポーツを日本に広めるためのプロモーションのつもりだったという。

そうして金栗四三は生涯25万kmを走り抜いた。メダルには届かなかったものの、黎明期のオリンピックに3度も出場した。さらに、当時はマラソンの世界公認記録がなかったので厳密ではないが3回も世界新記録相当のタイムを叩き出している。とにかくすごい人なのだ。

・1911年 オリンピック国内予選会 2時間32分45秒
・1913年 第1回陸上競技選手権大会 2時間31分28秒
・1914年 第2回陸上競技選手権大会 2時間19分30秒

それで何が言いたいのかといえば、マラソンファンなら金栗四三をリスペクトして「いだてん」を見ようという話である(笑)。見逃している人はNHKオンデマンドで追いかけるといいだろう。U-NEXTで31日間無料体験もやっている。

ちなみにもう一人の主役、田畑政治は「水泳ニッポンの父」で1964年の東京オリンピック実現の立役者だった。25回放送からメーンでの登場となる。そして、なんと今日(5月24日)が最終日なのだが東京・築地の朝日新聞東京本社2階ギャラリーで報道写真展「五輪にかけた男たち――田畑政治と金栗四三」が開催されている。間に合う人は、ぜひ。

さらに、毎年11月には金栗四三の生家のある熊本県和名町で「金栗四三翁マラソン大会」(10km、5km、3km)が行われている。今年の日程はまだ決まっていないそうだが、私もぜひエントリーしたいと思っている。そのリポートはいずれまた。お楽しみに!

(参考文献)佐山和夫『金栗四三:消えたオリンピック走者』(潮出版)、長谷川孝道『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版』(熊本日日新聞社)ほか

PROFILE

山口一臣

1961年東京生まれ。ゴルフダイジェスト社を経て89年に朝日新聞社入社。週刊誌歴3誌27年。2005年11月から11年3月まで『週刊朝日』編集長。この間、テレビやラジオのコメンテーターなども務める。16年11月30日に朝日新聞社を退社。株式会社POWER NEWSを設立し、代表取締役。2010年のJALホノルルマラソン以来、フルマラソン20回完走! 自己ベストは3時間41分19秒(ネット)。

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100年前に、現代でも通用する練習法を編み出した“日本のマラソンの父”金栗四三 

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