本を連れて行きたくなるお店

一人で食べる手料理に、家族の優しさを思う 道尾秀介『龍神の雨』

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるんだろうか……。なぜその本を選んだのだろうか……。本とお酒を愛する編集者で鰻(うなぎ)オタクの笹山美波さんが、本の中の物語が現実世界とつながるような、そんなお店に連れて行ってくれます

梅雨が近づき、傘を持ち歩く日が増えてきた。雨が特別嫌いではないが、私は雨が降ると独りぼっちな気分になる。傘に当たる雨音を聞くと、同じ音を聞いている人がほかにいない寂しさを感じるからだ。

子供の頃は、仕事で両親が家を空けている日に雨が降ると、より寂しく感じた。大人になってからも、仕事で張り詰めている時の雨には、簡単につぶされそうになってしまう。

雨の日に悲しい気持ちになるのは、本や映画の影響かもしれない。泣きたくなるようなシーンで雨を降らせて、登場人物の気持ちを表現することがよくあるからだ。

雨と家族をテーマにした小説

物語の最初から最後まで、土砂降りが続く小説がある。道尾秀介の『龍神の雨』という作品。読んでいる間は、ずっと心が締めつけられるような気持ちが続く。それぞれ継母、継父と暮らす2組の兄弟が、万引き犯と被害店舗の従業員という形でつながる話だ。

道尾秀介さんは2004年に「背の眼」でデビューした、ミステリーを得意とする直木賞作家。繊細な子供の心理描写が得意で、登場人物の気持ちを、自分の心に染み入るように味わわせてくれる。私と同じ東京都北区王子育ちといい、個人的に思い入れのある人だ

道尾秀介さんは2004年に「背の眼」でデビューした、ミステリーを得意とする直木賞作家。繊細な子供の心理描写が得意で、登場人物の気持ちを、自分の心に染み入るように味わわせてくれる。私と同じ東京都北区王子育ちといい、個人的に思い入れのある人だ

万引き犯は、まだ中学生と小学生の兄弟だ。両親の死後、継母の里江への当てつけで非行に走る兄の辰也と、恐怖からその言いなりとなる弟の圭介。そんな2人だが、里江は毎日優しく献身的に振る舞っている。

この万引きも、辰也が捕まって里江を困らせる目的で圭介を巻き込んで実行した。被害を受けた店で働く蓮は、彼らより年長の19歳ということもあり、兄弟の家の事情を知ると、警察には通報せず事をうまく丸めてくれた。同情もあったのだろう。蓮もまた、両親を亡くした後で継父と実妹と暮らしており、継父との関係に悩んでいた。

事件の日は土砂降りだった。蓮から電話を受けて雨の中走って店へやってきた里江。辰也はだまったままで目も合わせない。圭介は謝罪と後悔の気持ちが一杯になり、泣きじゃくってしまう。そして、里江に無意識に抱きつこうとする。こんな時だからこそ、これまで壁を感じていた継母に初めて心から甘えたくなったのだ。そんな圭介を里江は静かに叱った後で抱きしめる。辛い話が続くこの物語の中でも、少し救われた気持ちになるいいシーンだ。

好物だらけのメニューより、あり合わせの食卓がうれしい理由

帰宅後、里江と圭介は食卓を囲む。いつもは子供に喜んで欲しくて、手の込んだ料理を作る里江だが、その日はちくわと大根の煮物と豆腐とわかめの味噌(みそ)汁しか用意できなかった。買い物をする時間がなかったのだ。そのいかにも家族っぽい振る舞いや料理が、逆に圭介にとってうれしかった。心の距離が縮まった気がしたのだ。

私にも同じ覚えがある。両親の仕事の関係で私1人が家で留守番となるときには、母は気を使って好物だらけの手料理を用意してくれた。けれど、こんなことを言っては申し訳ないが、簡単な炒め物でも、一緒に食卓を囲めた方が気持ちが満たされて好きだった。誰もいない夜は寂しさから過食気味になっていたし、どんなに好物でも、あまり味は感じられなかった。食卓を囲めることがうれしくて、どんな料理でもおいしく感じた。圭介も里江の料理に似たものを感じていたのではないだろうか。

優しい味のお惣菜に心やすらぐ、ビジネス街のお母さんの店

『龍神の雨』について考えていると、懐かしさから、無性に家庭料理が食べたくなってしまった。台所から香る甘じょっぱい煮物のにおいや、ジュッと炒める調理音が恋しい。

赤坂に「ねぎ」という家庭料理の店がある。誰しも優しくて懐かしい気持ちになれるお店だ。カウンターに並ぶお惣菜(そうざい)と調理場に立つ女性たち、BGMの小型テレビの音声が、実家で夕飯を用意して待つ母の姿と重なり、郷愁を感じる。

お店の外観は格式高い割烹のような佇まいだが(写真左)、入店するとおいしそうなお惣菜とお母さんがたが迎えてくれほっとする(写真右)

お店の外観は格式高い割烹のような佇まいだが(写真左)、入店するとおいしそうなお惣菜とお母さんがたが迎えてくれほっとする(写真右)

この日のお通しは「鳥レバーの煮物」と「ピーマン明太子」、「ゆで落花生」。大皿や冷蔵庫のタッパーから手際よく取り出して用意してくれた。

甘辛い味がしっかり染みたレバーは臭みもなくふっくら柔らかい。ピーマンは明太子と和える時に少しの牛乳とたっぷりめのバターを使うのがおいしさのポイント。ゆでた落花生はお芋のようなホクホクさがたまらなく、くせになる味わい

甘辛い味がしっかり染みたレバーは臭みもなくふっくら柔らかい。ピーマンは明太子と和える時に少しの牛乳とたっぷりめのバターを使うのがおいしさのポイント。ゆでた落花生はお芋のようなホクホクさがたまらなく、くせになる味わい

「何か食べる?」との声掛けに、目の前の大皿に入った「牛肉じゃが」を頼む。牛肉、じゃがいも、白滝のシンプルな組み合わせに、上品で甘さ控えめの味付け。しみじみおいしい。私の母の肉じゃがは豚肉入りで甘辛い味付けの具だくさんなものだが、シンプルなこれもまたいいなと思った。

あっさりしているのに味がしっかり染みているのは、十分な白滝の乾煎り(からいり)など丁寧な下ごしらえのおかげ。牛肉じゃがにチーズを載せてオーブンで焼いたアレンジ料理「ブンブン焼き」もおすすめだそう

あっさりしているのに味がしっかり染みているのは、十分な白滝の乾煎り(からいり)など丁寧な下ごしらえのおかげ。牛肉じゃがにチーズを載せてオーブンで焼いたアレンジ料理「ブンブン焼き」もおすすめだそう

続いて「さばのみそ煮」。ねぎの人気メニューだ。湯気の立つさばに箸を入れると、ふっくら厚く白い身が現れる。それを、信州みそを使った茶色いみそダレに絡ませて食べる。ジューシーなさばの脂に、深みのある辛さのみその味わいが相まってたまらない。

骨が全く気にならないのに驚いた。そういえば母の魚料理も同じで、手間はかかるが、骨をあらかじめ抜いたりじっくり煮込んだりしてくれていた。料理をおいしく作る秘訣は、心を込めて下処理をしておくことなのだと改めて学んだ

骨が全く気にならないのに驚いた。そういえば母の魚料理も同じで、手間はかかるが、骨をあらかじめ抜いたりじっくり煮込んだりしてくれていた。料理をおいしく作る秘訣は、心を込めて下処理をしておくことなのだと改めて学んだ

もう少しだけここに居たいが、お腹も膨らんできたので、具だくさんの豚汁で〆て店を後にする。最後まで心地よく過ごせたのは、1人でのびのび過ごせるお店の雰囲気のおかげもあるだろう。

豚肉、大根、にんじん、ごぼう、たっぷりの薬味。芋や豆腐を使っていないのと、あっさりめの味付けなので飲みの〆にちょうどいい

豚肉、大根、にんじん、ごぼう、たっぷりの薬味。芋や豆腐を使っていないのと、あっさりめの味付けなので飲みの〆にちょうどいい

聞くと、ねぎは1人で訪れたお客さんにリラックスしてもらうため、2019年5月から営業方針を変えて、夜に限って、2人以上のお客さんは近くの系列店へ案内しているという。おかげで調理場やテレビの音を聴きながら、すっかりくつろいでいられた。知らず知らずの間に細やかな気づかいに守られ、癒やされていたわけだ。

幸せに暮らすために必要な、真の優しさ

『龍神の雨』の登場人物たちは、どんな不安を抱えても、何も言えないでいる。誰かの些細な変化に気づいても、勝手に余計な気を使って、問題を先送りし、いつか解決するだろうと都合よく期待している。しかし、結局は色々な人間関係が壊れてしまう。

たとえ優しい心配りの結果であっても、耳に心地よい言葉ばかりを伝えることは、相手にとって良いこととは限らない。

思い出してみると、母の料理の味付けがいつもより少し塩辛かったりする時は、彼女が何か悩んでることが多かった。私は「全然気にならないよ」と言って場を和ませることを優先させたが、結果的に母は胃潰瘍になって入院してしまった。

何かあってから、あの時ちゃんと話せていたらと後悔することほど、やるせないものはない。大切な人と長く幸せに暮らすためには、何かときちんと向き合わなければいけない時もある。それが真の優しさなのだろう。

PROFILE

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。

ねぎ

東京都港区赤坂3-7-15 小川ビル1F

03-3584-5345

営業時間:昼定食 11時半~14時

     午後定食 14時半~17時

     夜定食 18時~21時半 ※お一人様専用

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